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アイシャが修道院に入ったことも、バシード家で啖呵を切ったことも、バルドメロ家は影を通じて知っていた。
その情報が入ったのはセルジオの結婚式の前日の昼だった。明日に向けてミランダは今日一日体を隅々まで磨き上げられるが、セルジオはそれほどの準備はなかった。ミランダの傍にいるのも邪魔になるし、アデリナがミランダについてくれているので安心して任せ、執務室でシモンと膝を突き合わせて書類に目を走らせていた。
「問題と思っていたことは殆ど片付いていますね。アイシャ嬢が思った以上にしっかりとした方で驚きました。内容を聞いてあまりに痛快で・・・ははは。あまりに気持ちよかったんで修道院に寄付増やしときました。」
セルジオは報告書に書かれた文章を読むたびに笑いを堪えるのが大変だった。冷たい表情で周囲を凍てつかせているダミアンのことしか見たことがなくとっつきにくい印象だったが、叱られた内容を読む限りダミアンはだいぶヘタレらしい。姉を任せるのに不安がないとは言えないが、人間らしいところは好ましいと思った。
「私情をあまり挟むなよ?まあ修道院を大事にするのは悪手ではないが。あとはあの男だけか。王都勤務から辺境に飛ばしてしまいたいな・・・」
父親の遠い目を見てセルジオは内心ため息をついた。それほどまでに姉を大事に思っているのに、長いこと手をこまねいて影を使わないままだったことに怒りを感じる。自分も同じ立場であるからそれを口にしないけれど。
「あの男・・・ヘラルド・アリアドナはすでに子どももいますし、姉上に屑な行為をしていたことは騎士団の連中はわかっているので信用がなく昇進も見込めない。騎士団を引退しているダミアン殿と接点もないと考えてもいいのでは。逆恨みをして大事を起こすほどの力もないですし。」
「うむ・・・まぁ飛ばすなどいつでもいいか。それでは決まりだな。明日少し話をしてみるか。」
「ですね。僕はさすがに中座できませんので父上よろしくお願いします。」
明日の結婚式とその後のお披露目パーティにバシード公爵家当主も招かれている。バルドメロとの関係は薄いが、ミランダの生家であるロドリゴ公爵家とは同じ公爵位を賜っているということもあり親しい付き合いがある。招待したのはそれが理由であるものの、本心としてはダミアンを直接見て確認するため。手紙と影による調査から見えてきたのはやや優柔不断だが好青年であり、当主としての手腕もなかなか。女性関係で浮ついたものはなく、唯一問題視していたアイシャの件も誤解だったことが分かった。
対して王弟ラファエルはどれだけ調べてもアデリナに対する特別な感情はない。政略結婚というだけ。自身が王位継承から外れ第一王子を支持するということをアピールする際に隣にいて邪魔にならない相手としてしか見ていない。後ろ暗い部分は王族のため少なからず存在するが、それよりもアデリナに関する関心のなさが浮き彫りになるばかりだった。大事にはしてくれるだろうが、その大事の仕方はどういうものなのかというのは、貴族である二人にはよくわかっていた。
シモンもセルジオも、アデリナが良ければダミアンと婚約を、と思っていた。口には出さないがお互いにそうであることはわかっていた。
二人の意志は明日セルジオの結婚式で決定づけられるだろう。
それよりも。
「姉上は・・・どう思いますかね。こうやって婚約の相手を探していることを、厄介者扱いされていると思ってしまうんじゃないかと心配です。」
「あの頃からアデリナは縁を作って外に出るのが唯一の親孝行だと思っているようだからな。そんなことしなくていいと言っても自分が無力であるから役に立たないと言われているのだと思ってしまうしなぁ。」
幸せになってほしい。それ以外に思うことはないのに、それを伝えるのがこんなにも難しいとは思わなかった。シモンはずっと後悔している。エリックが亡くなってしまった時、アデリナが婚約していた証を残したいと言ったのを止めなかったことを。それが原因ではないとわかっていても、あの時そうしなければ少なくとも婚約破棄した状態で二人目を選ぶことはなかった。
やや妥協がなかったとは言えない二人目、そして三人目は婚約者本人がどうこうできる範囲外の問題のせいで破棄となった。妥協といっても婚約者本人自体を選んだことを後悔はしていなかった、家の調査結果に妥協したのだ。
結果として親戚が失敗した事業の後始末をしなくてはいけなくなったり、両親が禁止薬に手を出していたために捕らえられてしまったりと彼らにとっても厳しい選択が迫られた結果破棄という形を選ばざるを得なかった。彼らはどちらもバルドメロからの支援に頼らず家を守りたいと言っていた。支援のために婚約継続しているとみられれば辛いのはアデリナだと。その言葉が心からのものだったことは今現在どちらも貴族として家を盛り立てていることからもわかる。
