55 不動の剣
二度目のボスフロアにたどり着いたボク。
初回の時と違い、仲間もクラスメイトもいない。
広大な敷地にいるのはただひとり……ボクだけ。
貸し切りのようにがらんとした室内。
前方から、わずかな風を感じる。
上方からは、大人たちのざわめき。
「……おい、アイツ……たしかアンノウンとか言ったよな? いまさら何しに来たんだ?」
「でかい荷物に、剣一本だけ持って……」
「なぁ……なんか、床が盛り上がってるように見えないか?」
「あ、ホントだ。平らなはずの床が、ボコボコに盛り上がってる……?」
「そういえば昨日も、岩が盛り上がってきたよな……? 昨日よりはずっと地味だけど、また地震なんじゃねぇか?」
「それよりも、アンノウンのヤツ……いったい何をやろうってんだ……?」
「以前アイツが来たときは、ガキどもが大勢いたけど……今回はアイツだけだ。たったひとりじゃ、ボスの数もたいしたことねぇだろ」
遥か前方にある石のシャッターが、ゆっくりと持ち上がっていく。
その先にモンスターたちがひしめきあっていたので、降り注ぐ声が緊張味を帯びた。
「なっ……なにっ!?」
「アンノウンひとりだけなのに、なんだ……!? あのモンスターの大群は……!?」
「おいおい、あれじゃ昨日と変わらねぇじゃねぇか!? なんでだよっ!?」
「あっ……! もしかして、重量……!? 床が盛り上がってるせいか!?」
「でもあんな盛り上がり、あのガキが入るまではなかったんだぞ!?」
「もしかして……アンノウンがやったのか!?」
「なんのために……!? わざわざモンスターを増やすだなんて、自殺行為だろ!」
「わ、わからねぇ……! でも、そうとしか考えられねぇだろ!」
「くそっ、冒険者ギルドの縄張りで、好き勝手やりやがって……! マジでなにをやろうってんだ、あのガキっ……!」
……その光景は、世界最大規模のマラソン大会のスタート前さながらだった。
ずらりと居並んでいたモンスターたちは、待ちきれないのか開きかけのシャッターをくぐって、我先にと駆けだす。
「き……昨日も見たけど……す……すげぇ……! まるで、軍隊みてぇだ……!」
「軍隊っていうか、蛮族だろ、あんなの……! 村くらいなら簡単に滅ぼしちまうような、恐ろしい蛮族ども……!」
「あんなのに飲まれたら、ひとたまりもねぇってのに……! アンノウンのヤツ……逃げようともしてねぇ……!」
「悠長に剣を構えてるぞ……まさか、あの数相手にやりあうつもりか……!?」
「アンノウンはガキのなかでは最強……いや、プロの冒険者のなかでもイイ線いってる方だが……いくらなんでも無理だろ……! 骨も残らねぇぞ……!」
決壊したダムのように、蛮声がなだれ込んでくる。
波のように連なったモンスターたちが起こす足音は、地響きとなってビリビリと空気を震わせ、一片の容赦も感じさせずに迫ってくる。
まさに、蛮族……!
そして彼らは全員、ボクを狙っている……。
何百、いや何千といるのに、たったひとつしかないボクの生命を……。
ボクは他人事のように、そんなことを考えていた。
本来であるならば、漏らしても……いや、失神してもおかしくないほどの、恐ろしい光景なのに……。
不思議と恐怖は感じなかった。
できたてホヤホヤの刀を、ゆっくりと構える。
……かちゃり、と音がした。
『五輪書』の『地の巻』にある、『不動の型』……。
ムサシが教える剣術において、基本中の基本である構え。
第5世界にある競技、『剣道』では『中段の構え』にあたる。
『剣道』では『水の構え』とも呼ばれるんだけど……ムサシの剣術ではこれが『地の構え』になるんだ。
両足が大地に食い込み、根を張るようにどっしりと構え……少々のことでは倒れない。
ムサシの剣術のなかでも最も高い防御力を発揮できるのが、この『不動の型』なんだ……!
ボクは大樹に足が生えたかのように、ゆっくりと前に歩きだす。
「お……おい! アンノウンのヤツ、前に出たぞ……!」
「ホントに戦う気かよっ!? あの数を相手に!?」
「正気じゃねぇ……! あのガキ、正気じゃねぇよっ……!」
……グウォォォォォォォォォォーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!
蛮声は鼓膜が破れそうなほどの大声量となり、眼の血走りがわかるほどの距離までモンスターが接近していた。
どいつもこいつも、大口を開けて食い殺さんばかりにボクを威嚇している。
でも……どんなに脅されても……ボクは動じない……!
