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オルシア帝国の動乱  作者: 北の旅人
11/16

イフリタの会戦

セルスは廊下を速足で歩いていた。脱ぐ間も惜しかったのか、兜は外しているものの鎧は身につけたままの姿である。衛兵も連れず、侍女や使用人を突き飛ばすような勢いで進んでいく。


ある部屋の前まで行くと、セルスは勢いよく扉を押し開いた。


「オフィリア!」


部屋には1人の美しい女がいた。肌はまるで北方の人間であるかのように白く透き通り、艶やかな黒髪は腰まで伸びている。黒い瞳は宝玉のように輝き、唇は紅く艶やかに光っていた。


「オフィリア!」


セルスは再び叫び、女を強く抱きしめた。


「セルス!ああセルス!」


オフィリアと呼ばれた女もセルスの名を呼び、筋肉に覆われた逞しい胸に顔を埋める。


「よかった。無事でよかった…」


セルスの黒い瞳は潤み、口元には安堵の笑みを浮かべていた。


「父上!」


さらに、抱き合うセルスとオフィリアに少年と少女がしがみついてきた。


「セルゲン!セレナ!」


セルスは2人の子どもたちも抱きしめた。


「本当に、無事でよかった…」


オフィリア、セルゲン、セレナ。彼らはセルスの妻子である。


セルスより5歳年下のオフィリアは今年28歳だが、子どもが2人もいるとは思えないほどの若さと美しさを保っている。セルスの傅役オスワンの姪にあたり、幼い頃より親しかった優しいこの妻をセルスは深く愛していた。セルゲンは10歳、オフィリアの美貌とセルスの精悍さをよく受け継ぎ、同年代の皇族随一の聡明さで将来を期待される少年だ。セレナは8歳ながらも母に似て美しく、成長した暁には帝国一の美女となるのではないかと噂されていた。


「危ない目には合わなかったか?怖い思いはしなかったか?」


普段のセルスしか知らない者が聞けば驚くほどの、それは優しい声だった。


「はい。あなたは必ず来てくれると信じていましたから…」


「そうか。オーリンやギリウスもよくやってくれた」


オフィリアらを帝都ウルヴァーンから脱出させ、バルド城で保護していたのはオーリンらだ。セルスの親友であり、またオフィリアの従兄でもあるオーリンは命がけで彼女とその子どもたちを救いだしたのだ。そうでなければ、オフィリアらもまたセルバドスの妻子と同じかそれ以上に苛酷な運命を強いられただろう。


「それに、義姉上さまもおりましたから」


「ベルタ殿か」


ベルタはセルスの次兄セルウィウスの妻である。オフィリアと違い、勝ち気な性格であるベルタは確かにこのような非常事態には大きな心の支えになっただろう。


「でも今はあなたがいます。それだけで、もう…」


オフィリアの目から、安堵と喜びの涙がこぼれ落ちた。セルスはより強く妻子を抱きしめた。戦いはまだ続き、妻子との再会の喜びも束の間、またすぐに出陣せねばならない。だが、それでも。


(必ず守り通して見せる…!)


セルスは改めて心に誓ったのだった。




帝国暦14年7月末、ついにセルス軍はイフリタ市の前でハウロス軍と遭遇した。皇帝家のラグノス率いる6000の援軍を得たハウロス軍は戦車4500両と歩兵5万を有していた。ハウロスは全軍を三分し、右翼をレニード・クルゴア、左翼をラグノスに任せ、中央部隊は自ら指揮した。


ハウロスが採用したのは、オルシア帝国軍の典型的な陣形だった。本隊、レニード隊、ラグノス隊はいずれも重装歩兵の方陣を組み、前面や側面、間隙を軽装歩兵で固め、その前面には戦車部隊を配置した。戦車の一斉突撃で崩れた敵を歩兵の圧力で押し潰す。強引ではあるが成功すれば敵に大きな損害を与えることができる戦術だ。特に今回は歩兵の数では劣るものの戦車の数ではセルス軍を上回っており、勝機は十分にあると思われた。戦の要たる戦車隊は右翼から順にアルカード・ルッツ、ルクルス・コルネオ、ラルーフ・アラマニといった中堅の将が指揮を執っていた。歩兵は中央では4隊、左右では3隊に分け、司令官及びその幕僚が5000ずつを率いていた。


