二夜目(其ノ二)
咄嗟に振り返るのを止めた。そのまま固まってしまう。メリーゴーランドは床も天井も、回転の中心の柱も全て鏡貼りだ。恐る恐る、正面の柱の鏡を見ると、回転する木馬の向こうに、自分の姿が見える。その背後は無人の園内が見えるだけだ。
「ひっ」
気付いてしまって、悲鳴が出た。
左肩に指が乗っている。
肩に触れられている感覚はない。それでも、振り返るどころか、首を傾けて肩口を確認する勇気もなかった。そのかわりに鏡の中、肩に置かれた誰かの手を凝視する。見えるのは指先だけで、後ろにいる何者かの体も頭も見えない。黒ずんだ肌と爪が、土の中の腐りかけの死体を連想させた。
携帯が鳴り続けている。
後ろにいる何かを見たくない。振り返ることも動くこともできない。このままではどのみち、ここから逃げ出せない。急かすように鳴る音に、耐え切れずに出ると
「わたしメリーさん。わたしのはなしを聞いてくれる?」
高く澄んだ声が聞こえた。
「あるところに、大きな遊園地がありました。そこに男の子がやってきました」
メリーさんは淡々と語る。
「遊園地にはお化けの女の子がさまよっていました。女の子は世の中をとてもとても恨んでいました」
声は携帯からしか聞こえない。
後ろに何かいる気配はない。
鏡に見えるものが矛盾している。
「女の子は男の子のうしろに立ちました。そして、肩に手をかけると、話しかけました」
黒ずんだ手が、顔まで移動して目隠しをした。触れられている感触がない。鏡の自分は目隠しをされているけど、それを自分の目で見ている。妙な感覚で混乱していると、視界が真っ暗になった。
「ねえ。こっちを見て」
何も見えない状態で、声が聞こえる。
視力が戻って、嫌なものが見えた。
充血した目。
自分の目から血が流れている。
背後から伸びた両手が、頭の両側を掴んでいた。その指先が目の端に差し込まれて、そこから血が流れている。
「動けないなら、手伝ってあげようか」
黒ずんだ手がひょいと、両目をひっくり返した。
「ああ、目玉だけしかできなかった」
静かで無機質だった声が、明るく弾むような調子になった。
鏡が映すのはほんの少し先の未来――トリック鏡を見たみたいに不思議がっている場合じゃない。総毛立って、頭に絡みついている手を振り払おうとした。
ぶちっという音が身近に聞こえた。痛みに顔を覆った。ぼたぼたと血が落ちるのを、両手に感じた。
目玉を取り返したかった。手を振り回しても何も触れなかった。気づくのが遅すぎた。逃げ出せばよかった。
ひどくいたいし、悲しかった。
鈴を振るような涼しげな声が響く。
「女の子は男の子を呪い殺しましたとさ」
「おしまい」
「えっと、怪談になってたね! なってたけどさ!」
できるだけ明るい調子で言うつもりが、震え声になった。平常心を装いたかったのだが、無理だった。洒落にならない。洒落にならないってば。
いきなり一人称で語りだしたので、「おはなし」が始まったことに、最初は気付かなかった。昨晩の日本昔話と比べたら段違いだった。
でも、ちょっと酷いな、と思う。この話の主人公って俺と同じ立場……というか俺?
最後、死んじゃったよ。眠気も覚めた。
話がやたら長いせいで、途中うつらうつらしていた。体勢もベッドで寝ている状態だから、油断するとそのまま寝てしまいそうだった。
メリーさんの話の主人公は、二度目の電話を恐れていたようだが、俺自身はかかってくるとは想像もしておらず、ぐっすり安眠していた。昨晩のことは一度きりで終わったと思ってたんだよ……着信音に起こされ、寝ぼけながら出たらメリーさんだった。
電話で聞かされる話としては、描写が多すぎる。細かいことを言えば、メリーさんの声についても描写を割きすぎじゃなかろうか。メリーさんはナルシストなの?
「主人公が死ぬのは駄目でしょ」
「どうして?」
この話が、今にも現実になるような気がして怖いからだよ。
「どうしてって……後味が悪いよ」
「これは、怖い話のひとつ」
怪談は後味が怖くて当たり前と言いたいようだ。
「それは……そうだけど……」
ここで負けるわけにはいかない。慌てて言い直す。
「けど、必ず人が死ななきゃ駄目ってわけでもないよ。そういう怪談もある」
「たとえば?」
たとえば!? えーっと!?
「首なしライダーとか走ってるだけで無害だろ」
「たとえば?」
「隙間女とかも」
「たとえば?」
あれ? いくつ言えば満足してくれるんだ? 内心で嫌な焦りを感じる。昨日は話し終わったらあっさり消えてくれたのに。
「たとえば?」
答えないでいるとメリーさんがしつこい。同じ言葉を淡々と繰り返すのが少し怖い。
昨日はやったこと。今日はやっていないこと。昨日は確か即興のお話をしてあげたら感想も言わずにメリーさんは消えた。もしかしてメリーさんは、お話が聞きたいんだろうか?
「――たとえば?」
電話にノイズが混じった。
気のせいだろうか、声がだんだん低くなってきた。自分で言うだけあって、鈴を振るような涼しげな高い声だったのに。雑音の向こうから反響して聞こえてくるような声が不安感を掻き立てる。嫌な感じがする。
「たとえば……」
慌てて適当なお話を始めた。
とある遊園地に、お化けの女の子がさまよっていました。
そこに、何も知らずに男の子が迷い込みました。
男の子は女の子に挨拶をして、帰り道を教えてもらうと、無事に家に帰りました。
めでたしめでたし。
「駄目」
ええ!?
「怖くない」
まさかのダメ出しに絶句する。さすがに雑すぎたか。
「めでたしめでたしで、終わっちゃ、駄目」
昨日、俺が言った言葉を返される。メリーさんが学習している……せっかく怖くない方向に持っていこうと思ったのに。必死で頭を絞る。
とある遊園地に、お化けの女の子がさまよっていました。
そこに、何も知らずに男の子が迷い込みました。
男の子は誰かいないかと、遊園地を歩きまわりました。
端から端まで見てまわっても、どこにも誰もいませんでした。
お化けの女の子はずっと、男の子の後ろにいたからです。
「こういうのも怖いよ。最後どうなったかをはっきり言わないで余韻を残す。うん。そういう終わり方もいいんじゃないかな」
妥協した。一生懸命におすすめする。どうか採用されますように。
……返事がない。通話は唐突に切れていた。昨晩以上に疲れて息を吐いた。しかし、まいったなあ。二度あることは三度あるっていうけど、また明日も来られたら……もう気力もネタもない。溜息をついて寝返りをうった。
「……」
布団が盛り上がって、不自然な空間ができていたことに気づいたが、深く考えないことにした。




