第六話
「お爺様が!?」
千景は廊下を飛び出して佐久間の部屋に向かった。
僕たちも慌ててそのあとを追った。佐久間の客室には、腹部を刃物で刺され流血した佐久間が仰向けに倒れていた。
「えっ……っぐ……」
千景はボロボロと涙をこぼした。僕は胸ポケットのハンカチで千景の手の隙間から流れる涙を拭った。
佐久間の遺体が運び出されるとすぐに現場検証が始まった。
「こちらのウォッカはご持参されたものですか?」
鑑識の男性が、備え付けの冷蔵庫の中に見つけたウォッカの瓶をこちらに差し出した。アルコール度数が45パーセントのラトビア製のもので、半分ぐらい消費されていた。
「いえ、そちらは私が千景様にお渡ししたものです。」
田辺さんが、千景に目をやりながら言った。
「お爺様に頂いてくるように言われたんです。お酒に目がないんです。」
千景が僕のハンカチで涙を拭いながら言った。
鑑識の男性が、そのウォッカの栓を抜くとあたりにアルコールの匂いが部屋を充満する。
・・・あれ?この匂いどこかで?
僕は嗅いだことあるこの香りに首を傾げた。
「こんな時に無神経かもしれないけれど、君たちずっと一緒にいた? 」
間宮さんは、その言葉とは裏腹に攻めるような態度で聞いてきた。
「僕は千景さんと一緒に部屋に戻って、お風呂に入った後、千景さんの部屋でずっとゲームをしていました。」
僕は田辺さんの陰に隠れながら言った。
「途中で部屋を出たりしていない?」
「はい、僕と千景さんの浴室は壁合わせになっているので、お互いに入浴している音が聞こえていたと思います。」
今、旧九条邸に残っているのは、僕、主人、田辺さん、千景、水瀬の5人だけだ。そして、この中に犯人はいる。それは火を見るよりも明らかな事実だった。
「田辺さんと九条さんは一度も2階に上がっていませんので犯行は不可能です。」
足早に駆け寄ってきた部下と思わしき男性から間宮は紙ぺらを受け取った。
「とすると犯行が可能だったのは、水瀬さんあなただけです。そして九条さん、潮見さんと佐久間さんをここに招待したのは貴方です。あなた方は小学生のころからの幼馴染だそうですね?署までご同行おねがいします。」
間宮はその1枚の紙を主人と水瀬に差し出した。それには、逮捕状と書かれている。
「そんな!僕ではありませんよ!」
抵抗する水瀬を、ぞろぞろと入室してきた間宮の部下たちが両脇から抑えた。
「お話は署で聞かせてください。」
間宮は羽織っていたコートから鉄製の手錠を取り出すと、主人に近づいていった。
「殺人の容疑で逮捕する。」
主人は反抗も反論もしない。
僕はこの状況が何を意味するのかを理解していなかったが、とてつもなく不安になり、田辺さんを振り返った。あの常ににこやかな田辺さんですら酷く狼狽えた表情をしていた。そんな田辺さんの様子に本当にただことではないことを察した。
このままだと、主人は連れていかれてしまう。
カチャり。
手錠の鉄の鎖がぶつかる、音がした。
「陸玖様を離せ!!」
僕は主人と間宮の間に滑り込むと、思い切り間宮を主人から遠ざけようと思いっきり押した。しかし、体格の良い間宮は一歩よろけただけだった。間宮はうっとおしそうに、彼を押す僕の手を掴み上げた。その拍子に、僕はバランスを崩し床に膝をついた。
「おい、子供なんだ。手荒な真似はするな。」
主人に制止され、間宮は掴み上げていた僕の腕を離した。掴まれていた部分が赤くなっていた。
「間宮様。貴方は、全然見えてない。」
僕は立ち上がると、主人に手錠をかけようとする間宮に言い放った。
「なに?」
間宮の手がぴたりと止まった。
「陸玖様は犯人ではありません。僕に証明させてください。」
僕は間宮をにらみつけた。間宮も一瞬僕をにらみ返したが、「面白い」と笑った。
そして水瀬を連れて退室しようとする部下を制止した。
僕たちは再び客室に集められた。
「それで、犯人が誰なのか教えてもらおうか。」
間宮が挑発的に言った。主人の水瀬の脇には間宮の部下が控えていて、すぐにでも連行できる状況にあることを表していた。