しかしそれ以降、例えば四人目はアデリナの侍女に色目を使っていた。家柄を重視しすぎて本人への注意が散漫だったかもしれない。その侍女に近づくために婚約したことを事前に気づくことが出来なかった。五人目のヘラルドは言うまでもなく屑だった。外面に完全に騙されてしまってヘラルドの思惑に気づくことが出来なかった。破棄に対して抗議したがなしのつぶて。すでに破棄したことのある令嬢なら五度も六度も同じだろう、とせせら笑っていたことを後で知った。そういう扱いをさせてしまったのは当主であり父でもあるシモンの責任だった。
これ以上何かあってはいけないと一年をかけて六人目と、その時次点として考えていた七人目は腹の立つ理由ではあったが最低限の筋は通し自らの瑕疵を認め公式の謝罪文も発表した。どちらも数か月という短い婚約期間ではあったが。
彼らも無意識にアデリナを破棄しても問題ない相手ととらえていたのだろう。家としての筋を通すだけで、アデリナの心に寄り添うことはなかった。
影を動員した八人目は・・・少し理解不能ではあるが彼はアデリナを神として崇めていた。大事に大事に、本当に大事にしようとしていたけれど、人としての温もりを持つアデリナを受け入れられず、精神的に壊れてしまった。心に寄り添う以前の問題だった。
もうこれ以上、失敗は出来ない。一番大事なのはアデリナの気持ちだが、明るく勝ち気な少女だったアデリナがここ数年は自分の思っていることを口に出さなくなっていることをシモンもセルジオも知っていた。だから少しでも本音を話せる可能性のある人間・・・出来れば、それなりの身分がありアデリナを守れる人が良い。そしてアデリナ自身を愛してやってほしい。
それがダミアンであればいいと二人は思った。
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結婚式当日。抜けるような青空が広がり、雨が降ったわけでもないのに空には虹がかかった。神の祝福を感じさせると参加者は嬉々として話していた。貴族の結婚式なので全員が手放しで祝っているわけではないが、腹に一物抱える者たちでも思わず気持ちが緩むような、そんな素晴らしい時間が流れた。披露パーティの会場はバルドメロ家の庭園で、この日のためにミランダが好きな白いバラが満開でほんのりとバラの香りが会場を優しく包んでいた。
それを見てアデリナはこの先のバルドメロ家は安泰だ、とほっと安堵の息を吐いた。自分が良い縁を繋げなかったことには変わらないけれど弟のセルジオなら、そしてミランダであれば大丈夫だと安心した。
これ以上人前にいるのは二人のためにならないと判断し、そっと庭から離れた。
招待客にダミアンの姿があったことも理由だった。
四年前初めて会った時が好印象すぎて、夜会と墓地での様子に傷ついていた。そんな資格はないと思いつつも、胸が痛むのを抑えられないままだった。
早々に自室に引き上げたせいでアデリナはダミアンが父親に呼ばれて執務室に向かったことに気づかなかった。
「お嬢様、よろしいのですか?」
「いいのよ、私がいると縁起が悪いと思う人もいらっしゃるでしょうし、式も最初の挨拶もしっかり見届けることが出来たから満足よ。」
侍女は寂しそうな顔をしているが、アデリナは本心から満足していた。自分の後ろをよちよちあるいて、転ぶたびに大泣きしていた甘えん坊の弟が素敵なお嫁さんを貰ったのは本当に嬉しかった。
侍女はもう少し食い下がりたいという表情だったが無視してさっさとドレスを脱ごうと背中のホックに手を伸ばす。
(こういう美しいドレスに袖を通すのも最後ね。)
体が弱く領地で療養していたアデリアの母エウラリアがこの結婚式のために選んだドレス。色は濃紺で体に沿ったライン、裾に刺繍は施されているが全体的に装飾は控えめ。ドレスだけ見たら地味に見えるけれど、主役を妨げることなくアデリナの美しさを引き立てるちょうどいいバランスのドレスだった。
「お手伝いいたします。」
「ありがとう・・・気を使わせてごめんなさい。」
着替えずに少し休んだら戻ってほしい、侍女はそう思っていたけれどアデリナが一人でさっさとドレスを脱ぎ始めたので渋々でも手伝うしかなかった。
コルセットも外し昼用のドレスに着替え、侍女を下がらせるとアデリナは旅支度を始めた。すぐに家を出るわけではないけれど、いつでも出られるように準備を始めている。
クローゼットの中のドレスは全て売ってもらえば多少は足しになるだろうし、宝石類も両親からもらったものか自分で選んだものばかりなので縁起が悪いこともない、売るなりなんなり使い道はあるだろう。アデリナの、ではなくこの家の誰かの足しに。お金に困る家ではないけど、万が一ということが目の前に起こるのを何度か見たから保険はいくつあっても困らない。
アデリナが持っていくのは町に行くときの麻や綿のシンプルなワンピースに質素な外套、歩きやすい靴、下着類。あとは日記とお気に入りの刺繍道具、お小遣いとして渡されたお金の一部。お金はバルドメロ領の修道院に向かうまでの路銀にする。
持って行かないものは処分してほしいものをまとめて、少しずつ侍女に捨ててもらうように頼んでいる。だいぶ私物が減って元々物の少なかった部屋はさらに簡素になり、人の気配がだいぶ薄れてきている気がした。自分みたいに。
ぼんやりしながら片づけているとコンコンとノックの音が響いた。