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「アデリナお嬢様。当主様がおよびでございます。」
「まあお父様が?」
「執務室でお待ちでございます。」
早々に抜け出したことがいけなかったかも・・・と内心ドキドキしながら執務室に向かうと、そこにいたのはシモンだけではなかった。淡いベージュの礼服に身を包んだダミアンが緊張した面持ちで座っていた。
「おやアデリナ。あのドレスはもう着替えてしまったのか。」
「え、ええお父様。それでご用件は?」
客の前だというのにまるでいないような雰囲気で話しかけてきたシモンの態度にアデリナは驚いて、ダミアンの顔色を窺った。
ダミアンは公爵。伯爵であるシモンよりも格上の相手だ。それをこのように扱うのはありえない。
「ああそうだった。バシード公爵、こちらが娘のアデリナです。」
「アデリナでございます。」
優雅に頭を下げ礼をとったアデリナを見てダミアンが少しだけ笑顔を見せた。それは笑おうとしたわけではなく自然と、目の前にアデリナがいることに喜んで出た無意識の笑顔だった。
「私はダミアン・バシードだ。アデリナ嬢、お会いしたかった。」
「・・・光栄にございます。」
さすがにアデリナもダミアンが賭けのためにここまで来たとは思いはしなかった。そして一つの予想が頭に浮かび、小さく息をのむ。
妙齢の未婚の男性を父親に紹介されたとなれば答えは一つだ。
「バルドメロ伯爵、私からアデリナ嬢にお話ししてもよろしいですか?」
「ええ、もちろんです。」
「アデリナ嬢、突然ではあるが、私と結婚してほしい。君を一生守っていくと誓おう。」
予想通りの言葉にアデリナは心の奥がすぅっと冷めていくのを感じた。
嬉しくないわけではなかった。
それでも喜んで受け入れますとすぐに言葉が出なかったのはこれ以上期待して裏切られるのが嫌だったから・・・ただ、それでもダミアンは公爵。おいそれと断れる相手ではない。
政略結婚としてお受けしたらいいのですね?という気持ちを込めて、アデリナは父の顔を見た。予想に反してシモンの目はとても優しく、アデリナの期待した答えは返ってこなかった。
「アデリナ、思うままに答えていいんだよ。どう思う?」
「どう・・・思うか・・・」
「アデリナ嬢、バルドメロ伯爵の言う通りだ。出来たら受け入れてほしいけれど、君が嫌なら・・・時間をかけて私のことを知ってもらってからもう一度申し込みたいと思っている。保留でも構わない。たとえ長期戦になっても君に”イエス”と言ってもらえるよう努力を惜しまない。気になることがあれば聞いてから考えてくれていい。」
ダミアンは真剣そのものと言った表情でアデリナを見つめていた。それがデートに乗るかどうか賭けていたような軽薄な令息たちとは全く違うことはアデリナにもよくわかったし、なにより不自然なほどにアデリナによい条件をバルドメロ伯爵家当主の前で宣言していることが、あまりにも真剣そうなダミアンの様子と共にアデリナの心臓を早鐘のように打ち出した。
じくじくと指先に血が巡る。ダミアンの熱がアデリナの体に移っていくみたいに。
「どうしてわたくしなのでしょう?バシード様に相応しい方はほかにいらっしゃると思うのですが。」
ようやく絞り出したのは、あの墓地で抱き合っていた彼女ではなくていいのですか?というのを遠回しに指摘したものだった。気分を害したと怒って出て行っても仕方ないくらいには嫌味であると口にしてから気づいたけれど、アデリナは撤回する気はない。傷つきたくない、ただそれだけが頭の中に渦巻いた。
「私は君以外の女性と結婚するつもりはないよ。アデリナ嬢と結婚したいんだ。傍にいてほしいのは君だけだ。」
ダミアンはかけらも怒る様子を見せない。真っ黒な瞳はただアデリナだけを映していた。まっすぐにただアデリナが欲しいと全身で訴えている。
「親しい女性がいらっしゃるのでは?」
「そういう女性はいない、恥ずかしい話だが、今までそういう間柄になった人は一人もいない。疑うならいくらでも調べてほしい。信頼してもらえるのならなんにでも協力しよう。」
ダミアンの告白に驚いたのはシモンのほうだった。まるで影を使って調べていることを知っていたかのような言葉に背筋に嫌な汗が流れた。実際はそうではなく、なんでも開示する用意があるというだけだったが。
