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 アデリナへ婚約を打診し続けて数か月。夜会であってからはひと月ほどが経った。

 未だによい返事が来ないことをダミアンは焦ってはいなかった。はっきりと断れられもしていなかったから、まだ迷っているのだろうと思っている。


 落ち込みはするものの、何度もつらい思いをしてきた娘を父親であるバルドメロ伯爵が大切に思っていることはダミアンにもわかっていた。

 少なくともアデリナの婚約者はおかしな人物たちではなかった。きちんと調べられたうえで選ばれた男たちだった。ただ、なぜかうまくいかなかったのだ。だからこそ次は今まで以上に慎重になるだろうことはわかっている。求められれば家の財政状況などを明かすつもりで準備だけはしている。



 彼女自身に社交界で面白おかしく噂されているようなことは一切なかったことはわかっている。噂している人たちの多くもわかっている、その上で楽しんでいるだけだ。

 ただそれでもつまらない話題のエサにされてしまっているアデリナは最近夜会に来なくなった。婚約者を探していないのかもしれない。友人の突然の死によってダミアンも夜会に行くことはなくなったので詳細はわからないが、あれだけの好奇の目に晒されていたら辛いものがあるだろう。


 その防波堤になる役目を仰せつかりたいと思ったが、未だ許しは出ない。

 自分以外にも彼女に婚約を申し込んでいる男はたくさんいるだろう。恐らく王弟あたりは丁度良い婚約者として選びたいだろうし、あの美しさから後妻にと望む声が多いことも知っている。


 あの伯爵なら娘を好色爺の後妻などにはしないだろうが、アデリナが婚姻を貴族の役目と考えていることは初めて会った時に聞いていた。

 四年前、急に婚約者を紹介したいと茶に誘われたあの日、三人がそろってすぐ、席を立ったヘラルドはあろうことか婚約者を置いて急用だと言って帰ってしまった。

 女性に対して嫌悪感を持っていたダミアンも、さすがに友人の酷い態度に辟易し何とかして彼女をフォローしようと必死になったが、逆にアデリナに気遣われた。

 ヘラルドのあり得ない行動に腹を立てるどころか騎士として真面目なのだとフォローまでして、さらには話題が思いつかなかったダミアンのことを気遣って話題を提供し、少し雑談した後帰りましょうと切り出してくれた。


 ダミアンは美しい黒い髪と瞳の色を持ち、人を寄せ付けない冷たい印象のある雰囲気を持っていた。だがあまりにも顔立ちが美しく、氷の貴公子などと噂が広がったのはまだ十歳に満たないころだった。

 そのため幼少期から女に狙われ続け、気を許せるのは母親と従妹のアイシャ。それ以外は思い出すのも吐き気がするような出来事が数多くあった。だから結婚はせず家督は親戚から養子をとってそちらに譲ると早くから決めて早々に騎士団に所属したのだった。

 そんな自分が、初めて他人の女性と心地よく、不快な感情一つ抱かず会話を楽しみ、帰り際には彼女と別れるのが嫌だとはっきりと感じた。それがダミアンにとって初恋だとわかったのはその少し後だった。


 自覚できなかったのは友人の婚約者であるから、と無意識に抑制していたからで、本当は薄々気が付いていたのに必死に無心でいようとしていた自分に気づいたときは思わず笑った。そうしてみるとヘラルドの婚約者に対する態度が不誠実であるということにも気づき始めた。それまで同僚や友人の友好関係など殆ど気にしたことがなかったが、よく見てみるとヘラルドはだいぶ屑だった。

 ()()()()女性騎士の一人だけと深い仲であると気づいて、忠告しようかと頭を悩ませていた時、ヘラルドが婚約破棄をしたと知った。


 理由は聞かなかった。聞いたら恐らくヘラルドを切り殺してしまうだろうと。アデリナの美しい瞳を曇らせ、優しい心を土足で踏みにじるような行為をしたヘラルドとはそれ以来一度も口をきいていない。そうこうしているうちにダミアンは大怪我を負ってしまい、騎士団を引退せざるを得なくなった。




 たった一度話しただけのアデリナに恋をした。出来ればもう一度話したい、いや、自分の横に立ってほしい。あの美しい銀糸の髪に触れ、宝石のような瞳に自分だけを映して、そして笑ってほしい。そう思った。


 しかし自分は怪我の後遺症をもつ元騎士という立場しか手にしていない。その時のダミアンは一応次期当主ではあったものの親戚筋に譲るつもりで騎士になったので当主としての知識も経験もない。あの屑のヘラルド以下だった。

