賊退治
剣、槍、斧。突き立った矢、飛び散る血、切り飛ばされた手足。悲鳴、怒号、断末魔。平和な農村だったそこは、地獄の様相を呈していた。
粗末な衣服をまとった男たちが逃げ回る。似たような姿の男たちが簡素な武器を手にそれを追い回す。
追う側の一団の先頭に立つ男が槍を鋭く突き出し、また1人の男が倒れた。筋骨隆々としたその男は死体を踏みつけ、さらに敵を追う。
逃げる一団は村はずれの森を目指して必死に走った。森に逃げ込めば、追手をまくことができる。そうすれば助かる。その一心なのだろう。
「やっぱりそっちに行くか」
一軒の民家の上。そこに数人の男が立っていた。
「すげえ…」
「全部首領の言った通りだ…」
弓や槍を手にした男たちが見つめる先には、ひょろりと背の高い男がいた。長い顔に見事な顎髭を生やし、目はぼんやりと戦場を見つめている。
「何、簡単なことさ」
特に感情を込めた様子もなく、男は顎髭をしごいた。
「ありがとうございます。ありがとうございます」
ひれ伏さんばかりに頭を下げるのは痩せこけた体に薄い白髪の老人だ。
「リュホード様。あなたはまさしく神の使いです」
「よしてくれ」
顎髭の男、いやリュホードは面倒くさそうな、それでいてどこか嬉しそうな表情を浮かべて言った。
「さて、まだ続きがあるぜ。カイハールはうまくやったな。次は…」
追っ手の足が止まった。先頭の巨漢がさっと樹木の影に隠れ、他の者たちも後に続く。逃げる側の男たちはその意味を深く考える余裕もなく、これ幸いと森に向かって足を速めた。武器すら逃げるのに邪魔になると投げ捨てて。
不意に数人の男たちが倒れた。喉や胸には棒状のものが突き立っている。それが矢だと理解した時、さらに数人の男が地を朱に染めていた。
「ローワンだ」
それからの戦いはもはや戦いとは呼べなかった。狩猟だ。いや、それまでも狩猟だったが、より凄惨さが増したのだと言うべきだろうか。森から飛来する矢は容赦なく男たちに突き刺さり、切り裂き、貫いた。矢の勢いが弱まったと思う間もなく、前後から喚声を上げた戦士たちが走ってくる。武器もなく、追撃や矢により数を減らした男たちにはもはや抗う術など残されていなかった。あるいは泣き叫び、あるいは逃げ惑い、あるいは力なく地に膝をつき、1人、また1人と殺されていく。すべての悲鳴が止んだ時、大地に立っていたのはリュホードの部下たちだけだった。
「片付いたようだな」
リュホードが誰にともなく呟いた。
リュホードの策は単純なものだった。頻繁に盗賊の襲撃を受けている村の民家に部下を分散して配置する。盗賊たちが踏み込んできたところを奇襲し、周辺に潜んでいた人数も合わせて追撃をかける。そして仕上げに、森に隠しておいた部隊だ。盗賊たちが逃げる場所など、自身も盗賊のようなものであるリュホードには掌をさすようにわかる。そこに伏兵を置けばいいのだから話は簡単だ。何人か別方向に逃げた賊もいるようだが、村の周りにも抜かりなく兵を配置してある。討ち漏らしはほとんどないだろう。
本来、盗賊たちとリュホードの部下たちに質の差はそれほどない。どちらもその多くは食い詰めた流民や農民崩れであり、武器も簡素なものだ。それがここまで大勝できたのは、盗賊の虚を突いたからだ。これまでの襲撃から村人を見下していた盗賊たちは、突然の反撃に思考が止まり、討たれていった。危険を告げる本能に従って逃げたはいいものの、まともに指揮を執れる者もおらず、それは無様な敗走となった。そうして足並みが乱れ、あと少しで助かると思ったところに敵の新手が現れた。盗賊たちの思考は乱れに乱れ、気力すら失われただろう。抵抗など思いもよらなかったに違いない。
相手の虚を突く。敵が思ってもみないところから襲撃する。それは盗賊時代からリュホードが得意とした戦法である。彼は無学な農民の出であり、兵法を学んだことなど一度もない。それどころか、読み書きも満足にできるかは怪しいものだ。彼は天性の嗅覚をもって相手の隙を見出だしているのだ。これはリュホードのもう一つの特性である、人たらしにも通ずるのかもしれない。
しかし、何故リュホードが盗賊退治などを行っているのか。それは彼が今、ヨーリス県の兵士だからである。と言っても、正規軍ではない。内乱のためほとんどの正規兵がオルシア本国に呼び戻され、治安維持や自身の安全に不安を感じた県令によって部下ともども雇われたのだ。要するに、傭兵部隊の隊長だ。だが流民あるいは盗賊でしかなかった身からすれば、大した出世である。何より、収入や身分が安定し、大手を振って町を歩くことができるようになった。部下の中にはヨーリス県出身者も多く、彼らは故郷の家族や友人、恋人に堂々と会えることを心から喜んだ。
リュホードもまた、賊を退治するたびに県令から熱烈なもてなしを受けられることに満足していた。うまい酒と食べ物を飲み食いし、仲間とばか騒ぎをし、いい女を抱く。これほど楽しいことがあるだろうか。
リュホードには大きな野望などなかった。ただ、日々が楽しければそれでよかった。しかし時代の流れがそれを許さないことは、程なく明らかになるであろう。そして今、時代はまた新たな動きを見せようとしていた。
「何、ソランディアで反乱だと?」
血みどろ坊主ことオルシアの宿将オスマンドは、届いたばかりの報告を読んで顔をしかめた。
「反乱?どこの誰が」
同じく宿将であるフェルナン・ブレドウもまた、眉根を寄せた。
「またこ奴らか…」
オスマンドはフェルナンの言葉が聞こえないかのように呟いた。
「例の奴らだ。ソランディアの武人一族。厄介な連中だ…」
「ソランディアの武人一族…つまり…」
居合わせた幕僚の口から、恐る恐るというように言葉が絞り出された。
「そうだ。アルヴィス家だ」