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月下のスズランは耳を澄ませる  作者: 森江みな
旧九条邸の秘密
8/8

最終話

トウマはうつむいたままで、僕たちからその表情は分からなかった。

「お前が什磨(とおま)なのか!?」

主人は什磨に伸ばしかけた手を、止めた。僕が主人と什真の間に割り込んだからだ。

「僕が鑑識の東間(あずま)さんを間違えてトウマと呼んだ時に貴方が振り返ったのです。それがずっと引っかかってたんです。九条家の名前には数字が入っているでしょう?だから偶然だとは思えなくて。それに僕が九条家に偶然引き取られたと聞いたとき恐ろしく冷たい顔をしたんです。僕は拾われた子供で、什磨さんは九条家の血を引く者ですから。だから佐久間様を殺して僕に罪を着せて陥れようとした。」

 什真は依然として何も言葉を発しなかった。顔にかかった前髪の影がわずかに揺れていた。

「什真さんは佐久間様とグルになって千景と偽り、九条家に近づいた。しかし、佐久間様は殺人事件に発展しまうとは思いもしなかった。事件になれば当然、身元調査も行われ、什磨さんが孫でないことが、いずればれてしまう。なので犯人だとも知らずに什真さんに吉乃千景ではないことを打ち明けようと提案したんじゃないですか? しかし什磨さんは目的を達成するまでその嘘が露呈することを避けなければならなかった。だから佐久間様を殺したのです。」

 僕は軽く息をついて、唾を飲み込んで乾いた喉を湿らせた。

「だから、什磨さんには僕を陥れる理由も佐久間さんを殺す理由もあるんです。そしてあなたの本当の目的は、」

僕は主人を自分の背後に回して、身構えた。

「潮見様と佐久間様を殺したナイフ、今も持っているんでしょう?陸玖様を殺すために。」

 バッと什磨が顔を上げた。僕はその表情がとても歪んでいるのを見た。

 什磨はスーツのジャケットをたくし上げると、背のあたりから細長い棒状のものを取り出した。巻きつけれたタオルがはらりと落ちると、きらりと光る刀身が現れた。

それは、調理場からなくなっていた小ぶりの包丁だった。刀身とタオルにはべっとりと血液が付着していた。潮見と佐久間のもの、両方だろう。

 什磨はまっすぐ主人を見ていた。そして包丁をお腹の前で構えると主人の前に立ちはだかっている僕をめがけて突進してきた。

 「真白!」

陸玖様が僕の腕を思いっきり引いて自分の方に引き寄せた。だが、もう間に合わないと思った。包丁の刃は僕の腹部から20㎝のところまで来ていた。

 しかし、什磨は視界から消えて、次の瞬間には地面に叩きつけられていた。

 遅れて床を叩く音が聞こえて、カラカラと包丁が床を滑った。

「そんなもん振り回したら、危ないだろうが。」

什磨の包丁を持っていた手を掴んでいたのは間宮だった。そしてそのまま手錠をかけた。

什磨は自分でも何が起こったのか分からないようだったが、手にかけられた手錠を見て、主人に向かってと暴れ出した。

「ふざけんな!!今更、ふざけんなよ。俺たちがどんな思いで生きていたと思ってんだ。何が家だ、家督だ、それは家族より大事なのか? お前ら九条家はろくなもんじゃない。母さんは、爺さんに認められようと必死だった。母さんも家族がいなかったから、九条が本当の家族になると信じてた。だけど、お前が帰ってくるとなったとたん爺さんは目の色を変えたよ。すぐ俺たちをゴミみたいに捨てた。爺さんは一生懸命九条の嫁になろうとした母さんよりも、サラブレッドで優秀なお前を選んだんだ。」

 什磨の吠えるその姿はまるで猛犬のようだった。止めどない殺意と憎悪が主人に向けられていた。

「母さんはせめて俺を立派に育てようと、必死に働いてとてつもなく学費の高い慶帝大附属高校に通わせてくれた。それで半年前、過労がたたって事故に遭い、死んだ。だからお前を殺すことを決意した。佐久間の豚野郎に自分が九条の人間で4階の秘密を知ってると言って近づき、千景と偽わって九条家に忍び込み隙をついて殺そうと思った。そしたら、驚いた。お前がこんな野良犬のようなやつを拾ってそばに置いていたことに。だから、潮見を殺してこいつの犯行のように仕立て上げた。俺の正体をばらそうとした佐久間も殺した。何人殺しても構わなかった。捕まっても構わなかった。九条陸玖、最終的にお前を殺せるならな。」

