群雄たち
「遂にあの血みどろ坊主が出ていったか…」
マーラントの声には歓喜と興奮、そして抑えきれない不満が入り交じっていた。
オルシア軍がソランディアの地から去った。それは喜ばしいことである。いよいよ、挙兵の日が近づいてきたのだ。
(できれば、自分の手で叩き出したかった…)
それがマーラントの不満だった。だが現在の彼の力では不可能だ。それがわかるだけに、より一層歯痒かった。
血みどろ坊主こと、オスマンド・ワルドはソランディア中から兵をかき集めた。麾下のソランディア総督軍はもちろん、本来権限の及ばないはずのソランディア北部やシルリア、南方の州からも強引に兵を引き抜いた。さらに、ソランディア人からも兵を募った。南方人との混血が盛んなソランディア人は他の中原諸国に比べて体格がよく、膂力も強い。血の気が多く勇猛であり、優れた戦士として恐れられていた。オスマンドはこのソランディア人を兵とすることで、質量ともに自軍の増強を図ったのである。
こうして12万もの兵力を整えたオスマンドは、オルシア本国に乗り込んだ。オスマンドの参戦により、セルス側に傾いていた天秤は大きく引き戻された。それはすなわち、戦乱が長引くことを意味する。
内乱の長期化。反ソランディア分子にとってそれは、願ってもない状況だ。両軍ともにオルシア帝国軍であるためにどちらが勝とうとオルシアは弱体化する。それにつけこみ、挙兵するのだ。
ソランディアが立てば、他の5ヶ国の遺臣たちも動くだろう。カラニア、エニス、ギリア、トルダール、シルリア、そしてソランディア。かつてオルシアは巧みな外交と謀略によってこれらの国家を分裂させ、各個に撃破した。裏を返せば、6ヶ国が団結していればオルシアとて中原統一を果たすことはできなかったということだ。弱体化したオルシアに、旧6国が牙を剥く。それは決して、無謀な賭けとは言い切れなかった。
(その中心となるのはソランディアだ…)
そしてそのソランディアの中心となるのはアルヴィス家、すなわちこのマーラント・アルヴィスだ。祖父マルヴィオンの予言にも似た遺言を、マーラントは心から信じ込んでいた。
(オルシアを滅ぼすのは、この俺だ…!)
若き英雄は今、飛翔の時を迎えようとしていたのだった。
テュイオン州ヨーリス県。ソランディア北部に位置するテュイオン州はかつて、独立した1つの諸侯国だった。隣国カラニアの影響を色濃く受けたテュイオンは、征服された後も独自の文化を保ち、住民もソランディア人よりむしろカラニア人やテュイオン人の血を強く引いていた。
そしてヨーリスはまた、リュホードの故郷でもあった。リュホードもまた、ソランディア人には見えなかった。強いて言えばその長身がソランディア人の血を示すかにも見えるが、リュホードはすらりとした長身であり、筋骨隆々としたソランディア人の体格とは異なっていた。
「なんだか、妙に沈んでやがるな」
リュホードの言葉に、傍らのローワンやカイハールが頷いた。
リュホードがいた頃、ヨーリスはもう少し人口も多く、それなりに活気もあった。だが今、その活気は失われていた。
「土地の者に聞いてみるとするか」
リュホードの指示で、1人の老人が連れてこられた。哀れな老人はがたがたと震え、命乞いをするばかりだった。なんとかローワンが宥め、ようやく口をきけるようになった老人は次のようなことを語った。
内乱が始まり、正規軍はほとんどがオルシア本国に向かった。軍の不在により治安は乱れ、ヨーリスには盗賊が跳梁跋扈するようになった。農民たちは盗賊を恐れ、逃げられる者は皆逃げてしまった。後に残されたのは老人や病人ばかりであった。
「まったく。迷惑な話だな」
言いながらリュホードは自分の言葉に皮肉を感じていた。セルスに罪を許されたとはいえ、リュホードもまた盗賊だった。リュホードの手下たちは統一性のない武装に身を固めており、一見したところでは盗賊にしか見えない。そのような者たちが数百人もいれば、この老人ならずとも恐れるのはむしろ当たり前であった。
そう、リュホードの手下は300人を超えていた。オルシアの皇子ファロスを無事に送り届けたことで、リュホードはセルスに多額の賞金を与えられた。故郷や行くあてのある者たちには惜しげもなく路銀を与えたが、去った者は2割にも満たなかった。160人の部下を引き連れ、リュホードは一先ず故郷ヨーリス県を目指すこととした。
リュホードは報酬として与えられた金で食糧をたっぷりと買い込んだため、彼の部下たちは飢えを知らなかった。また160もの武装した男たちを襲うような盗賊はいるはずもなく、その面でも心配はなかった。食糧があり、安全に旅ができる一団。飢えた流民たちがこれを見逃すはずはなかった。食い詰めた農民や流民、果ては小規模な盗賊団までもが少しずつ紛れ込み、いつの間にか一行は300を超える人数となっていた。
だがこれだけの人数となれば、いつまでも放浪を続ける訳にもいかない。当初ヨーリスは一先ずの目的地に過ぎなかったが、今は安住の地としての期待が高まっていた。
(傭兵としてでも雇ってくれねえかな)
