番外編1 バシード公爵は愛妻家である
アデリナの五番目の婚約者だったヘラルドとダミアンの話。
アデリナは出てきません
「おー、ダミアンじゃないか!久しぶりだな!」
アデリナとダミアンが結婚して一年ほど経った頃、人と会った帰りにアデリナへ土産を買って帰ろうと立ち寄った洋菓子店でばったりと出くわしたのはダミアンにとってこの世で一番憎い存在だった。
「・・・ヘラルドか。久しぶりだな。」
ダミアンと名前を呼ばれたことで店にいた客や往来の人の一部はバシード家当主だと気づいていた。その視線を感じたため無視するわけにもいかずに、一応返事を返したのだがダミアンの心は一瞬で真っ黒になった。
「はは、浮かない顔してんなぁ。わかるよ、あんなのと結婚したんじゃな。」
「・・・」
ダミアンは今帯剣してないことを悔やんだ。騎士でなくなってからそういうものは見えるように持ってはいない。剣さえあれば衝動的に切っていた。そうしたら愛しいアデリナとの生活が壊れることはわかっていたが。
「ほんっとつまんないだろあいつ。ただ綺麗なだけ。顔と体しか価値がないのにガード硬すぎるし、ちょっと触っただけでも嫌がるし、頭かってぇんだよな。ま、観賞用にはよかったけどさ。」
「ヘラルド・アドリアナ。その汚い口を閉じろ。」
一応、穏便に、と思ったが耐えきれなかった。
「あ?なにまじになってんの?」
「騎士団とアドリアナ伯爵家にこのことは連絡させてもらおう。・・・あいにく大切な妻を貶されて平気な男ではなくてね。ああ、君は騎士爵を持って家は出ていたか。まぁどちらでもいい。今のうちに王都を楽しんでおけよ。」
「おい!何怒ってんだよ!」
ヘラルドがあまりに騒ぐため洋菓子店から店長らしき男が出てきた。この店は高級志向のため貴族が愛用している。入り口でのもめ事はよろしくない。
「お客様方、どうされました。」
「ああ、いいところに。迷惑をかけてすまないが騎士団を呼んでもらっても?」
ダミアンがバシード公爵だと知っていた店長は青ざめ、ヘラルドを汚物を見るような目でちらっと見た後すぐに奥に引っ込んでいった。高級店にはこういう時のために騎士団への連絡用の鳥がいる。
「ふざけるな!俺が何をしたってんだ。事実を言っただけだろ!」
「・・・ここまで頭が悪かったとは思わなかったよ。」
かつてヘラルドとダミアン、そしてアイシャの主人だった男は同じ部隊に所属していた。年も近く話が合った。ヘラルドのした行為がどれほど下劣であったとしても、頭の片隅でどこかそんな男じゃないと信じたままだったことを後悔していた。
(ずいぶん甘いことを考えていた・・・アデリナをこれ以上傷つける前に処分しなければな。)
ヘラルドが今にも掴みかかろうとした瞬間、「あなたやめて!」と女性のカン高い声が響いた。
「あなた!公爵様になんてことを!主人が大変申し訳ございません。」
「いや、あなたは今は関係ない。少し黙っていてもらえるか?」
「なっ・・・」
頭を下げれば許してもらえると思っていただろうその女は顔を真っ赤にして憤慨している。ただ、ヘラルドよりはほんの少しは常識があったようで騒ぎ立てることも掴みかかってくることもなく、ただ睨みつけてくるだけだった。
(アデリナとヘラルドが婚約しているのを知っていても付き合いをやめなかったこの女も大概だな。)
「嫁を侮辱したな?」
「黙っていてほしいと言っただけだが?それに先ほどまで自分が口にしたことを忘れてしまったのか・・・はぁ、お前も少し黙っていてくれ。」
「お前が傷物もらって可哀そうだと思って声かけてやったんだぞ!」
「どういうことだヘラルド」
洋菓子店の店主は”バシード公爵が悪漢に絡まれている”と報告を受けでもしたんだろう、その場に駆け付けたのは騎士団長だった。相当重要度が高いと判断されたようだ。