 婚姻を申し込むためにも、騎士ではなく貴族としてしっかりと身を立てることを決意した。父親に頭を下げ当主として今から学び直すことを許してもらい、少しでも彼女を守る力を手にしてから申し込もうと決めた。



 それから四年。その短い間に彼女は三度も婚約し、三度とも破棄という結果になった。具体的にはヘラルドと別れてから一年は誰とも婚約しなかったから、たった三年で。手をこまねいている間に。

 まだ早いかもしれないと不安は持ちつつも前バシード公爵である父から及第点を貰ったダミアンは、三度目の破棄を聞いた瞬間からバルドメロ伯爵に打診し続けている。

 その頻繁な婚約と破棄の繰り返しが面白おかしく噂されることはわかっていても、そこまで何度も繰り返すのは彼女が婚姻は貴族の義務だと考えていたからに他ならないだろうとダミアンは考えていた。


 ---わたくしは家同士の繋がりを作ることが家に対して今日まで育ててくれた恩を返すことになると思っているんですの。家がしっかりしていないと領民も困るでしょう?他と繋がりがない当主家なんて不安を与えるだけですものね。


 アデリナが言ったその言葉に強い意志を感じていた。きっと、嘘ではない。ただ、そこに彼女の気持ちは含まれていない。




「旦那様。アイシャ様がいらしております。」


 執務室で書類と格闘しつつアデリナのことを考えていると扉がノックされ、そこにいたのは家令のディックだった。その瞳は珍しく困惑の色を浮かべている。


「アイシャが?先触れはなかったはずだが。」

「ええ。ご様子が少々いつもと違っていらしたので玄関ホールでお待ちいただいております。」


 アイシャのことはこの家で古くから働いている使用人なら誰でも知っている。子どもの頃はよく泊まりに来ていたものだ。たださすがに成人を超えてからもそういう気安い関係でいることはアイシャの為にもならない。本人もそれはよくわかっていて先触れなしで来るなど無理なことはしてこなかった。


 その無理を通したアイシャを見知っているからと言って追い返さなかったのは、ディックの言う通り何か様子がおかしいのだろう。そう判断してダミアンはやや急いでホールへ向かった。



「お兄様。突然来てしまってごめんなさい。ただお別れを言いたくて。」

「アイシャ、どうしたんだ。お別れとは?」


 アイシャはベージュのシンプルな外套に歩きやすそうなしっかりとした革のブーツ、それに旅行用のトランクを一つ足元に置いていた。見るからに旅装であるその姿にダミアンは悪い予感が現実のものとなったことを理解した。


「義父母から家に戻るように勧められました。出て行けとは言われませんのよ?私を思いやってのことですわ。ですがお兄様もご存知の通り家に戻ってもわたくしの居場所はないんです。だから修道院に行くことにきめました。」

「それは・・・ずいぶん急だな。」

「義弟が婚約しましたの。義父母は落ち着くまで家にいたらいいと言ってくださったけど、こういうのは早い方がいいですもの。」


 ああ・・・そうか。確かに、家督を継ぐ予定だった兄の妻が、未亡人となってからも家にいるとなると弟の嫁との関係性など気を使う事態になるだろう。ダミアンはふう、と小さくため息をついた。

 実家に帰るように勧めたのも、落ち着くまで家にいたらいいというのも、どちらも義父母のやさしさに他ならないが、アイシャがそれをよしとしないこともよくわかっていた。


「バルドメロ領にある修道院に行きます。両親には着いてから手紙で連絡しますが、あそこなら呼びもどされることはないでしょう。」


 アイシャの両親の性格上、おそらくまだ若いからと再び貴族との縁繋ぎのための駒にしようとするだろう。離婚歴があっても相手が死別であればそうとやかく言われることはない。

 ただ、夫を穏やかに深く愛していたアイシャにとってそれがどれほどの痛みなのか、ダミアンが想像するよりも苦しいのだろうとしかわからないままただアイシャを見つめていた。