「陸玖様、よろしいですか。」
「構わない。言ってみろ。」
主人は自分が逮捕されるかもしれないという状況でも一切動じた様子はなかった。僕は頷くと、間宮に向かって語りだした。
♢
「まず、この中に嘘をついている人間が二人います。そのうちの一人が潮見様と佐久間様を殺した犯人です。」
僕は全員をゆっくりと見渡した。
「まず、潮見様殺しについてです。犯人は佐久間様の部屋で見つかったウォッカのボトルを潮見様に渡しました。ウォッカを飲んで酩酊している状態なら殺しやすいからです。それにもしかしたら、潮見は酩酊すると子供を襲う癖があって、それを犯人は知っていたのかもしれません。でも、ウォッカを渡すこと自体は口実にすぎず、本当に渡したかったのは雑誌の記事だったのです。潮見を調理室に誘導するために。そして、犯人は潮見が調理室にいることを知りながら、僕に疑いが向くように僕を調理室に向かわせた。実際に潮見様からは、先ほどのウォッカと同じ匂いがしました。そして僕が潮見から逃げるように部屋に逃げ戻ったのを聞き、潮見様が酩酊しているのを確認し、自ら調理室に行き潮見様を殺しました。」
「とすると、ウォッカを持っていた佐久間さんがやったって言うのか?」
間宮の言葉に僕は首を横に振った。
「もし佐久間様が殺されてなければそのように考えたと思います。佐久間様ならご自分が載っていた雑誌の記事を持っていてもおかしくないですし。でもそう考えると、」
「自然すぎて、不自然だな。」
水瀬のつぶやきに僕は頷いた。
「そうなんです。佐久間様が怪しすぎて不自然なんです。人を殺害する場合に自分に結びやすい証拠をこんなに残すとは思えません。」
「だとすると誰が? 潮見さんの殺害については誰もアリバイがないんだぞ。それに確か、潮見さんを最後に見たのは君じゃなかったか?」
間宮はまだ僕を少し疑っているようだった。
「潮見様が殺害された晩、僕は千景さんと、この屋敷を探検していたんです。その時に一階の小ホールを見つけました。ホールの壁には写真がかけられています。おそらく、九条家の歴代当主が家を継がれた時の写真だと思います。その中で、千景さんは九条源七様だけは分かったんです。その写真は40代前半の頃、すなわち源七様が九条家を継いで間もないころのものでした。当然、千景さんは生まれてないし、広く知れ渡っている源七様のお姿でもありません。では、なぜ千景さんがお若いころの源七様を知っていたか。僕はそれをずっと考えていたんです。それで、疑問が浮かんだんです。それは千景さんが、潮見様のポケットから見つかった雑誌の切れ端の本体を持っていて、切り抜いた部分でないところに源七様の写真が載っていたからではないか、と。」
千景は信じられない、といった表情をした。
「真白君は僕を疑っているの?」
千景の傷ついた表情に僕は居たたまれない気持ちになった。
だけれど、僕は主人を守らなければならない。
「佐久間様は本当に貴方にウォッカを持ってくるように言ったのでしょうか。千景さんと佐久間様の寝室は潮見様の部屋を挟んでいますし、佐久間様の部屋が階段に最も近いのに千景さんを介するのはおかしいです。」
「潮見様からウォッカの匂いがしたって言うのも君の勘違いでしょ。お爺様は本当にウォッカが好きで―――」
僕は千景の言葉を遮った。
「僕聞いてしまったんです。佐久間さんの娘さん、つまり千景さんのお母様にウォッカが好きでないことを。千景さんはそれを知らなかった。」
ちょっと待った、と間宮が口を挟んだ。
「千景くんのアリバイは君が証明してる。」
僕は頷いた。
「僕に千景さんのアリバイを証言させるために、つまり、犯行推定時刻にシャワーを浴びてると印象付けるために水出しっぱなしにしてたんだと思います。千景さんはシャワーを浴びていると見せかけて佐久間の部屋に入り、佐久間を殺した。そして何事もなかったように血痕をシャワーで洗い流した。」
「そんなのもしもの偶然が重なっただけじゃない。そもそも僕には、そんなことをする動機がありません。」
