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アイシャが訪れて思い切り叱られてからバルドメロ伯爵家に行くまでの一晩、ダミアンがやったことはダナをはじめとした女性の使用人に頭を下げて教えを請うことだった。
女性の気持ちというのを今まで考えたことがなかった・・・いや、自分なりに考えたつもりではあったが、あまりに話の通じない女が多く、自分とは別の生命体のように思っていた。だから勝手にこうだろうと決めつけていたことに初めて気が付いた。
兄妹のように育ったアイシャにさえ思い込みを持って接していて、あの瞬間まで自分がアイシャをどう見て扱ってきたかに気づくことがなかった。
いつまでも守らねばならない対象だと思っていた、女性は傷つきやすいのだと教わったのもあるだろう。
喧しい女性たちに囲まれるたび吐き気がして全力で距離をとった。とにかく拒否した。酷いと泣かれても無視した。やめてと言っても止めないのはお前たちだろう、と。会話が出来ないのに何か言えば傷ついて壊れてしまう厄介なもの。ダミアンにとってそれが女性というものだった。
それを話すと女性はモノではないと怒られた。ガラス細工のように大切に扱ってほしいと思ったとしても、本当のガラス細工ではないのだと。意志があり、男性とは違ったとしても自分で生きる力もある。選択する権利も持っている。そんな当たり前のことをダミアンは知識としてだけ知っていて、理解はしていなかった。
アイシャが未亡人となった時結婚して引き取ろうと思ったのも、実家にも義両親の元にも安らげる場所がないことを知っていて、可哀想だから自分が助けなければならないと思った。ただそれだけだった。
アイシャ自身がどうしたいのかなどは殆ど考えず、彼女を可哀想なものとだけ扱っていた。それがどれほど傷つけるかもわからずに。
結果としてアイシャは自分で修道院へ入ることを選んだ。それを聞いたときも驚愕だった。そんなところに行くなんてなんて可哀想なんだと、手を伸ばしかけた。
そういう可哀想だと思う気持ちがアイシャ自身を否定するようなものだったのだと改めて気づいたときに、自分がアデリナに恋をしているのは彼女のその事情からかもしれないと気持ちを振り返った。
それでも、ヘラルドが婚約者を残して席を立ったあの瞬間、寂しそうな表情をほんの一瞬だけ浮かべた後気丈にふるまった彼女の美しさに一瞬で虜になってしまったことは消えたりはしなかった。可哀想だと思ったことがあるのは事実だけれど、それだけではないのだと。
使用人たちの歯に衣着せぬ物言い(そうするように頼んだ結果だけれど)と、自分自身の気持ちと向き合ったことにより、アデリナへの思いはより深まるばかりだった。
女性に対しての扱いも付け焼刃ではあるが叩き込まれた。相手の話を聞く、ということの本質を知った。ただ右から左に流すのではなく、相手の言葉に耳を傾ける必要があるのだと。勝手に決めつけず、知ろうとする気持ちが大事だと。
決めてあげなければ、救ってあげなければ、可哀想だから、弱いから・・・相手をよく見もしないのにそう決めつけることがどれくらい身勝手だったのかを身に染みて理解して、バルドメロ伯爵次期当主の結婚式に足を運んだのだった。
アデリナの美しさはまさしく女神だった。月の女神のようだと最初に称えた人間は素晴らしい。まさしくその通りだった。
濃紺のドレスは彼女の清楚な雰囲気によく合っていた。嬉しそうに主役の二人を見守っている姿も凛として美しかった。披露会が始まってすぐに虹がかかった時、まぶしそうに空を見上げていて、そのまま天に帰ってしまうのではないかとわけのわからない不安をダミアンは感じて声をかけようと思った。だが次の瞬間にバルドメロ伯爵に呼ばれて、結局アデリナに声をかけることは出来なかったとがっくり肩を落としながら伯爵に続いていった。
通された先で、思いもよらない言葉を貰ったダミアンは必死にアデリナに思いを伝えた。
ダナたちからの指導で言われた『ストレートに、思いのままを伝えるべし』という口説きの極意?を実践した。
「娘が頷けば婚約を許可しよう。娘が望むならすぐにでも結婚してもいい。ただ、私が何か手助けはしないし、娘を無理に頷かせるようなことでもすればこの話はなかったことにさせてもらう。」
バルドメロ伯爵はダミアンを信じた。この場にいないけれどセルジオもそうだった。そこまで説明はしなかったが、ダミアンにもなんとなくわかった。だからこそ、何をどう聞かれても全部答える、もし自分が何か失態をしていたのならどれくらい詰られてもいい、できることはすべてするからどうか、頷いてくれとアデリナの言葉を待ったのだ。
「先日、貴族墓地でピンク系の髪色の女性と抱き合っているのを見ました・・・女性と深い仲になったことがないと言われても信じられません。それにもしあんなことをしたのに深い仲じゃないと思っているような方だとしてもやっぱり信じられません。」
アデリナはだんだんと語気を強めながら先日の様子を口にした。怒っていた。その自覚はないままに。勝手に裏切られたように感じて、勝手に悲しんだその痛みをぶつけるように。
