60 傷だらけのネズミ
不揃いのリンゴのように、宙で形をなした二本の短刀。
【魔刀・斬鉄】(戦闘力+2000)
見間違いかと思えるような戦闘力のそれを、キャッチするアイツ。
あまりに信じられない出来事の連続に、ボクはもう考えることをいつの間にか放棄していた。
まるで蜘蛛の巣に身体を絡め取られ、あとは死を待つだけの虫のように……!
開きっぱなしのヤツのステータスウインドウが、再び蠢く。
『カ・マ・エ・ロ』
……カマエロ……構えろ!?
意味を理解した瞬間、ボクの毛穴じゅうからどっと汗が吹き出した。
そ……そうだ……!
ボンヤリしてる場合じゃなかった……!
ヤツは……ヤツは平気で人を殺せるヤツだったんだ……!
ボクは石膏のように身体にまとわりついていた緊張を振り払い、格闘の構えをとる。
刀を作っているヒマはないから、素手で応戦するしかないっ……!
……キンッ!
再びヤツの前に、抽出陣が出現する。
またしても一瞬の出来事……!
抜かれたシャンパンの栓のように、床から飛び出す鉄のカタマリ。
液体金属のように空中で形を変える。
……つ……次は、なにを作るつもりだ……!?
お手玉のようなサイズに分かれたそれは……。
……小刀っ!?
…………チュウンッ……!
刹那、ボクの背後の壁に、その一本が突き刺さっていた。
……!? て……テレキネシス……!?
しかも速すぎて……ぜんぜん見えなかった……!?
ボクはアゴを伝って垂れていくあたたかいものを感じ、頬が切られたことを知る。
ヤツの頭上で浮遊する、いくつもの小刀。
その切っ先のどれもが、ボクをロックオンするかのように向いていた。
……!
ボクはとっさに指を突きだし、錬金術の陣を描く。
震える手で描き上げた陣が、すぐ足元に吸い込まれていく。
……ズズズズッ……!
隆起させた床に、身を隠す。
そして思考を巡らせた。
おかしい……! 絶対におかしいぞ……!
ボクは『ミュータント』の『イーグル』のスキルを持っていたはず……!
『イーグル』のスキルは静体視力だけでなく、動体視力も向上させるはずなのに……。
飛んできた小刀は全然、見えなかった……!
ボクの背後にテレポートさせたのかと思ったけど、違う……!
それを証拠に、ボクの頬はパックリと切り裂かれた……!
なんにしても、よけられるモノじゃないっ……!!
ボクは壁に手をついて、ヤツの様子を伺う。
『サイキック』の『クロスレイ』を使って壁を透視してみた。
……ヤツは仁王立ちのまま、ピクリとも動いていない。
よし……反撃だっ……!
ボクは腰を落とし、練気の構えをとる。
とても集中できる状態じゃなかったけど、ムリヤリに精神統一。
口の中に鉄くさい味を感じながら、全身に残った気を腹にかき集める。
身体をひねりながら、組んだ手を腰に回し……発射準備を整えたあと、壁から出るっ……!
……バッ!
横っ飛びして、隆起させた石の置き盾から飛び出しながら……ためた気を一気に放出するっ……!
「 …… 波 動 弾 ァァァァァァァァーーーンッ!!!」
空中で身体を斜めに傾けたまま、光弾を放つ。
アクロバティックな体勢だったけど、狙いは外さない。
波動弾は慣れれば、空中で撃つことだってできるんだ……!
シュバァァァァーーーンッ!!
まわりの空気を押しのけるようにして、ヤツに迫る光のバスケットボール。
死のパスを前にしても、ヤツはなおも仁王立ちのまま……!
……決まった!
そう確信した、次の瞬間、
……ガキィンッ……!
ヤツの身体が、鏡のような光沢を放ったんだ……!
そしてボクは、目の当たりにする。
ボクが放ったはずの波動弾が、ボクの顔めがけて返ってくるのを……!
空中で身体をひねって回避する。
……ドォンッ!
大砲が撃ち込まれたような轟音が、背後から轟く。
……なんとかかわせたものの、ボクはとても信じられなかった。
必殺技が、跳ね返されるだなんて……!
しかし、衝撃はそれで終わりではなかった。
なんと、ヤツは重力を無視するかのように壁に対して垂直になり、ボクに迫ってきていたんだ……!
あれは……『忍術』……!?
『第6世界』のスキルかっ……!?