アデリナも驚いていたがそれは女性と付き合ったことがないという部分だった。凛々しく美しい顔立ちのダミアンはどこからどうみても女性に好かれるだろう。話も振る舞いも紳士的で、とにかくモテるに違いない。騎士団にも女性騎士は所属しているし、公爵という高い身分も持っている。非の打ち所がないとはこのことだと。
いやそれよりも、親しくないのに抱き合っていたあの女性は何だったのか。
もしかしてあの程度親しくなくても平気な人なんだろうか。そんなことがアデリナの中で大きな渦を生み出していた。
真摯に答えたことが却ってアデリナの疑惑を深めている間ダミアンはうっとりとした目でアデリナを見つめていた。
俯いて難しい顔をしている彼女もまた美しい、とただ見惚れているだけだった・・・が、はたと気が付いた。
アデリナは決して嫌味を言うような人ではなかった。そういう話術は貴族の嗜みではあるものの、好んで使う人ではないと一度の会話で感じていた。
それなのに夜会で声をかけた時も今も何か含みのある言い方をしている。彼女が変わったのかもしれないけれど、嫌味で言っているのではなく何か確信を持って話しているのではと。
「アデリナ嬢、先ほども言ったようになんでも聞いてくれて構わない。私は後ろ暗いことはないと君に誓える。私のことは何でも話そう。その為に君が何を疑問に感じているのかを教えてほしい。怒ることもこれを理由にバルドメロ伯爵家を糾弾することも決してしないし、君が私に何を聞いたかを口外することも絶対にしない。もう騎士ではないが、それでも剣にかけて真実を答えると誓う。」
アデリナは口を開かない。ダミアンは続ける。必死に、しかしそれが表に出ないように震える手を握りしめながら。
「夜会で会った時に君を怒らせてしまったことを私はずっと考えていた。私の何がいけなかったのか、どの言葉が君を怒らせたのか。情けないが考えてもわからなかった。君が私に何を聞いていいのかわからないのなら・・・よかったらその時のことを教えてくれないか?」
怒らせたというのはシモンは報告を受けて知っていたが、それについてダミアンが気にしていたのは知らなかった。会話の内容も報告を受けているが、少々軽いノリではあったものの誘い文句として問題のない範囲だったためシモンはそれを気にも留めていなかったし、当のアデリナもそれを気にしている風には見えなかった。
(ああ・・・そうか。この男は親の私よりもアデリナをよく見てくれているんだな)
恐らく墓場でアイシャと抱き合っていたのを見かけたのをアデリナが気にしているだろうとシモンは予想していて助け舟を出すつもりだったが、そうしないことにした。
時間がかかってもこの二人なら大丈夫なのではないかと、淡いけれど確かな期待を抱いて。
「あの時は・・・また賭けにされたのだと思ったのです。」
だいぶ間が空いてようやくアデリナはあの夜会で思ったことを口にした。自分が思ったことをそのまま口にするという行為は何年ぶりだろう。特にネガティブな感覚を口にするのは。
「また?それに賭けとはどういうことだろうか。」
「デートに乗るかどうかを賭けている方々がいて・・・そうやって何度か声をかけられました。」
「なんと・・・そうか、そうだったのか。私もそうだと思わせたんだね。すまない、気軽に話しかけたほうが君が緊張させずに済むかと思ったのがいけなかったな。そういう賭けというのに参加したことはないし、何があっても君をそんなものの対象にしたりはしないよ。」
酷い勘違いだった、とアデリナは顔を赤らめた。そしてそんなことを疑われてもダミアンは全く怒らなかった。
それどころかなぜアデリナがそういうものの対象になったのかもわかっていて、口にしなかった。そして自分の誘い方が悪かったと言ったのだ。
(どうして・・・どうしてそれほどまでにしてくれるの?)
どくどくと痛むほど強く鳴る胸を押さえ、目の前の黒く美しい貴公子を見つめた。
アデリナのサファイアのような瞳には今ダミアンしか映っていない。
それに気づいてダミアンは思わず頬を染めた。
やっと、彼女の瞳に自分が映ったのだとわかった。
(ようやく、ようやく、俺をみてくれた。)
ダミアンの心は喜びに震えた。