第三話
「到着いたしました、真白様。」
僕は田辺さんに揺すられて目を覚ました。
どうやら眠ってしまったらしい。僕は眠い目をこすり、自分が車内にいることを認識した。と同時に、自分の言動を思い出して青ざめた。
命の恩人である主人に対してなんてことを言ってしまったのか。もし、主人が僕を見つけていなければ僕はいつ死んでいてもおかしくなかったというのに。
詫びなければと、主人の方に目を向けたが、そこに主人の姿はなかった。
「陸玖様は先に部屋で休んでおられます。さあ、真白様も。」
僕たちを乗せたリムジンはすでに屋敷の敷地内にあった。旧九条邸も全体的に白い西洋建築で広い庭と花壇があり、どこか九条邸に似ていた。
田辺さんに案内されて屋敷に足を踏み入れる。綺麗に管理されてはいるものの、テーブルや椅子などの必要最低限のものを除いては何もなく、しばらく誰も生活していないことを感じ取れた。
「陸玖様はこの旧九条邸を売却しようとしているのです。本日は購入を希望する方々がお見えになるのです。」
そう言うと、田辺さんは来客の準備があるので、とキッチンのほうに消えていった。
僕は一人残されて、どうすればいいかわからなくなり、とりあえず階段を上った。同じ建築士に作らせたのか大体の間取りも今の九条邸と同じだった。だから、僕はなんとなく今主人に与えられている部屋と対応する位置にある寝室に来た。ここには誰がいたのだろうか。思い切って、ドアノブを引くと鍵がかかっていて開かなかった。
しょうがなく、3階の中央部に戻ると4階への階段の前に出た。今の九条邸と同じで4階はワンフロアが一つの部屋となっているようだった。
今は主人を探そう。
階段の前で立ち止まって、目を閉じると耳を済ませた。
1階から食器がぶつかる乾いた音がする。これは、田辺さんがキッチンでシルバーセットを用意している音だ。
2階で扉を閉じる音がした。ということは主人がいるのが2階。
僕は踵を返して2階に向かおうとした。
カッツーン。
その時、扉の向こうからかすかに金属音が聞こえた。そして、それに続いて足音のような、物が転がるようなそんな音が聞こえた。
誰かいるのか?
僕はゆっくりと階段をのぼり、コンコンと扉をノックした。しかし、返事がない。ドアノブを90度捻る。
その時、背後から静かな足音が近づいてくるのを僕の耳は拾った。
「おい。」
振り返ると、階段下に主人の姿があった。僕は慌ててドアノブから手を離した。
「その部屋には入れない。お前はこっちだ。」
僕は慌てて「申し訳ありません」と頭を下げると、急いで階段を下りた。そして足早に前を歩く主人の後を必死についていく。主人は、2階の一番南にある寝室の前で泊まった。
「ここが以前使っていた俺の部屋だ。」
僕は、「え、」と意外な声を出してしまいそうになるのを堪えた。
何故なら、後継者候補ならば九条邸においては3階の部屋が与えられるはずだ。実際に今の九条邸でも、2階の寝室は執事長の田辺さんが利用していて、他はゲストルームだ。もの言いたげな僕の表情から察したのか、主人は小さくフッと笑った。
「俺より高順位の後継者が4人いたからな。まあそれはいい。」
主人は寝室の扉を押すと、今の主人の寝室とは比べ物にはならないが、それでも十分立派な寝室があった。
今の九条邸に移る際にすべてを運び出したのか、最低限のものしか残っていない。
リビングルームにはアンティークのコーヒーテーブルとカウチ。一つ扉を開けると寝室がありその奥にはバスルームがある。
主人はリビングルームにあるもう一つの扉を開いた。すると、その向こうには一回り小さなリビングルームがあり、その奥には同様に寝室とバスルームがあった。
「コネクティングルームになっている。お前はそっちの部屋を使え。」
その意外な指示に僕は驚いた。しかし、主人は僕に言葉を挟ませずに続けた。
「よく聞け。もうすぐ客人が来る。お前はなるべく一人になるな。この屋敷は九条のものだが、俺が支配しているわけではない。」
僕は意味深な主人の言葉を聞きながら、頭の片隅で、後継者だった4人に何があったのかとぼんやりと考えていた。