『第6世界』は剣術が発達した『第5世界』と似ているんだけど、『忍者』が活躍する世界。
忍者というのは諜報や隠密活動、潜入や暗殺のプロのことで、彼らが使う不思議な体術のことを『忍術』という。
忍者たちを束ねるボスは、裏から世界を牛耳っていて……表の世界に多大なる影響を及ぼしているんだ。
いまヤツが使っている、壁を走るスキルは『隔世走り』といって……壁や天井、水の上とかを地面と同じように移動できるようになるんだ……!
……なんてことを考えているうちに、ヤツはどんどん距離を詰めてくる。
ボクは形勢を立て直すため、隆起させた石のなかに再び篭ろうとしたんだけど、
……ズガアンッ……!!
巨人のパンチが通り過ぎていったかのように、石盾をもぎ取られてしまったんだ……!
尻もちをついて見上げる、ボクの前には……逆手に持った短刀を振り終えたヤツがいた。
う……ウソっ……!?
短刀の一撃で、岩を粉々にしちゃうだなんて……!?
こ……これが、戦闘能力2000の短刀の威力……!?
ま……まさに、魔刀っ……! す……すさまじい剣圧……!
そこでボクはひらめく。
そうだ……!
剣圧といえば、ムサシだ……!
ムサシを呼び出せれば、この圧倒的に不利な状況を、なんとかできるかも……!
しかし……一縷の望みをかけて開いたスキルウインドウ、その『英霊召喚』はグレーアウトしたままだった。
……くっ! まだか……!
まだクールダウンは終わらないのか……!
でも……ないものはしょうがないっ……!
ボクは素早く立ち上がって、再びヤツと対峙する。
ヤツは再び仁王立ちに戻っていた。
黒装束っぽいアーマーに身を包み、どっしりと構えるその姿は……まさに忍者のボスのような威圧感がある。
ボクの頭は、『瞬間分析』によって活路を見出そうとしていたので、オーバーヒートしてもおかしくないほどにカッカと熱くなっていた。
いまのヤツとボクは、対照的……!
氷の刃のように冷たいヤツと、爆発寸前まで熱くなっているボク……!
獲物をいたぶるような猫と、傷だらけのネズミ……!
だけど……負けるもんか……!
ここでやられたら、いままでの苦労はすべて水の泡……!
ボクはどうなってもいい……!
どうなってもいいけど、『キャルルルン』にパンだけは届けたい……!
ボクに……ボクにほんの少しかもしれないけど、好意を寄せてくれた女の子たちを救うために……!!
決意を固めるように、密かに拳を握りしめる。
今ある格闘スキルのなかで、最大火力があるのが『爆裂拳』だ。
だけどそれは、全弾ヒットさせられた場合の話……『爆裂拳』は一度放つと止められないから、よけられたら最後、無防備な姿を晒してしまう。
となると……ミノタウロスロワーにした時のように『龍昇撃』で倒してから、マウントポジションを取ってからの『爆裂拳』……!
でも、ヤツはミノタウロスロワーほど愚鈍で、迂闊ではなさそうだ。
そう簡単に懐に入り込ませてくれるとは思えない……。
……ならば……!
そのスキを作り出すまで……!
ボクは背中で隠して描いていた、『陥没』の陣をヤツの足元めがけて投げかける。
……ズドォォォンッ!!
すり鉢状にへこむ床に、ヤツは大きくバランスを崩す。
……いまだっ……!
ボクは一気に距離を詰める。
腰をかがめ、懐にもぐりこんだ。
よろめくヤツの身体が、吐息がかかるほどの間近にある……!
……今度こそ、もらった……!!
『龍昇撃』の出がかりのショートアッパーで、ヤツの黒光りするボディを狙う。
鎧は破壊できなくていい、ダメージが与えられなくてもかまわない。
衝撃でヤツの身体を倒すことができれば、それでいい……!
『爆裂拳』への布石が作れれば、それでいいんだっ……!!
しかしボクの拳は、そこに確かにあったはずのものを捉えておらず、空を切っていた。
……き、消えたっ……!?
ヤツの身体は、煙のように……いや、チリひとつ残さず消え去っていた。
ボクは砂漠で蜃気楼のオアシスに飛び込んだかのように、あたりを見回す。
部屋のどこにもいない。ボクはこれが幻で……すべては夢であってくれと祈る。
しかし……白昼夢なんかじゃなかった。
ヤツは……ヤツは……腕組みをしたまま、悠々と天井にぶらさがっていたんだ……!