とはいえ、リュホードの考えといえばこの程度のものである。だがリュホードの手下は300人を超える。女子どもや老人を差し引いても、武器を取ることのできる若い男たちは250を下ることはないだろう。オルシア帝国軍が去った今、250とはいえある程度まとまった兵力は貴重だ。県令や有力者、都市や村々など雇用先には事欠かないだろう。その意味では、リュホードの考えはそう的外れでもなかった。
しかしリュホードはそこまで深く考えている訳ではない。彼は根本的に楽観主義者であった。なんとかなるだろうと思って生きてきたし、また実際になんとか生きてくることができた。これはリュホードの一種の才能と言ってもよかった。そして歴史の大河はしばしば、このような人物を英雄に祭り上げる。リュホードは、自分でも知らぬうちに英雄の階段を上り始めていた。
エイランド・ゲルフ。仲間たちにそう呼ばれる男がいた。
彼の本名はエイランド。貧民出身の彼に姓はなく、ゲルフとは「入れ墨」という意味である。その渾名の通り、彼の額には入れ墨が黒々と刻まれていた。
もっともそれは、自らの意志で刻んだものではない。罪を犯し、刑罰として刻まれたものだ。だがエイランドはそれを誇りとし、ゲルフと呼ばれることをむしろ喜んでいた。犯した罪を誇っているわけではない。刻まれた入れ墨そのものを、誇りとしているのだ。
15にして貧民街きっての悪童として名を馳せていたエイランドはある日、1人の人相見に出会った。その人相見はエイランドの顔を見るなり目を見開き、言った。
「お前は長じて罪を犯し、顔に墨を入れられるだろう。だがその後、王になるだろう」
エイランドは良いことを聞いたと喜び、持っていた金をそっくり人相見にくれてやった。
数年後、エイランドは罪を犯して捕らえられ、額に入れ墨を刻まれた。苦痛に喘ぎながらも、エイランドは終始不敵な笑みを浮かべていたという。
その後エイランドは囚人として街道造営に駆り出された。ここでもエイランドは精力的に動き回り、囚人仲間である裏社会の男たちと親交を深めていった。ここで構築したある種の人脈は、後にエイランドを大いに助けることとなる。
やがてオルシアの内乱が始まり、帝国正規軍が去ると、エイランドは仲間を語らって脱走した。囚人仲間や流民を集めて盗賊団を作り、カラニアを中心に暴れまわっていた。役所を襲い、オルシアの官営倉庫を略奪し、村々を襲撃した。
そのうちエイランドは囚人仲間の紹介でカラニア南部のシウス県の県令ゴドレス・ゼイマンと知り合った。エイランドの野心と勇猛さを大いに気に入ったゴドレスは彼に娘を与えて婿とした。
エイランドは今、シウス県軍の司令官として将兵を厳しく調練している。盗賊時代の仲間や現地徴集兵をかき集めただけの800兵だが、エイランドの指導の下随分とさまになってきた。一度戦乱となれば、流民や農民を集めて軍勢を膨らませることができる。今は核となる精鋭を鍛えれば良い。
(俺は王になる…!)
エイランドの心は野望に燃えていた。
リヨス州。旧エニスの一部であるこの地域には、多数の湖沼があり、漁業が盛んに行われていた。古代シュルカニア王国の時代には風光明媚の地として知られていたのどかな地であったが、幾多の戦乱を経た今は人心も荒廃し、住民は漁業に従事する傍ら、盗賊行為も行っていた。
漁師兼盗賊とでも言うべきこの荒くれ者たちの首領として君臨する男がいた。名をフォーエン・オートリカスという。
自身も漁師であるフォーエンには、鼻息の荒い無頼の徒を従わせるだけの、天賦の魅力とでもいうべきものがあった。
まずはその姿である。背は平均的だががっしりとしており、体格は一回り以上大きく見えた。無造作に伸ばした髪と顎髯は猛々しさを感じさせ、巨大な目はぎらぎらと輝いていた。顔の中央に鎮座する鼻は大きく、口もまた握り拳を飲み込めるほどであった。一言で言えば、異相である。いかにも豪傑といったその姿は配下の荒くれ者たちを畏怖させるに十分だった。
彼の性格もまた、手下たちの心を惹き付けていた。フォーエンは見た目に違わず豪放な男であり、無類の酒好き、女好きだった。最も年若い者にも気さくに話しかけ、酔えば肩を組んで高歌放吟した。そのようなフォーエンに配下の男たちは親しみを覚えていた。
そして何より、彼は物惜しみをしない男だった。手に入れた物は部下に分け与え、困っている部下がいれば労力を惜しまず助けた。食糧の在処をかぎ分ける能力にも優れており、これも慕われる大きな理由だった。
畏怖の対象であるとともに親しみやすく、また全力で部下を守ろうとする。そんなフォーエンを、配下の男たちは「オートリカス」の渾名をつけて呼ぶこともあった。オートリカスとは中原に古くから伝わる物語に登場する陽気な悪党である。民衆に人気のあるこの人物に、フォーエンはそっくりだった。彼はまた、同時代に無数に現れた群盗の首領の中で最も首領としての性質の強い男であるとも言えた。
彼の下には500近い男たちがいた。影響下にある者まで含めれば、1000近くにのぼるだろう。ならず者の集まりとはいえ、一大勢力といえる規模だ。フォーエンには大きな野望はなかった。日々の食事に事欠かず、毎日を面白おかしく生きていられればそれでよかった。だが時代がそれを許さなかった。フォーエンもまた、歴史の激流に巻き込まれる運命にあるのだった。