千景は僕を睨みつけた。先ほどとは変わって今はもう憎しみに近いものが僕に向けられていた。
「あります。その前にもう一人の嘘をついている人物をについてお話します。」
僕は一度大きく、息を吸った。そして、視線をそらしている主人を見た。
「それは……陸玖様、です。」
「なんだと?」
主人の名前を出した僕に水瀬と間宮は立ち上がった。
「4階の部屋の扉は開きませんが、開かずの間ではない。違いますか?」
主人は一度眼を瞑り、そしてゆっくりと開けて僕を見た。
「何故分かった?」
一同が驚愕の表情を浮かべた。
「僕が初めてこの館を訪れたとき、陸玖様は2階にいたのに、そのあと4階からの部屋の奥から何かが転がるような音がして、僕がノックしたら、陸玖様が2階からこちらへ歩いてくる音がしました。その音の正体が気になっていたのです。そして僕気づいてしまったんです。その音がエレベーターの音であることに。」
僕が聞いた金属音と何かが転がる音は、陸玖様を乗せたエレベーターのロープがモータによって巻き上げられる音だったのだ。
「そうだ。あの二階の奥の部屋にはもともと執事が物資を主の部屋に送るための手動の隠しエレベーターがある。人が一人乗れる程度の小さいものだ。俺はあの扉を開けずとも4階の部屋に入ることができる。」
「あの部屋にあるのは、なんですか?」
僕の言葉に主人は少し躊躇いを見せたが、意を決して静かに答えた。
「遺言書だ。」
主人の言葉に、僕の疑惑が確信に変わった。
「祖父はこの世を去る際に、ある人物に当てた遺言書をあの部屋に残した。だが、屋敷の者がその遺言書を見れば故意に破棄するだろう。だから、祖父はあの部屋の扉を閉ざした。そして俺に頼んだんだ。俺が九条の家督を継いだ時、その遺言書を回収して財産を渡してほしいと。」
「じゃあなんで僕を呼んだんだ!」
水瀬は訳が分からないといった様子だった。
「開かずの間の噂が広まってしまったからだ。俺が不正に九条家の継承したのを隠すためにあの部屋を開けないのだと。その噂を払拭するためには、この屋敷を売却するしかなかった。だから、俺はこの屋敷に来てすぐに、遺言書の回収をした。誰かがあの扉を開けてしまうかもしれなかったから。」
間宮が問う。
「では、その遺言書は誰に当てた者なんですか。」
主人の視線はどこにも向けられていなかった。
「義弟だ。」
「義弟?」
水瀬と間宮が声を合わせた。
主人と付き合いの長い水瀬も知らなかったことらしく、驚きを隠せずにいた。
「俺の母は有力な政治家を何人も輩出している名家の令嬢だった。」
主人の両親の話を聞くのは僕も初めてだった。
主人の、父・八道と母・玖瑠海は二人は政界と経済界に繋がりが持つために、両家によって関係を持たされた、いわゆる政略結婚であった。二人の間に愛は無くやがて、八道は夜な夜な外で遊び歩くようになり家にも帰らなくなった。そんな八道を見て主人の祖父・源七は八道に九条家を継がせることを断念した。だから、順当に孫の主人が次期後継者として選ばれた。そして、陸玖様が全寮制の中学校に入っている間に、ついに玖瑠美は外で男を作って出て行ってしまった。妻に出ていかれた八道は愛人を連れ込んだ。その女性は八道の子供を孕んでいたのだという。スキャンダルを恐れた源七は口を出すことができず黙認していた。
「しかし、俺が大学を修了して、九条家に戻ってくることになったのをきっかけに源七は、愛人の女性とその子供を追い出した。彼女らを捨てて、俺と俺が今後背負っていく九条家を守る決断をしたんだ。」
そう続けた主人の言葉はまるで罪を背負っているようだった。
「だが、祖父はずっと後悔していた。父はろくでもない人間で、その女性は自ら愛人という立場を選んだ。しかし、その子供には罪はない。だから、祖父は死に際に、俺が祖父の遺産を相続したら、その子供に内密に会ってこの遺言書を渡してほしいと言った。その子供の名前は―――」
「その子供の名前は九条トウマ。千景さんの本当の名前ですよね?」