 そこまで言うと、什磨はついに膝から崩れた。「畜生」と吐き捨てる声は弱々しく、目からは涙が溢れていた。

 一同は九条系の隠されていた事実に、黙り込んだ。


「什磨、聞いてくれ。」

ついに、主人が口を開いた。

そして間宮が捕えている什磨の近付き、目線を合わせるように片膝をついた。

「俺がもっと早くお前を探せば良かった。少しでも援助をすることができればお前の母が死ぬこともなかっただろう。本当にすまなかった。」

自分にも他人にも厳格でプライドが高い主人が真摯に頭を下げる姿に什磨は驚いたようだった。

「だが、俺は祖父の判断が間違っていたとは思わない。」

主人ははっきりと言い放った。

「なんだと!」

「お前が九条家から追い出されてからの10年良かったと思えたことはあったか?」

什磨は黙り込んだ。彼は母親のこと、学校のこと、友人のことを思い浮かべていたと思う。

「それらはお前が九条家にいる限り体験できなかったものだ。この家の者として生きるということはそういうことだ。祖父もお前に普通に生きてほしかったのだろう。」

ふと見た水瀬も苦い表情をしていた。何か共感することがあるのだろう。

主人は僕の方を振り返って、手招きをした。僕は主人の横に立って什磨と向き合った。

「真白は、誰から生まれたかも分からない子供だ。生まれてからすぐに人攫いにあって15年間も山奥の小屋に閉じ込められていたんだ。こいつは来る日も来る日も薄暗く音も聞こえない部屋の中で、父親だと思っていた誘拐犯に与えられた本を読みながら過ごしていた。外に興味を示せば暴力を振るわれた。15年間だ、想像できるか?

 俺が真白を発見したとき、こいつはほとんど視力がなくて危うく失明するところだった。耳は山鳥の鳴き声で鼓膜が破れてしまうほど繊細になっていた。治療した後もこいつの目には重い障害が残った。せっかく外の世界に出られたというのに、景色を眺めることもできないんだ。

 もし、お前が真白の立場だったら、軟禁した男を憎んだだろう?人攫いに遭わせた両親を憎んだだろう?だけど、真白は誰も憎まなかった。それどころかその男のために涙まで流した。そんな真白だから俺は何があっても守ると決めた。」

主人が僕の肩に乗せた手に力が入った。

「俺を恨むのは結構だが、真白を傷つける奴は絶対に許さない。」

そして立ち上がると、いつもの見る人を凍りつける冷たい視線で什磨を睨みつけた。

「お前はまだ17だからそう長くない未来に自由の身となるだろう。その時、まだ九条家への憎しみが収まらなかったら俺のところへ来い。この遺言書をもって。」

主人は胸ポケットから取り出した小さな茶封筒を、手錠をかけられた什磨のジャケットの胸に差し込んだ。

「ふざけるな、金なんかで……」

間宮は再び抵抗しようとする什磨を押さえつけた。

「お前はただ認めてもらえずに駄々をこねてるガキだ。だが、そのために2人の命を奪った。その罪を恥じ悔いろ。」

 

「九条什真、殺人未遂の現行犯、及び潮見一郎・佐久間巌の殺人容疑で逮捕する。」


屋敷に戻る車の中で、主人は窓の外を眺めるばかりで一言も発しなかった。

「この家で生きるということはそういうことだ。」

あの時主人が什磨に言った言葉が僕の中で渦巻いていた。

エリク王は言っていた。

「人の上に立つものは皆を見渡すために、高い場所にいなくてはいけない。だから、いつもひとりぼっちなんだ。」

もしかしたら、陸玖様はずっとひとりぼっちだったのかもしれない。

「陸玖様。」

僕が声をかけると、主人は窓の外から視線を離して、僕の方を見た。

「僕、閉じ込められていた時、ずっと独りだったんですけど全然寂しくありませんでした。というか、寂しいという感情を知りませんでした。でも、陸玖様に引き取ってもらってから、梨沙さん、梨子さん、あと田辺さんとたくさんお話しするようになって、一人でお留守番しているとき『寂しいな、早く帰ってこないかな』って思うようになったんです。

一生懸命話す僕の意図を掴めなかったのか主人はきょとんとしていた。

「うまく言えないですけれど、でも僕は寂しいと感じるようになってからの方が好きです。楽しいです。だから寂しいのはいいことだと思います。」

僕は言い切ると、満足して鼻から息を出した。

「お前、俺を慰めてるのか? 」

そういって主人は笑った。めったに見せない主人の笑顔に僕はなんだか恥ずかしい気持ちになった。

「真白。今日はお前にたくさん助けられた。」

僕は主人から初めて褒められて嬉しくなった。

「陸玖様を市中引きずり回しからお守りできて嬉しいです。」

停車中の運転席で、田辺さんが慌てる音がした。

「真白、明日から1時間勉強時間を増やせ。分かったな、田辺。」

にこっと笑った主人から冷気を感じ、僕と田辺さんは凍り付いた。


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