「バシード公爵夫人に対してそのようなことを口走るとは・・・お前には失望したよ。さあこい。牢屋に入れてじっくり話を聞いてやろう。奥方も一緒にな。」
「そ、そんな!私はなにも!」
「ほう、悪いのは旦那だけだと?バシード公爵に対してだいぶ礼を欠いた態度をしていたように見受けたが。」
「騎士団長!自分は何もしておりません!」
「お前が何かしたかどうかはここにいる皆さんが証人となる。周りに話を聞いた結果お前が何もしていなければすぐ出してやるさ。だが、そうでなければわかるな?」
二人は騎士団員に拘束され近くまで来ていた護送用の馬車に押し込まれた。
最後まで口汚くダミアンとアデリナを罵っていた。どうやら罪を重ねたいようだ。
「ダミアン、災難だったな。」
「お久しぶりです団長。来てくださって助かりました。」
騎士団長は久しぶりに会ったダミアンの雰囲気が柔らかくなっていたことに気づいて内心とても喜んでいた。恐ろしい獣のようだと揶揄されるような目を嬉しそうに細めている。それをみて喜んでいると理解できるのは騎士団でも長年所属しているものか、騎士団長の妻くらいのものだろう。
「愛妻家だと噂では聞いていたが、これほどお前が怒るのは初めて見たよ。」
「笑い事ではないんですが・・・そうですね、噂通りだと思ってもらって構いません。妻のことを大事に思っておりますので。」
噂通り。強調するように言ったそれがどういう意味かは騎士団長にも伝わった。
ここ一年ほど社交界では捨てられ令嬢と言われたアデリナと氷の貴公子という称号を(本人は不服ではあるものの)つけられているダミアンの結婚に沸いていた。
その中で騎士団長が言った通り氷の貴公子はその氷を妻にだけ溶かしてしまうほどの愛妻家だ、というのは誰でも聞いたことがあるようなものだったが、中には身震いするような怖い話もちらほらと流れてきた。
バシード公爵は夫人を貶めたものを決して許さない。
それを現実のものとして体感したであろう人たちはもう社交界には存在しない。だから本当のところはわからないが、彼らがいなくなったことが妙な真実味を与えていた。
「なるほど分かった。まぁ今回のことについてはきっちり騎士団で締めあげることは約束しよう。」
「・・・どうぞよろしくお願いします。」
今回のこと以外は関知しない、好きにやれよとでもいうように騎士団長は鋭い目を再び細めてニカっと笑い、ダミアンの背中をバシバシ叩いて笑いながら去っていった。
「義兄上、どうするんです?」
「アドリアナの家には正式に抗議文を出すよ。今書いてる。」
「・・・それだけじゃないんでしょ?むしろそれで終わらせるって言ったら姉上を連れて領地に帰りますよ。」
帰宅したらなぜかタイミングよくアデリナの弟であるセルジオが来ていた。
今日のことを聞きつけたのはそうだろうが、こういうタイミングで義弟はすぐにやってくる。
それが影という存在が関係しているだろうことはなんとなく、気配で感じているけれど藪をつつくつもりはダミアンにはない。バルドメロ家がそういう存在を持っているのだと気づいたのは結婚後のことだった。その前から少々気になる気配を感じることはあったが、気づいたと知られると逆にまずいことも公爵家当主としてよくわかっていた。
それよりも全力でアデリナに対して過保護でいてくれる義理の家族の存在がありがたかった。
「それは困る・・・バシード家から表向きにやることはそれだけだが、俺個人がどうするかはまた別だよ。まあ俺が直接何かしなくても騎士団が下手な処分を下すとは思えないから大丈夫さ。」
「姉上が泣いたら許さないから。」
「泣かせないよ。でも君もう二十歳だろ。既婚者だし、さすがに姉離れしたらどうだ?」
