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第五稿

やっぱ美瑠さんは抜きたくなかったし、エロコメを捨てることを決断。初心に帰って時系列に沿いつつ、授業シーンを語りで置換。千坂とアパートの前で出会うところから始めてみようと決める。

第五稿

塾講師というアルバイトは、クソだ。俺はそんな当たり前の事実に気づくのに二年もかかってしまった。


千七百円でも安いと言われるほどの時給と、大人を相手にしなくていい気楽さ。ニコニコ笑って適当なことを話していればお金の入ってくる魔法の仕事だと。そう思ったやつは、メルヒェンの世界の住人だろう。現実では、何事にも代償は付き纏うのだ。


例えばそれは、時間の不自由。

なにせ、決まった時間に、決まった場所へ、決まった顧客が必ずやってくるのだ。そこに柔軟なシフトなど存在せず、夏休みだって逞しい曜日感覚を維持することになる。

たまに生徒が欠席したならば、それは補習となってカレンダーをさらに塗りつぶす。しかも、授業給とは違って補習給は最低賃金。

なんなら、自分の担当コマを取り上げられないよう、ペーペーの新人は予習に時間をかけねばならない。もちろん、無給で。


あるいは、それは行動の不自由。

立派な立派なモンスターペアレントの方々が跳梁跋扈する現代社会において、生徒との個人的接触は厳禁だ。勉強意欲の全てをいたずら心に変換したようなおバカたちに、俺達が近隣住民であると悟られてはならない。

つまり、もし近所を歩いている時に野生の生徒とエンカウントしようもんなら、「回り込まれてしまった!」なんてことになる前に逃げ出さなきゃあならないのだ。

近所のデパートが怖いなんて感覚、他の奴にはわかるまい。


そして、これらの制限を全て受け入れたとして。その上で、努力を重ねたとして。


PCモニターに映った、たった数桁の番号の羅列。無機質な合否発表が全てが無意味にしてしまうからこそ、塾講師はクソなのだ。


「俺はやれるだけのことをやったはずなのに。なんだってこんな気持ちにならなきゃいけないんだよ」


あの日、ぼーっと家に帰った俺は、酒をかっくらっていた。祝杯として用意したはずのビールは、えずきそうなくらい苦かったのを覚えている。


「あいつ、泣きはらした真っ赤な目で俺を見るんだ。結果報告なんて電話でもいいって言っておいたのに、わざわざ校舎にやってきてさ。笑顔を作って、俺に言うんだよ。ありがとう、ゴメンなさいって」


ビールの缶を握り潰す。何かひんやり感触が伝って、どうもまだ飲み切っていなかったらしい。


「居心地が悪かったんだ。いたたまれなかったんだ。俺は来年も、こんな気持ちにならなきゃいけないのか?」


返事はなく、空転する思考。全身にぼやぁっと溜まった熱が、脳をふやかしていく感覚。


「なぁ、千坂が謝ったってことはさ」


思い返すたび、酒で記憶が飛ばない自分が恨めしくなる。


「千坂が、悪かったのかな」


「あら、冗談でも、そんなつまらないこと言えたのね。人好ひとよしくんは」


俺の話をずっと黙って聞いた美瑠が、心の底から俺に突き刺した言葉を忘れてしまえたなら。それは、どんなに楽だろうか。


◇◆◇


「ろくでもねぇ」


独り言ち、路傍の石ころを蹴っ飛ばす。アスファルトのダークグレーの上を跳ね転がるそれは、すぐに見分けがつかなくなった。

疲れ切った顔の会社員たちと、すっかり出来上がった学生の群れがうろつく、ベッドタウンの象徴たるK駅を離れれば。まばらな街灯がぼんやりと照らし出す、ちっぽけな帰り道。九月のぬるい夜気にあくびを浮かべ、歩き飽きた道を一人で帰っていれば、余計なことを思い出すことも少なくない。


もう、あれから二年になろうとしている。

千坂は、塾を卒業してから一度だけ、顔を見せた。第二志望校の臙脂色をした制服を着ていて、近頃の制服にしてはえぐみの強い色を使うもんだと思った。

美瑠は、だんだんと俺の家に顔を出さなくなった。事実婚だとまで言われた俺たちの噂は急転直下。黒髪艶やかな冷たい美人であるところの美瑠を擁護するように、大学では俺の事実無根な悪評ばかりが流れている。