 うちに留まればいい、とのどまで出かかっている。

 そのたびにアデリナの寂しそうな笑顔が脳裏に浮かぶ。彼女に婚姻を申し込んでいる身として、アイシャを匿うことは得策ではない。

 だけどそれ以上に家族同然の従妹を見捨てるようなことを選んでいいのか。騎士に一時でも身を置いたけれど、これはその騎士道に反しているのではないか。


「・・・お兄様。お兄様の考えていることはわかりますわ。」


 何をどう口にしたらいいかわからずただ迷っている間にアイシャは足元のトランクを持ち上げ、怒りの表情を浮かべながら真っすぐダミアンを見つめた。

 その表情は最近の落ち着いたアイシャのものではなく、小さかったころに何度も見たダミアンを叱りつけるときのものだった。


「でもねお兄様。今考えていることはわたくしのことをものすごく見くびっています。そういう表情をされると非常に腹が立ちますわ。わたくしのこと可哀想だとか思っているんですの?失礼しちゃう・・・ああもう、はっきり言うけどお兄様って優柔不断なうえに女性のこと守ってあげないといけない対象みたいに思ってて、私それがものすご~~~くむかつくんです。万が一私とお兄様が恋人だったら百歩譲って多少は我慢するかもしれないけど、従妹にそんな顔して”俺が救ってやらなきゃ”みたいな考えをしてるの、本当に最低。自分のことくらい自分で決めるから馬鹿にしないで。」

「・・・え?」

「大体ね、私だってわかるんです。小さいころからお兄様と一緒にいたんだから。大嫌いな夜会に頻繁に顔を出すようになったのは好きな人がいるんでしょ?騎士をやめた後急に家のために勉強し始めたのだって、その人の為なんでしょ?だったらもっとしゃきっとして堂々としてなさいよ。腑抜けた顔して私に情をかけようか迷うくらいなら、さっさと告白して振られたらいいのよ。私、今のお兄様のこと大嫌いです。元騎士とは思えない腰抜けなのに、騎士道とやらに縋っているんでしょ?はき違えるのも大概にしてよね、最悪!」

「アイシャ・・・?」

「もし今私を家に置こうとしたらぶん殴ってやったわ。相手の女性が万が一それを許したとしても、私は許さないわ。可哀想だからうちに留まればいい、だなんてほんとありえない。お兄様がそんなこともわからないようなら私からその方にこんなダメ男はやめなさいと忠告したいくらいだけど、口にしなかっただけまだマシだと許してあげるからさっさと告白してきなさいよ。いつまでもうじうじ仕事にかまけていないで・・・それじゃあね、お兄様。一応お兄様の幸せ願っていてあげるわ。」


 頬を赤くしてまくし立てて喋ったアイシャは、いったん深呼吸し落ち着いた表情に切り替えた後ダミアンの後ろに控えているディックをはじめとした使用人たちを見て、「突然伺ってご迷惑をおかけいたしました。今まで本当にお世話になりました。」と優雅に礼をしてトランク片手に颯爽と出て行った。


 ダミアンが茫然としている間にディックはバルドメロ領まで馬車で送ることをアイシャに強く提案し、その押しの強さに閉口しつつもアイシャはバシード家の馬車に乗って修道院へと向かった。何もできることはないと思っていても、小さなころから二人の面倒をみていたディックにとってはアイシャも大切な令嬢(こども)だった。



「女というのは・・・強いな。」

「恐れながらアイシャ様が仰ったことは使用人一同が考えていることですよ。」


 ダミアンは独り言のつもりでつぶやいたが、侍女頭でディックの妻でもあるダナが返事をした。


「バシード家のために努力されているのを私共は重々承知です。そしてそうすることが相手のお方と結婚するためにも大事だということも。ですが坊ちゃん、それだけでは何も伝わりませんよ。相手の家に納得してもらうために力を尽くすのも大事ですけれど、もっと大事なことは言葉と態度でしっかり示さなくては。そして相手のことも知らないといけませんよ。アイシャ様のことですらお判りになってなかったのですもの。」


「ダナ・・・わかったよ。ただ坊ちゃんはやめてくれ。俺はもう二十六なんだよ」


 ダミアンのその言葉にダナはまだまだクソガキですと脳内で返事をした。

 小さかったアイシャがどれほどダミアンに思いを寄せていてもそれを押しつけがましくはしなかったか、妹としてしか扱われないことに心を痛めて庭の片隅で泣いていたことや、素敵な旦那様に出会って女性として扱われるようになったアイシャがダミアンへの恋心を親愛へと昇華させたことも、今のアイシャにダミアンへ頼りたい気持ちがあることも、それをしたくないというアイシャの矜持も。まだこの当主に教えてあげるつもりはなかった。




 そんなクソガキ坊ちゃん当主がダナをはじめとした女性使用人たちに頭を下げて教えを請おうとしたのは、その日の夜のことだった。



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[良い点] アイシャさん、いい女ですね!ここ最近読んだ中で一番素敵な女性でした!
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