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オルシア帝国の動乱  作者: 北の旅人
14/16

南方の怪物

(やっと来てくれたか…)


ウルヴァーンにもたらされた報せに、サーリアは安堵のため息をついた。


待ちに待った援軍だ。それも西域からの徴集兵やかき集めた傭兵ではない。正真正銘のオルシア帝国軍、その中でも精強をもって知られるソランディア総督軍だ。


イフリタでの敗北により、サイアン派は戦力の大半を失っていた。辛うじて生還できた将兵は2000ほどで、近衛軍団や再編された部隊、西域からの徴集兵、傭兵、さらには退役兵までかき集めても兵力は3万に届かなかった。また将もその多くが失われていた。エターナ家のパルケス、パウル親子やルクルス・コルネオが戦死し、レニード・クルゴア、アルカード・ルッツらは捕らわれ、ラルーフ・アラマニは行方不明となった。帝国大元帥ハウロスもまたイフリタの会戦で受けた傷が無理な逃避行により悪化し、病床に臥していた。今、ウルヴァーンに残る将はサイアンの妾腹の兄ラグノスやバルザム・テルニアの子ニザムら数人以外は、サイアンの乳兄弟ゼフィリス・アンスバールやその弟ゼロス、親衛隊長アラン・コルベル、ハウロスの次男ハルム・ダブリットら若く未熟な者ばかりである。将校や士官としては優秀な歴戦の勇士たちは幾人もいたが、大軍の指揮を執るには能力あるいは権威に欠けていた。戦では個々の指揮官が有能であることは無論重要であるが、全体をまとめる司令官の存在は必要不可欠だ。その司令官を欠いたサイアン派は、セルス軍に抗うことなどできない状態だった。


だがソランディア総督軍がやってきた。帝国の南部に位置し、国土も広く、勇猛で反抗的な現地住民を抑えるため、ソランディアには4000両の戦車と歩兵3万が配置されていた。将もシールムに代わって総督となったオスマンド・ワルドをはじめとする3人の宿将や若手の優秀な者が多数いた。オスマンドはまた、本来はソランディア総督の管轄下にないソランディア北部やシルリア、南方領の兵も連れてきたという。


(うまく利用せねば)


サーリアは思う。セリオン帝の崩御とそれに伴う内乱のどさくさに紛れてシールムを殺害したことからもわかるように、オスマンドは有能だが危険な男だ。サイアン派についたのも純粋な忠誠心からなどではないだろう。心から信用することはできない。だが彼の有する戦力は必要だ。オスマンドの軍勢がなければ、ウルヴァーンはセルス軍に蹂躙されるのだから。


(毒をもって毒を制す、とはこのことだな)


サーリアは小さくため息をついた。今度のため息は己の無力さに対するやるせなさからのものだった。


(今度こそ、最後に勝利するのはこのサーリアだ…)


亡国カラニア王家の最後の生き残りは、強く袖を握りしめた。




(なんだ、あれは…)


セルス軍との戦いに敗れ、命からがら逃げ延びたバリザード・テルニアは今、ソランディア総督軍の陣に辿り着いた。バリザードはソランディア総督軍の一画を見て、目を疑った。


そこには、灰色の巨獣がいた。馬を遥かに上回る大きさで、背中に櫓を乗せ、太い足で悠々と歩く。耳は大きいが、目はその巨躯に対してあまりに小さい。皮膚は見るからに頑丈だった。だが、最も特徴的なのは2本の角と顔の中心から伸びる5本目の足だった。それはまさに、神話の怪物が現実に現れたかのごとき姿だった。


(なんだこの化け物は…。冗談ではない。ソランディアの奴らはこんな怪物を飼い慣らしているのか…?)


バリザードはぶるっと身を震わせた。


(だが、あの怪物を知らないのは反乱軍の連中もだろうな)


自分は味方だからよい。一方、オスマンド軍がこれから戦うセルス軍は、当然この獣に立ち向かわねばならない。未知の怪物。これほど恐ろしいものはないだろう。


(これは、いけるかもしれない)


バリザードの心に、微かに希望の光が射し込んだ。




「やはりメルガラか」


セルスは地図を睨みながら言った。


メルガラ。オルシアの物資集積所ウリアの南に位置する都市であり、近くには同名の平原が広がっていた。メルガラは既にセルス軍への恭順の意志を示しており、重要拠点であるウリアを守るような位置にあり、かつ大軍を展開させやすいメルガラは南方より迫るオスマンド軍を迎え撃つのに適した地であると言えた。


