63 白き魔法
どこかで、びゅうびゅうと激しい風鳴りがしている。
風が吹き込むような隙間はないのに、こんな音がするなんて……おかしい。
でも……もしかしたらこれが、死ぬ前の感覚なのかもしれない。
『……女神様っ! お願いお願いお願いっ!! ウチの命をあげる……!! あげるから、アンノウンを治して!! ウチが初めて好きになったヤツ……連れて行かないでっ!!』
風鳴りに混ざって、キャルルのすがるような祈りが頭の中にこだまする。
……おかしい。
水泡のように浮かび上がったはずのボクの意識が、再び沈んでいく。
いや、沈むというよりも、水に溶けていくといったほうが近い感覚。
最期の刻を迎えようとしているのに、ボクは考えていた。
……おかしい、と。
キャルルのスキルウインドウには、たしかに『白魔法』があって……たしかに『キュア』のスキルに1ポイントが振られていた。
『白魔法』は異世界にある魔法を、ボクなりにこっちの世界用にアレンジして考えた魔法体系。
他の世界では『神聖魔法』とか呼ばれているんだけど……こっちの世界の『灰魔法』にあわせて色にもじり、『白魔法』って名前にしたんだ。
それはいい。それはいいとして……なぜ、効果が出ないだろう?
『白魔法』の『キュア』は、この世界にいる女神に祈りを捧げることにより、力を発揮する治癒魔法。
女神の治癒能力を一時的に借りて、ケガや病気を治すんだ。
もっと前……ボクが成人する前の頃だったら、効果を発揮しなくても何の不思議も感じなかった。
だって……『白魔法』はボクの想像上の産物だから。
でも、今は違う。
今までいくつもの想像上のスキルが、力を発揮してボクを助けてくれたんだ。
なぜ……なぜ……『白魔法』だけ、効果を発揮してくれないんだ……!?
なぜ……ボクを助けてくれないんだ……!?
『ねっ……ねぇっ……女神様っ!? お願い……お願いだから聞いて! ウチの声を……!! アンノウを治して! アンノウンを治してぇぇぇっ!!』
キャルルの悲鳴じみた祈りが、空虚になりつつあるボクの頭になおも反響している。
さらに強さを増すごうごうとした風鳴りに、かき消されそうになりながら。
風前の灯火。
普通ならとっくに消えていてもおかしくないボクの命は、強風のなかでついたり消えたりしていた。
『……もういいよ、キャルル……。ボクはもう、女神様に見放されたみたいだ……だから、白魔法も効かないんだよ……』
『あ……あきらめるんじゃねぇよっ!! アンノウンってば、どんな時でもあきらめなかっただろっ!? フツーのヤツだったら、死んでもおかしくないようなのを、何度も何度もひっくり返してきたじゃないっ……!!』
人工呼吸しているように、ふぅふぅ、と息を吹き込んでくるキャルル。
『険しい道でも、力だめしでも、ボス部屋でも……! どう見ても絶望だったのを、アンノウンはすっげぇ力でブッ倒してたじゃないっ……!!』
『ああ……見ててくれたんだ……』
『見てるに決まってんだろっ! 最初のうちは、このまま死んじゃえ、って思ってた……でも……まわりにどんだけ罵られても……冒険者ギルドのヤツらにどんな嫌がらせをされても、真っ向から立ち向かっていって、ブッ倒していくアンノウンを見て……ウチ……だんだん、がんばれって思うようになった……! ウチも勇気をもらったんだ……!!』
夕立ちのように激しく、あたたかい涙がボクの顔を濡らす。
『それだけじゃない! ずっと客のいなかったキャルルルンに……たくさんの客を呼んでくれた……! ウチとお姉ちゃんの絶望まで、ブッ倒してくれた……!!』
流れ込んでくる激情。
顔には涙、唇には唇、女心は血液のように身体を駆け巡る……。
ボクは身も心も、キャルルまみれになっていた。
『お姉ちゃんはアンノウンを信じる、って言った……! だから、ウチもアンノウンを信じるっ……!! よくわかんない女神様なんかじゃなく……アンノウンを信じるっ!! 困ってたときにいくらお祈りしても、なんにもしてくれなかった女神様じゃなくて……アンノウンに……身も心も捧げるっ!!』
……ふと、かすかな光を感じた。
『アンノウン……! アンノウンの傷を、治して……!! ウチの命を使ってもいい、地獄に堕ちたっていい……!! アンノウンのためなら、なんだってする……!! だからお願い、アンノウン……!! 元気になって……!! 元気になって……!! ウチの所に……戻ってきてよぉぉぉぉぉーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!』
……ふわぁぁぁぁぁぁ……。
稲穂畑にいるかのように、ボクの身体は黄金色の光に包まれる。
そして感じる。
すべてが流れ出したような自分の身体に、再び力が戻ってくるのを……!