客人が到着したと田辺さんに告げられ、僕は晩餐室に向かった。緊張からか手にはじんわりと汗がにじむ。廊下に出たところで1階の方から声が聞こえた。5人、いや、一人は主人の声だから客人は4人か。2人はある程度年齢を重ねた男性で残りの2人は青年のような声だ。
「田辺さん、僕マナーとかわからないんですけど。」
僕が不安そうに言うと田辺さんは「何も気を張ることはありませんよ。」と微笑んで、晩餐室の扉を開けた。
田辺さんとともに晩餐室に入った途端、僕は4人の視線に貫かれた。反射的に田辺さんの背後に隠れようとしてしまったが、主人に腕を引かれ、客人の前に出される。
「紹介します。うちで引き取ることになった真白です。」
僕は「よろしくお願いします」と言って深々と頭を下げた。
「界隈では九条の若旦那が子供を拾ってきたという噂で持ち切りですよ。」
最初に口を開いたのは、佐久間巌という高齢の小太りの男だ。投資家で、国内の有力な企業の株を多く保有している。一時期、九条不動産の株を有していたことがあり主人の祖父と対立することが多々あったらしい。ワイングラスを回しながら佐久間は立派な鼻ひげの先を軽く撫でた。
「かわいらしいお坊ちゃんのようだが、器は伴っているのかね。」
カッカッカと笑うに、僕のせいで主人が馬鹿にされていることに気付きうつむいた。
「私は真白に九条を継がせる気は更々ないので心配には及ばない。」
主人の一言に張り詰めた緊張の糸が一気に解けたのが分かった。「なーんだ。」と言わんばかりだ。
それほど、九条家の跡継ぎとは経済界において重要なのだろう。
「じゃあなんで陸玖くんはその子を引き取ったんですか。もしかしてそういうご趣味?」
佐久間の向かいに座っているのは水瀬幸助。主人と同年齢の痩躯の青年で、食品系の企業を束ねる水瀬グループの御曹司である。主人とは昔からの知り合いらしい。しかし、にこやかな表情とは裏腹にその目は冷たい。水瀬のまとわりつくような視線に僕は身震いした。
「くだらない妄想はよせ。」
「冗談だよ。ごめんね、真白君。」
陸玖様は水瀬をキッと睨みつけ、それに対し水瀬はまたにやりと笑った。
「それはそうと、佐久間殿のところはもうすぐ創立200年ですな。これを機に千景君に交代、なんてことはありますまいな?」
含みを持たせた物言いでワインを傾けたのは、潮見一郎。1970年にノーベル科学賞を受賞した潮見秀正の息子で、国家予算も多額に投資されている物理化学研究所の理事長を務める権力者だ。ただ、黒い噂も絶えない。
「ははは、わしはまだまだ現役。隠居させないでいただきたい。だが、この機会に千景を紹介させてください。こいつはわしの一人娘の息子で、大学卒業とともに佐久間家に入る予定じゃ。未来の佐久間を背負う人間ですので皆様に仲良くしてやっていただきたいのです。」
佐久間の隣に座った青年が深々と頭を下げた。
「お初にお目にかかります。吉乃千景と申します。年は17です。今は、慶帝大付属高等学校に在学しております。弱輩者ですが、どうぞよろしくお願いいたします。」
千景は小柄で優しそうな雰囲気の少年だった。しかし、言葉や所作に知性を感じさせるところはやはり佐久間の後継者であった。千景は僕と目が合うとにこりと笑った。思わず僕も口元が綻んだ。
「ではそろそろ、本題の方に入るか。」
ディーナーが下げられ、食後のコーヒーを田辺さんが持ってきてくれたところで、主人が口を開いた。客人たちは待ってました、と言わんばかりに視線を送り合う。
「私は、正直この屋敷に何の思い入れもない。誰に譲ってもいいと思っている。」
「だけど、ここにいる全員が、地価を上回る値段を出してでも、この屋敷を手に入れたいと思っている。」
主人の言葉に水瀬が口を挟んだ。
「それはそうだ、なんたってこの旧九条邸には開かずの間がある。」
潮見が続けた。
「先代九条源七は死期を悟って自室に1つしかない存在しない鍵をかけそれをどこかに隠した。」
佐久間は楽しそうに笑い、千景は黙って息をのんだ。
「まるで徳川の埋蔵金探しだな。では3日以内に4階の寝室を開けた者にこの屋敷をお譲りしましょう。残されたものが、祖父の絵日記でないことを望むばかりですね。」
珍しく、おかしそうに笑う主人に出した提案に皆がだまって頷いた。
僕は感じていた違和感の正体に、その時気付くことができなかった。