「聖女」とよばれても。
18歳の誕生日。
小さなホールケーキに1と8の数字の蝋燭を立てて吹き消した。
家族の「おめでとう」という言葉に「ありがとう」と返した。
その日の夜、ついお風呂でうとうとして目が覚めた時には、天蓋付きのベッドに寝かされていて、テレビでみたロシア正教の偉い人みたいな格好をした人たちに囲まれていた。
夢かと思って、また目を閉じたけれど、夢じゃなくて現実だった。
「聖女」
それが私の肩書き。名前は聞かれなかった。
暫く神殿で過ごしたあと、王宮へと私は移された。
そこではきらきらしい男性達と引き合わされた。
王太子、文官、魔術師、騎士、王弟。
見目も良く地位も高い男性達に優しく言葉を掛けられて、舞い上がらないわけもなく。
平凡な自分が、まるで特別な人間になったかのように錯覚してしまった。
そう…錯覚。
この世界の人たちが望んでいるのは、私という「個」ではなく「聖女」という存在だけ。
別に私でなくとも、神殿に現れた人間なら誰でも良かった。よくよく考えてみれば、名前も聞かれなかったのだ。どこから来たとも聞かれなかった。年齢すらも。
周りに付いてくれている侍女よりもはるかに劣る出来の、大してスタイルもよくない、地味な顔だちの私をちやほやしてくれているのはただ単に「聖女」だから。
「へらへらした大して可愛くもない笑顔にどんな価値があるのかわからないが、確かに聖女が来て以来、魔物の数は激減しているからね」
「機嫌良く笑わせておけばいいのなら、芝居だろうが何だろうが頑張るさ。これ以上騎士団の人間を疲弊させたくないからな」
無理を言って、自分で作ったクッキーを王太子に食べて貰いたいと執務室のドアに手を掛けた時に聞こえた言葉。相手は、宰相の息子の文官。
「殿下が頑張ってくださっておられるおかげで、我らの負担も随分と少なくなりました」
魔術師の声も聞こえる。
「そういえば、あいつは今何してるんだ?」
騎士の声も。
「厨房を借りたいと随分ごねてたようだ。今頃、何か作っているのではないか?」
「素人の作るものなど食べたくもないが、例えゴミでも『美味しいですよ』と言わなければならないのが苦痛だね」
「殿下なら余裕でしょう。そろそろプロポーズして逃げられないようにしてくださいよ」
「わかっている。だが、あれを妃にしなければならない私の気持ちにもなってくれ」
あぁ、そうか。
そうだよね。
指先が痛いくらいに冷える。
馬鹿馬鹿しい。
馬鹿馬鹿しい茶番だったのか、今までの笑顔も優しさも全部。
乾いた笑いがこみ上げてきそうになる。
幸いにして私が聞いていることは気がついていない。人払いもしているらしく、いつもは扉の脇に立っている衛兵もいない。
今、本音を聞けて良かったのかもしれない。
あのまま、勘違いしたまま、王太子妃などになれば恥を掻くのは私。裏で嗤われているとも知らずに、脳天気に笑顔をまき散らしていたに違いない。
高3になっても告白されたことのない私が、異世界に来たからといっていきなりモテるはずがない。そんなことに気がつかずに浮かれていた自分が恥ずかしくて情けなかった。
そっと足音をたてないように、与えられた部屋に帰った。
それから私は部屋に引きこもるようになった。
今まで何も考えずに彼らに会いにいっていたが、ぱったりと行かなくなった。彼らが訪問したいと言ってきても何かと理由をつけてなるべく会わないようにした。それでも避けられない時には、笑顔を貼り付けてやり過ごした。
そんな私に焦りを抱いたのか、王太子が求婚してきたが、私は断った。
「許されるのであれば、神殿で過ごしたいと思っております」
そう言って。
私の望みは却下された。見たくもない女の顔を見ずにすむのだから名案だと思ったのに。
だが、王太子は何回も何回も私の部屋にやってきては陳腐な口説き文句を垂れ流しては求婚する。
まるで、その想いが真実であるかのように。
「…何が望みなのかしら」
先程までいた王太子は、今日もまた甘い言葉を連ね、お約束のように求婚していった。
薄く笑みを浮かべたまま、適当に相手しながら最後の求婚にははっきり断りの言葉を述べる。まるで儀式のように繰り返されるそれは、もう半年続いていた。
「殿下は聖女さまの承諾が欲しいのですよ」
眉を下げて困ったような笑顔で侍女の一人が言った。
「好きでもないのに是とは言えないわ」
「でも聖女さま、以前は…」
「あれは拾われてなつく子犬のようなものよ」
「子犬でございますか?」
「ええ、餌と小屋を与えられ、頭を撫でられて、勘違いしたの」
「聖女さま、」
「今は鎖に繋がれて、ただ空を眺めているだけ。息をしているけど死んでいるようなものね」
「何を仰有います!殿下はお暇ではないのに毎日毎日こうやってお出でてくださっているのですよっ?それをっ!」
気色ばんだ侍女の一人。彼女が王太子を好いているのはわかっていた。王太子に素っ気ない態度をとる私に腹を立てていることも。
「そうね。ではその手間を省いて差し上げるわ」
王太子が来ると言っては毎回着飾ることを余儀なくされる私は今も美しいドレスと共に高価な装飾品を纏っている。どれもこれも王家からの贈り物だ。
それを一つ一つ外し、柔らかな絨毯の上に落としていく。
外していく毎に身は軽くなっていく。
外しながらバルコニーへと近づいていく。
無造作に床へ落とされていった装飾品やドレスを慌てて拾いながら整える侍女たち。
私自身の動向については気にも留めていない。面白いほど私には興味ないのがわかる。
ふふっ
自然に笑顔が浮かぶのは久しぶりだ。
私がバルコニーの手すりの上に立っていることにすら気がついていない。
「さよなら」
小さく別れを告げる。
顔を上げた侍女が青ざめるのを見ながら、私は冷たい石造りの手すりとも別れを告げた。