台風にも、洪水にも、地震にも……そして人の手でも決して倒されることのない、霊樹となるんだ……!
……ドッ……!
波が、ボクの身体を洗う。
大海原に漕ぎ出すかのように、櫂のごとく握りしめた刀で振り払う。
「グギャアッ!?」「コケェェェェェツ!?」「フギャアアアッ!?」「ギィィィィッ!?」「ブモォォォォーーーッ!?」
ドップラー効果を残しながら、断末魔が通り過ぎていく。
「なっ……なんだ、なんだあれっ!?」
「あれだけの数が体当たりしてきてるのに……フッ飛ばされねぇ……!?」
「モンスターの波を剣でかき分け、いなしてる……!?」
「いや、いなしてるんじゃねぇ! 斬り殺してるんだ!」
「ほ……ホントだ! アンノウンのそばを通り過ぎたモンスターが、霧散してる……!」
誰もよけてくれないラッシュアワーに逆らっているかのようだった。
頼りになるのは一本の刀だけ。
もし手放してしまったら、それだけで一巻の終わり……!
突き飛ばされ、押し倒され、踏み潰され……ミンチにされたみたいにグチャグチャになっちゃう……!
ボクはなるべく刀の切れ味が落ちないように、頸動脈での一撃死を狙った。
たまに狙いがずれて肉や骨にめりこみ、刀が持って行かれそうになる。
必死の思いで両手で柄を握りしめ、力任せに振り抜く。
返す刀が遅れ、正面から突っ込んできたレイジングブルの角がボクの腹を串刺しにしようとした。
咄嗟に刀の峰でぶん殴って、方向転換させる。
頭がへんな方向にまがったレイジングブルの角が、ボクの脇をかすめていく。
……ギャリンッ!
鉄の鎧が削り取られ、溶接のような火花が散った。
衝撃によろめいてしまったが、運良くモンスターたちの追撃はなかった。
モンスターの波を抜けたボクの視界が、一気に開ける。
たまらない開放感を感じたが、余韻に浸っている場合ではなかった。
ボクはすぐさま踵を返し、通り過ぎていったモンスター軍団と再び対峙する。
よし……少しだけど、数は減らせた。
かすめた攻撃で、ボクも無傷ではすまなかったけど……この調子で……!
モンスター軍団は、数にものをいわせて再びボクへの体当たりをするかと思ったんだけど、散開をはじめる。
まずい……『大地の構え』は真正面の相手には滅法強いんだけど、側面や背後からの攻撃には弱いんだ……!
……囲まれたら、ヤバい……!
その前に、少しでも数を減らさないと……!
よぉし……今度はこっちの番だっ……!
ボクは刀の柄をしっかりと握りなおすと、モンスターがいちばん多く群れている場所めがけて突っ込んでいった。
「不動っ……峰巒剣ぇぇぇぇぇぇぇぇーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーんっ!!」
ドシュゥゥゥゥゥッ……!
矢面にいたグレムリンロワーのどてっ腹に、刀がブッ刺さる。
身体をくの字に曲げるグレムリンロワーを押し、さらに突っ込んでいく。
ドシュッ……! ドシュッ……! ドシュッ……! ドシュゥッ……!
団子のように次々と串刺しにされ、散っていくモンスターたち。
……『不動峰巒剣』。
『不動の型』から派生する剣術。
一直線に進み、その軌道上にいる相手を刺突する技……!
そしてそれは、誰にも止められない……!
「ブモォォォォォォーーーーーーッ!!」
そう、たとえ猛牛の体当たりでも……!
……ドシュゥッ……!!
レイジングブルの角をへし折っても、なお勢いは衰えない。
眉間を貫き、鍔まで深く埋まっていく刀身。
「み……見ろっ! レイジングブルと真正面でぶつかってるのに、一歩も引いてねぇ……!」
「それどころから、一方的にガンガン押し続けてる……! レイジングブルがふんばってるのに……いや、後ろにモンスターが大勢押してやってるのに、アンノウンのヤツ、ぜんぜん止まらねぇ……!」
「まるで、大人と子供の力比べ……あんなに小さいアンノウンが、モンスター軍団を押し返してるだなんて……!」
「ああっ、モンスターが……つ、ついに倒れた……! なぎ倒してる……なぎ倒してるよ……!」
「それでも、止まらねぇ……! なんなんだ、アイツ……!? 相手はモンスターだってのに、まるで麦踏みしてるみたいに、一方的だ……!」
……ドオンッ……!
ボクは再びモンスターの群れを突破する。
つんのめりながらも止まり、振り返ると……ドミノのように倒れ、もがいているモンスターたちがいた。