そのくせ、たまに「遊びに来たわよ」と顔を出しては、部屋の汚さに文句をつけ、ついでに掃除をして、夕飯を作ったら帰っていくのだ。竜巻のようで、しかし拒めない彼女。

そのささやかな反抗として、俺は大学四年生になるまで塾講師を続けてきたのかもしれない。


「だっせぇ」


角を曲がり、路地に入る。一本ひょろりと張り出した木の枝に、顔から突っ込んだ。引っ掻かれたような痛みがあって、虫がついちゃいないかと顔を払った。

毎度毎度引っかかって、俺もよく飽きないもんだと思う。それも、このすぐ先に俺の住んでいる安アパートがあって、すぐさま自分の無様を忘れてしまうからだろう。

いつも通り、明滅する蛍光灯を、照らされる薄っぺらい階段を見つけて。


いつもと違う、何かがあった。


いや、正しくは誰か。

丸々としたシルエットは、階段の段差に座り込む背中であり、スーツというにはちゃっちいあれは、どうも制服であるらしい。

腕時計を見る。間違いなく夜の十一時だ。

もちろん、おそらく女子であるところの不審者は、うちの住人じゃない。大家の部屋まで合わせて六部屋しかないのだから、あんな目立つ臙脂色の制服を忘れるわけがない。


そう、あの臙脂色を。


生唾を飲む。

彼女がここにいるはずはない。住所がバレないよう、どれだけ気を使ってきたと思ってる。

ただ、二階に続く階段に座り込む彼女を無視するわけにもいかず、俯くツンツンとしたショートの茶髪は、もう見間違えようもない。

隣に立ち、見下ろす。気付いてないわけがないだろうに丸まったままではいるものの、彼女の横に置かれた学生鞄にぶら下がる、所々塗装の剥げたキャラクターアクセを見て。俺はいらない確信を得てしまった。

チカチカと、急かすように光る蛍光灯。仕方なく口を開いた。


「なぁ、お前、千坂だろ」


びくりと肩が跳ねる。それだけ。

俺はため息をついた。


「千坂、お前がなんでここにいるのかは知らないけど、もう帰れ。今何時だと思ってる」

「……偶然、見つけたんです」

「は?」


くぐもった声で、初めて返事があった。普段は喧しいのに、すっかり萎れているものの。やっぱり、千坂だ。

だったら最初から返事をしろとか、そもそも顔を上げて話せとか、言いたいことは多々あるが、とりあえずは彼女の言葉の続きを待つ。


「学校が終わって、家に帰りたくなくて。それであてもなく歩いてたら、そこに人好って」

「そこって……あぁ、郵便受けか」

「……」

「じゃあ、もう俺とは会えたろ。いつ補導されてもおかしくない時間なんだから、早く帰れ」


わかってはいたが、千坂はふるふると首を振った。

明らかに何かしらの問題を抱えている。口ぶりからして家庭の問題のようにも思えるが、まぁ、何でもいい。大事なのは、そんな千坂が俺を待っていたということだ。


「言っとくがな」


千坂の、赤くなった目を思い出す。


「俺は何もしてやれないし、してやらないからな。そこにいるだけ無駄だし、警察を呼んだっていい」


あれだけは、もう見たくなかった。

千坂が膝を抱く腕に力を込めた。握り締められたブレザーは、すっかりしわくちゃだ。

ひどいことをしている自覚はあるが、罪悪感は薄い。


「でも、人好せんせは、私を覚えていてくれました」

「そりゃあ、一年間の付き合いだし、まだ二年しか経ってないしな」

「それでも、ちゃんと千坂だってわかってくれました」

「あのなぁーー」


要領を得ない千坂に苛立ち、髪をかき上げたとき。ちょうど千坂が、顔を上げた。

不意なことで、正面から向き合ってしまう。



というわけで、第五稿。


唯一書き途中でボツにしたやつで、今思うとなんでボツにしたんだろう。多分、ここまで書いた時点で、「あ、これ、可愛い千坂が書けないじゃん」って気づいたから。

二話がある普通の連載なら許容できたんだけど、一話しかない書き出し祭りでは千坂の可愛さを出していきたかった。


あくまで浜さんは、可愛い女の子がヒューマンドラマするところを書きたいのです。


でも、今思えばこっちなら、美瑠さんいらないのでは?という感想が出なかったのかなって。

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