一方のセルス軍は、中央はセルス自ら率いるギリア総督軍4万が陣取り、ギルム、ガレス・ロート、ギリア人のテウクロスらが幕僚を務めた。左翼はシーワードが指揮官としてトルダール歩兵2万を率い、ロッシュ家のファルハードが指揮を執る戦車隊2000両が前衛として配置された。右翼はバルド城反乱軍やエニスでの投降兵、傭兵から成る混成部隊で、3万1000の歩兵をセルス軍における事実上の副将オスワンが指揮し、トルダール軍から割いた1000両を含む2000両の戦車をオスワンの息子オーリンが率いて前衛となった。また歩兵部隊はバルド城反乱軍の諸将をはじめとする15人の将が2000人ずつを任されていた。さらに左右の両端には騎兵が5000ずつ配置され、それぞれ騎馬民族出身のソルカンとジルゴアダイが指揮官を務めた。


戦いはハウロス軍戦車部隊の突撃により火蓋が落とされた。4500もの戦車が疾駆するさまは流石に迫力があり、砂塵が高く舞った。セルス軍側もファルハードとオーリンの指揮の下、左右の軍から戦車部隊が動き出した。元は同じオルシア軍同士、装備も戦術も同じくする両軍の戦車部隊は激しくぶつかり合った。


しかし中央の戦いはやはりというべきか、様相を異にしていた。歩兵のみで構成されるセルス軍は動こうとせず、ルクルス率いるハウロス軍戦車部隊は他の隊よりも前進していった。両軍の距離が200ザムまで狭まった、その時。


「放て!」


セルスの命令一下、無数の矢がルクルス隊に襲いかかった。弩砲から放たれた矢は戦車兵が身につける頑丈な鎧すら貫き、御者を失って暴れまわる戦車、馬を殺され行動不能になる戦車が続出した。矢は絶え間なく放たれ、その度に犠牲が増えていった。それでも、ルクルス隊は突撃をやめなかった。近づくことさえできれば、歩兵の隊列を突き破れるかもしれない。助かるためには進むしかない。その一心だった。


だが行動不能となった戦車が障害となり、動きが制限されている中で、矢は容赦なくルクルス隊に降り注ぐ。辛うじて敵陣に近づいた戦車もまた、統一された行動ではなかったがために矢や歩兵の長槍の餌食となった。


また、 ハウロス軍にとって不運なことに、左右の部隊もまた崩壊しつつあった。ハウロス軍の戦車は総数ではセルス軍を上回っていたが、セルスがあえて中央を歩兵のみで固め左右に戦車を集めたために局地的には劣勢であり、徐々に圧されていた。さらに両端のセルス軍騎兵による側面攻撃が決定打となった。ハウロス軍戦車隊は算を乱して潰走し、自軍の歩兵隊列や中央のルクルス隊に駆け込んでいった。味方の戦車部隊の突入によりハウロス軍歩兵部隊は浮き足立ち、続くセルス軍戦車部隊の正面攻撃及び騎兵隊の側撃により崩壊した。騎兵の一部は追撃を行い、他の一隊はルクルス隊に襲いかかり、残りの騎兵及び戦車部隊はハウロス軍中央の側面と後方を突いた。さらに両翼の歩兵部隊も側面攻撃を行ったため、ハウロス軍は完全に包囲された。


宿将ハウロスと言えど、ここまで包囲されてしまえばなすすべはない。兵は次々と倒れていき、ハウロスも死を覚悟した。しかしこの時、故パルケスの息子パウル・エターナが命を賭してセルス軍右翼のエニス部隊に突撃した。パウルとその手勢の多くは壮絶な戦死を遂げたが、彼らの犠牲によりハウロスら一部の将兵が血路を切り開くことに成功した。


「イフリタの会戦」はセルス側の大勝利に終わった。敗れたハウロス軍は戦車4000両を失い、戦車兵と歩兵合わせて2万8000が死傷、3万余りが降伏、さらに多数の逃亡兵が出た。指揮官でも、ルクルス・コルネオ、パウル・エターナをはじめ6人が討ち死にし、宿将レニード・クルゴア、アルカード・ルッツが捕虜となった。また生き延びたハウロスも重傷を負っていた。


一方のセルス軍は戦車50を失い、1500ほどの死傷者を出した。損失の多くはパウルの決死の突撃を受けたエニス兵であり、セルス子飼いのギリア総督軍は僅かに数名を失っただけであった。主要な指揮官はオーリンが軍務に支障をきたさない程度の軽傷を負っただけで、全員が生きていた。


降伏兵を加えて14万に膨れ上がったセルス軍はウルヴァーンに向けて進軍した。連戦連勝、しかも味方の犠牲が僅かであったためにセルス軍の士気は天を突かんばかりに高まっていた。内乱の勝者がセルスであろうことを、この時点で疑うものはほとんどいなかった。

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