「兵の再編は完了し、訓練も滞りなく進んでおります。我が軍はいつでも戦いに臨むことができましょう」


宿将ギルムが胸を張って言った。セルス軍はある意味では混成軍だ。もともとセルスの配下だったギリア総督軍、挙兵の当初より共に戦ってきたトルダール総督軍、エニスやカラニア北部で加わった将兵、バルド城での反乱に参加した兵、イフリタの会戦での降伏兵、それ以降に合流した部隊など、オルシア正規兵に限ってもセルスに従った時期や動機は様々だ。さらに、セルス配下の騎馬民族やギリア人をはじめ、異民族や中原の旧6国の民から成る部隊も存在する。元来オルシアには能力さえあれば生まれや民族を問わないという風潮があり、また征服戦争において多数の兵が必要とされたため、正規軍内にもオルシア人以外の将兵は多数いた。これらの事情を考慮した上で指揮系統や部隊編成を整備することは簡単な作業ではなく、ギルムやファルハード・ロッシュら宿将たちの下進められていた。特にイフリタ以後に加わった将兵はその忠誠心にいささかの不安が残るため、分散して部隊に組み込まれた。その再編も既に終わり、実戦や訓練を通じてギリア総督軍以外の部隊にも騎兵との有機的な連携を軸とするセルス式の戦術が叩き込まれていた。


「補給体制も万全です」


モーガン家のウェインが力強く言った。ウェインは若いながらも事務能力に恵まれており、兵站整備の一翼を担っていた。軍とは膨大な物資を消費する存在であり、14万もの大軍ともなれば補給はまさに死活問題だ。いかに精鋭を揃えて訓練を施したところで、食糧がなければ勝利はおろか、動くことすらままならないだろう。また戦争には食糧だけでなく、馬の秣、武器、負傷者の治療のための医薬品も必要となる。ギリア、トルダール、エニスを後背地とし、ウリアをはじめ複数の物資集積所を確保したことでセルス軍の物資は潤沢であり、補給路の安全も確保されていた。


「敵の新手の情報も集まっております」


敵の新手、すなわちオスマンド軍の規模や主な将軍たちについてもセルスは情報を集めさせていた。


「主将は無論『血みどろ坊主』。フェルナンやバルカインもいるのか。それに、トールス、ルキウス、テオドレド…」


差し出された報告書をセルスはじっくりと読み込んだ。セルス軍の情報将校たちは優秀であると見え、報告書は満足のいく出来であった。しかし読み進めていくうちに、セルスの目はある一点に釘付けとなった。


「ん…?これは…」


「陛下、いかがなさいましたか?」


情報将校の1人が僅かに不安の表情を浮かべた。


「いや。報告書に文句はない。だが、この記述が気になるのだ」


セルスは報告書のある行を指差した。そこには『戦象部隊』の文字が記されていた。


「戦象、ですか」


オスワンの眉間に皺が寄る。ギルムやシーワードも同じような表情を浮かべていた。


「余は戦象については話に聞いたことがあるだけだ。お主ら、何か知らぬか?」


「はっ。南方に象という獣がいることしか存じませぬ…」


「なんでも巨大な体躯を持つ化け物だとか」


「馬よりずっと大きく、人を何人も乗せることができるとのこと」


「鎧のような皮膚と牙を持つと聞いておりまする」


「その鳴き声は角笛よりもずっと遠くまで響くそうにございます」


「南方人どもはこの巨獣を自在に操ると聞きます。たしか、南方に攻めいったオルシア帝国軍とも戦った記録があったはずです」


諸将は口々に自分の有する情報を告げた。だが、セルス軍を構成するのは北方あるいは中央部の将兵だ。どれも自分で見聞きしたものではなく、噂に近いものであるのは致し方がなかった。


「ふむ。では戦象部隊についてもう少し情報を集めよ」


「はっ」


セルスは情報将校たちに引き続きの情報収集を命じ、議題を移した。現状確認は終わったため、次はメルガラで具体的にどうオスマンド軍と戦うかについて意見が戦わされた。


だがその間も、セルスの脳裏には戦象という言葉が消えることなく刻み込まれていた。傲慢とも言えるほどの自信家であるセルスにしては珍しく一抹の不安を抱いており、それが頭の中を渦巻いてたのだった。

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