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シュート・ザ・ムーン  作者: 字書きHEAVEN
8/8

Ed

 リンゴン、と耳触りな音が響く。

 それが自室のインターホンのものだと気付いて冴子の意識は急速に覚醒した。

 寝巻き姿のままどたばたと玄関まで駆けて、チェーンを外し、ドアノブを捻る。

 緑の制服の配達員が立っていた。

「あ、すいませんお届けものです」

「ど、どうもです」

 サインを交わして、小包みを受け取る。

 自分の格好を思い出しながら赤面しつつ、顔を上げてお礼を言った。

「ありがとうございました。……御免なさいこんな格好で」

「――ふ。いえその、またよろしくお願いします!」

 快活な挨拶を残して去っていく配達員。

 なんだろう今のは。一瞬、笑われたのだろうか。

 首を傾げながらリビングに戻り、冴子は小包みをテーブルに置く。

 差出人の欄には青島とあった。

(職場で渡せばいいじゃん……)

 胸中で呟きながら包装テープを剥がしていくと、中から出てきたものは三つ。

 ブルームーンのネックレスと手紙が二通。前者はもちろん、新巻鮭に渡していたものだ。

 冴子は思い返す。

 ――あれから三ヶ月経った。

 新巻鮭が冬眠から目覚めたのは、自殺未遂から三日後のことだ。

 回復した彼は無事、その翌々週の技能試験を受け、見事に通過。

 そのまま正規雇用となっていた。

 もちろん、それまでの日々は彼にとって、まさしく地獄のようなものであったのだろうが、その中身については彼と、冴子の口から漏れることはないだろう……ともあれ。

 二通の手紙のうち、ひとつは職場からの辞令だった。

 雇用契約書ほかもろもろの書類が入っている。

 これは事前に告知のあったことだが、冴子は次回の契約更新に伴い無期雇用となる。

 まあ、正職員と言ってもやることは変わらないが。

(ま、もうちっと頑張ってやるかな)

 などと、脳内で呟いて、もう一つの手紙に目を向ける。

 差出人は、新巻鮭昇。

(……一応、お礼の手紙なのかな)

 恨み言が書かれていたり、退職希望とかだったらどうしようか。

 ここから先は準備してから読むことにした。コーヒーを淹れて、テレビを点ける。

 休日のワイドショーが微妙に面白そうな特集をしていたが、とりあえずは無視。

 一呼吸おいて、改めて三つ折りの手紙を開く。

 ――かくしてそれは、実におかしな一文から始まっていた。

 

 われらがヒーロー 田嶋さんへ


 すっかり寒くなりましたね。毎日いかがお過ごしでしょうか。新巻鮭です。

 こちらは毛皮にスーツなので、とても過ごしやすい時期になって参りました。


 この手紙を読む頃には、田嶋さんも正職員になっている頃でしょうか?

 秋口に一度、祝勝会をした時に言っていたので、多分そうなんだろうと思っています。

 あの時に会った二人とは今でも連絡を取り合っているんですが……天野さんは最近また、気持ちが落ち気味みたいですね。でも田嶋さんがいるから大丈夫かな?


 前置きが長くなりましたね。あの時のこと、まだ謝っていませんでした。

 病院で目が覚めてからの二週間、一度も言う機会がもらえませんでしたから……。

 だからお手紙で恐縮ですが伝えさせて下さい。

 すみませんでした。

 そして、ありがとうございます。本当にありがとうございます。


 あのとき、俺の目の前にはやりたいことがあって、戻りたい世界がありました。

 あの青い月をぶん殴って戻れるなら、どんな手を使ってでもそうしたでしょう。

 そのことを諦めて、しばらくは頑張れたけれど、だんだんと見えていた道が狭くなっていって……戻りたい世界が霞んでいきました。

 気付いた時には自分が人間なのかもよく分からなくなっていたんです。


 新愛なる田嶋さん。もう一度だけ伝えさせてください。

 本当に、ありがとうございました。

 また仕事ができるようになってからも身体の不便さと俺自身の不器用さに悩んでばかりですが、もう道を見失うことはないと思います。


 あなたは戻りたい世界を、何より俺の心を守ってくれた。

 お身体に気をつけて。また無理ばかりしているかと思います。

 皆も、心配しています。


 追伸 お守り、借りっぱなしだったのでお返しします。

                           新巻鮭 昇 

   

 「……ふぐっ」

 冴子は目やら口やら鼻やらを押さえていた。

 おそらく、人生で一番長く、そうしていたのではないだろうか。

(冷静に、冷静に……)

 ぐしぐし、と袖口で顔を擦って、改めて文面へと視線を落とす。

 手紙は全て、律儀で几帳面な彼の性格を反映したような達筆な文字で書かれていた。

 以前の彼には書けなかった、『人間の手』でしか再現できないような文字だ。

 驚くべきことだが、退院してから少しの間に、しゃけさんの身体には『変化』が起こっていた。

 長い爪を切り落としてからの地獄のような特訓の成果だろうか。

 両手の体毛は薄くなり、まんまるく短かった五指は少しだけ伸びていた。

 往年の爆速プログラミングとやらに届いたのかは分からないが、専用パットの扱いは短期間で劇的に向上したのである。

 そしてどうもこの手紙を見ると、手先の器用さはさらに磨かれているらしい。

 ふと……。

 視線を水平に動かすと先程のワイドショーが続いていた。

『獣人化に光明! ブルームーンが病を治す』

 見出しにはそんなタイトルが躍っている。

(……まさかね)

 手元に帰ってきたネックレスを弄びつつ、冴子はかぶりを振った。

 ひとまず、顔を洗おう。あれとかこれとかを落とさないと……。

 そんなことを思いながら洗面台に向かう。

 蛇口を捻る前に、冴子は一度だけ鏡を確かめた。

「あ」


 ネズミのようなヒゲが生えていた。


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