「ピンク・・・ああ、それは従妹だ。子どもの頃から騎士団に入るまで一緒に育った兄妹のようなものだ。私が騎士団員だった頃に親しくしていた同僚を彼女に紹介して結婚したんだが・・・その、先日亡くなってね。二人で墓地に行ったのは葬式の日だけだから、きっとその時だろう。立てないほどに泣いていた彼女を確かに抱きしめた記憶がある。だけど、彼女をそういう対象として見たことは一度もない。」
「本当ですか?あんなに抱き着いていて?」
「そうだな・・・詳しいことは口にできないが、彼女の実家は少々事情があり、夫が亡くなっても実家に帰るのは難しかった。だからもし彼女が困っていたらうちで面倒を見ることを考えたことは確かにある。守るために自分の妻にしたら一番安全だろうとも思った。家族として大事に思っているから・・・でも怒られてしまったよ。」
「怒られた?」
「私のことを勝手に決めるな、と。見くびるなと言っていた。彼女はこちらのバルドメロ伯爵家の領地にある修道院に入った。最後にそうやってかなり叱られてしまって、私が何か言う前に颯爽と修道院へ向かった。」
「修道院に・・・そう、なのですね。」
アデリナが早々に向かおうとしていた先に、あのピンク色の髪をした女性はすでに向かっていた。
差し伸べられた手を見くびるなと叱咤で返して。
自分はそこまで強く言えるだろうか。アデリナは考える。
もうすでに、今の段階で気持ちの殆どがダミアンに向いている。結婚を申し込まれて、彼の熱に中てられたら今まで準備してきたことなど忘れてあっという間に気持ちは変わった。
(こんな風にすぐにコロコロ気持ちを変えるから傷つくんだわ・・・)
「彼女と男女の仲になったことはないよ。」
不安そうに黙り込むアデリナに、ダミアンはもう一度はっきりと事実を伝える。妻にしたらいいだろうと思ったことも、バシード家で面倒を見ようとしたことも言った。情けない話だと思うけれど、隠して信用を得られるわけじゃない。ただでさえ声をかけただけで賭けをしている馬鹿な令息と同じようにみられる程度なのだから信用度合いは最底辺に違いない、だからこそ真摯に答えるしかないし、彼女の言葉を聞き逃してはいけないとダミアンは次の一言を黙って待った。
「・・・どうして私なのでしょう。八度も婚約破棄したことはご存じですよね?あなたほどの方が妻に選ぶのに私ほどふさわしくない人などいません。」
「婚約破棄した理由を全て知っているわけではないが君に悪いところはなかったと聞いているし・・・いや、それよりも本音を言おう。私はアデリナ嬢が婚約しても結婚まで進まなかったことを喜んでいる。酷い話だが、本心だ。」
「どう、して・・・?」
「君ほど素晴らしい人と結婚したら男が離すわけがない。私がアデリナ嬢と結婚を望んで、今こうして話が出来ているのは君が・・・辛かったことをよかったと言ってしまって本当に申し訳ないが、君が破棄して一人でいてくれたからこそなんだ。待っていてくれたんじゃないかとさえ思っている。」
「・・・なぜ、今になってそんなことを?」
なぜあの時、ヘラルドが席を立った時、そのときに言ってくれなかったの。
アデリナが口にしなかった言葉がダミアンには聞こえた気がした。
(ダナが言っていたのはこういうことだったのだろうな)
アデリナの言葉を聞こうと、気持ちを知ろうとすればするほど彼女の細かな表情の変化や、語気を強める部分、不安そうに口にする言葉がよく分かった。”今”を強調したアデリナの言葉に、四年前に何もしなかった情けない自分を殴り飛ばしたい気持ちになった。
「辛い思い出に触れてしまうと思うが、ヘラルドに君を紹介された時、一目で恋に落ちた。恋をしたと自覚したのは少し後のことだったけれど。気丈にふるまい置いていかれたにもかかわらずあいつを立てようとして、私にもフォローをして気遣ってくれた。会話も楽しかった。母親と従妹以外に殆ど女性と話したことがなかったからあの時私は酷く緊張していた。それなのに君は騎士の俺が話しやすい話題を探しては振ってくれて・・・嬉しかったんだ。」
ダミアンの言葉はどんどん加速し、それがアデリナにはやけどしそうなくらい熱く感じた。体が震えてひどく苦しいのに嬉しくてどうしたらいいかわからず、語るダミアンをただじっと見つめて、その言葉に包まれた。
「本当に・・・俺は嬉しかった。でも君はずっとどこか悲しそうで・・・そりゃそうだ、婚約者に手ひどく扱われたんだ。だけど必死にそれを隠していて、けなげで、そして頭が良くて、気配りのできる優しい人だと思った。ただその直後に俺は怪我をして騎士団を退団せざる得なくなり、破棄したと話を聞いても君に婚姻を申し込むだけの力がないと思ったんだ・・・家を継いで、騎士じゃなくなっても君を守れるだけの力をつけてから、と。」
いつのまにか私から俺に変わったことにもダミアンは気づかない。そのままただアデリナだけを見つめて話し続ける。
「昨日、従妹に叱られてから初めて気づいたんだ。自信がないから、と君に気持ちを伝えるのを後回しにしていた。まずは父に認められてから、そして及第点を貰ったら今度は伯爵に認められてから、と。それなのに見かけたら声をかけてしまった。そしてつれない態度をとられて落ち込んで・・・どうしてか聞きたいのに直接君に会いに来る勇気もなかった。自分があまりにも情けなくて、恥ずかしいと思ってる。それでも
君が好きなんだ。」
次で本編はおしまいです。