『白魔法』……『キュア』が発動したんだ……!!
こっちの世界から離れようとしていたボクの意識が、ハッキリと戻ってくる。
……ゆっくりと瞼を開けると、瞳がおぼれた。
キャルルの涙が、ボクの目のくぼみに溜まっていたからだ。
「んむっ……ひゃるる……は、はなひて……くるひい、くるひいよ……」
ボクは呼びかける。
テレパシーじゃなくて、自分の声で。
自分の声はもう掠れてはいなかったけど、口を塞がれているせいでくぐもってしまった。
ぷはあっ、と水につけていた顔をあげるように、キャルルの意識が離れていく。
新鮮な空気を肺に取り込みながら、ボクは思った。
ああ、自分の口から直に吸う空気もいいけど……キャルルの口から吸う空気も悪くなかったなぁ……。
しかし、すぐに後悔することになる。
「よかったぁぁぁ……良くなったんだね……アンノウン……!! アンノウン……アンノウンっ……!! アンノゥゥゥゥゥゥンッ!! うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーんっ!!!」
感極まったキャルルが、再びボクの唇を、ぶっちゅうと音がするくらいに奪い返してきたんだ。
いや、今度は唇だけじゃなかった。
キャルルは小さな子供みたいにわんわん大泣きしながら、涙とキスの雨をボクに降らせてくる。それも、ひっきりなしに。
「わぁぁぁぁぁぁぁんっ!! アンノウン!! アンノゥゥゥンッ!! よかったぁぁぁぁ!! よかったよぉぉぉぉんっ!! やっぱりアンノウンを信じてよかった……!! 信じてよかったよぉぉぉぉぉんっ!!」
そういえば……どうしてなんだろう。
キャルルの女神様への祈りは本物だった。
しかし、何も起こらなかった。
でも、祈る対象をボクに変えたとたん……効果が現れた……!
ボクは『白魔法』の威力を確かめたくて、自分の身体をもっとよく見ようとしたんだけど……キャルルからガッと顔を掴まれ、前を向かされてしまった。
「アンノゥゥゥゥゥゥゥンッ!! アンノゥゥゥゥゥゥゥンッ!! うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉんっ!! ぎゃぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉんっ!!」
とうとう獣じみた唸り声をあげはじめるキャルル。
キスはついに舌に変わって、最大限の愛情表現をする犬みたいにボクの顔をベロベロ舐めはじめる。
「あっ、あの……キャルル、嬉しいのはわかったから、そ、そろそろ離して……」
しかしこの一言は、逆効果だった。
「いやああああああああんっ!? アンノウンっ!? ウチのこと、嫌いになっちゃったのぉぉぉぉ!? いやあああああああああっ!! 嫌いにならないでぇぇぇぇぇぇっ!! なんでも、なんでもするからぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁんっ!!」
ただでさえ熱烈だったキャルルの愛情表現が、さらに激しさを増す。
キャルルはブラウスに手をかけると、ブチブチとボタンを引きちぎってブラを露わにした。
色は、ピンク……! ステータスウインドウの装備欄にあったのと、同じ……!
……って、そんなこと考えてる場合じゃなかった!
キャルルはブラまでも引きちぎろうとしていたので、慌てて手首を掴んで止める。
「お……落ち着いてキャルルっ!! こんなところで脱いじゃダメだよっ!! ……むっぐぅーっ!?」
問答無用とばかりにボクの顔は、授乳される赤ちゃんみたいにキャルルの胸に押し付けられてしまった。