「無理。もちろんミランダも大事だけど、彼女も姉上至上主義だし問題ない。大体あんな可憐で心根が優しくて人が出来てて健気で美しい姉上から離れられるわけないでしょ。」
「・・・まぁ。わかる。」
不毛な会話を繰り広げながら、妙に情報通な義弟にヘラルドを今後どうするのかを伝えた。
二週間後、バシード公爵家への侮辱罪によりヘラルドは騎士団を追放され、さらに実家のアドリアナ家からも勘当。家族ともども永久に王都に足を踏み入れるのを禁じられ、辺境の兵士団に死ぬまで所属することが決定された。離婚も許されず家族で辺境に住むしかない。また結婚してからも女遊びが激しかったこと等が妻に知らされた。そんな状況で離婚も許されないとなれば幸せに生きていくのは難しいだろう。送られた辺境は蛮族との戦いが激しい地域で金払いはいいが死と隣り合わせ、五体満足で生き延びられるのは最長五年とも言われている。
少々手ぬるい気はしたが、表立った内容で処刑までするのは難しかった。ただ、そこに送れば早々に死ぬことも、王都に来て助けを求めることも出来ないのなら十分か、と思った結果である。王都に来たところでヘラルドたちを助ける人間がいるとは思えないが。
元々ヘラルドとアデリナの婚約はヘラルドの家のほうに相当なうま味があった。それを身勝手な理由で破棄し、さらには婚約時に綺麗にしておけと言われたのに隠れて今の妻と付き合ったままだったことがばれて伯爵家から疎遠になっていた。
それを逆恨みしたのか、アデリナの噂話をあることないこと吹聴していた。自分のせいだというのにアデリナのほうが浮気していただの、尻軽だからすぐやれるなどと言ったこともあった。恐らくそれがきっかけで馬鹿な賭けが流行したんだろう。
ちなみに賭けに参加していた令息たちはもう社交界にいない。ほぼ全員が嫡男ではなかったのでバシード公爵家に睨まれると家族たちはすぐに息子を切り捨てた。そうでなかったものも、さすがに気楽に社交界に顔を出せる状況ではなく厳しい状況に立たされている。二度と顔を見ることは無いだろう。
ヘラルドも彼ら同様どこにもいなくなるほうがダミアンにとって心の安寧は保たれるが、今回の件はおおむね満足ではあった。
「こんな風に汚いことをしてるとばれたらアデリナはどう思うかな」
バルドメロ家にも結果報告を、と思った頃にまたセルジオはやってきた。どうやらバシード公爵家には優秀な影が潜んでしまっているらしい。
「言っとくけど義兄上は全然だよ。公爵家当主がそれくらいでめげないでくれる?まぁでも姉上だったらきっと、『一緒に背負いますよ』とかっていうでしょ。義兄上にだけ負担をかけたくないって思うだろうし。」
声は違うもののさすが弟、アデリナの真似がうまい。ダミアンが思わず吹き出すとセルジオも笑った。
「まぁ今はまだちょっと大人しいけど、姉上も結構勝ち気な人だから、あの屑男のことを知ったらそれなりにキレるだろうし、目の前で言われたらぶん殴るくらいのことは普通にすると思うよ。そうなっちゃうと姉上の綺麗な手が汚れるから義兄上の判断は正しかったと思う。義兄上も姉上と喧嘩したら平手一発くらいは覚悟したほうがいいかもね?」
「はは、そうなのか。殴られたくはないけどそれくらいアデリナが活発になるのも楽しみだ。」
最後の一言は冗談だったが、顔を緩ませてぼんやりと、まぁ一発くらいはいいかな、と頭の中で妄想しているであろう義兄をみて、セルジオは冷たい目線を送った。
「・・・変な趣味開花させないでね。まじで。」
その後ちょっとしたすれ違いによりアデリナと喧嘩したダミアンは顔を思い切り引っかかれたのだが、痛みよりもそこまでしてまで怒りを伝えてくれたことにとんでもなく喜んでしまったので、セルジオの不安は当たらずとも遠からずと言えるだろう。
もう一つ番外編が今日20時に上がります