セルスの軍勢
「バルド城の戦い」から数日後。ついにセルスの全軍が入城した。その数、7万。援軍としてバルド城に先行した将兵も含めれば、10万を超える大軍勢だ。
(これがセルス殿下、いや陛下の軍勢か…)
オーリン・ワルドは目を見張った。周囲の仲間たちも皆、驚愕と動揺を隠せないようだ。それほど、セルスの軍勢はあらゆる点で従来の常識を覆すものだった。
伝統的な中原の軍勢は大きく3つの兵科に分けられる。戦車と重装歩兵、そして軽装歩兵だ。
古代における戦場の花形といえば、戦車であった。4頭の馬が曳く二輪戦車に御者と車右と呼ばれる戦士、車左と呼ばれる弓兵が1人ずつ乗り組み、「乗」という単位が構成される。通常、戈という長柄武器を持つ車右が最も身分が高く、乗の指揮官を務めた。車右は貴族、車左と御者はその部下であることが多い。圧倒的な機動力と突撃力を誇る戦車は古代及び戦国の世の初期には戦場の王者として君臨した。しかし戦車は平地でないと運用できず、また育成にも維持にも多くの時間と費用がかかるなど制約が多く、戦争の大規模化に伴い歩兵の重要性が増していくと、相対的に地位を低下させていた。それでも、騎兵を用いない中原において戦車は主要な兵科であることに変わりはなかった。
重装歩兵は戦車を用意するほどの財力はない下級貴族や裕福な平民で構成される兵科だ。兜や胸甲、盾に身を固め、槍や棍棒、戦斧、刀剣などの得物で武装する彼らは「甲士」とも呼ばれる。通常の歩兵より攻防ともに優れ、また一般に士気も練度も高い甲士は歩兵の中核として戦列を支える存在だった。
軽装歩兵は農民や市民から集められた徴集兵である。粗末な盾や槍、弓矢で武装する者が多く、初期には鋤や鍬、斧などを得物とする者すらいた。時代が進むにつれ、各国は弩など強力な武器も与えるようになったが、一般的な認識として数合わせの域を越えることはなかった。
戦車、重装歩兵は全て自弁であり、軽装歩兵についても弩などを除けば費用は全て個人の負担であった。
これらが中原の一般的な軍勢であったが、オルシア帝国軍は様相を異にしていた。
戦車については多少の改良を施した程度であり他国と大差なかったが、重装歩兵は質量ともに他国を凌駕していた。
鉄製の甲冑を身につけ、右手には3ザム(約3メートル)の長槍を持ち、左手には長方形の大盾を装備する。500人で1個中隊が構成され、この中隊が横に並ぶことで方陣を形成した。盾と盾の間から長槍を突き出して攻撃し、前の者が倒れれば後ろの兵が交代する。また後方の兵は槍の角度を少しずつ変えることにより、敵の矢を払いのけるという役割も持っていた。重装備であるために他国の歩兵に比べて機動力は劣るが、攻撃力と防御力は桁違いであり、全員が職業軍人であるために練度も非常に高かった。この重装歩兵部隊は先帝セリオンが中原征服のために考案したものであり、オルシアの覇道に大いに貢献した。
軽装歩兵もまた、他国のそれとは違っていた。北方の屈強な山岳民族から募った兵士たちは投槍や弓矢、投石などの特殊技能を活かして戦い、徴集兵たちも軽くて丈夫な革鎧とオルシアの優れた技術力で改良された弩を与えられていた。これら軽装歩兵は重装歩兵の前面や側面に散兵として配置される、あるいは重装歩兵の後ろに並んでの一斉射撃といった運用がなされた。帝国の成立後も、各地の総督には現地住民を徴集する権限が与えられており、彼らは主に軽装歩兵として用いられた。
これらの兵は一部の徴集兵を除けば全員が職業軍人であり、高い練度を誇っていた。また武装は全て国家が支給したものであり、能力の均質化が集団戦を容易にするとともに、あらゆる階層から兵を集めることを可能とした。職業軍人化と武具の支給、また豊富な鉱山資源や西方との交易から得られる軍資金により、オルシアは一王国に過ぎなかった頃から時期を選ばず12万もの軍勢を動かすことができたのである。
このように、オルシア帝国軍は中原の軍隊としては異質な存在であった。だが、セルスの軍はそのオルシア帝国軍の中にあってさえ特殊だった。
セルス軍のうち、トルダールやエニスの兵は通常のオルシア帝国軍であり、戦車と重装歩兵、軽装歩兵から成っていた。しかしセルス直属のギリア総督軍は騎兵と重装歩兵のみで構成されていた。
セルスは与えられた3万のオルシア帝国軍の他に、現地住民から志願者を募って2万の兵を編制し、これら全てを重装歩兵として訓練した。合計5万の重装歩兵には長槍の他に投槍と短めの剣を装備させて訓練を徹底して施し、より柔軟性のある行動を可能とした。投射兵器を扱う軽装歩兵の不在は、重装歩兵に装備させた投槍と小型の弩砲で補っていた。
それ以上に特徴的なことは、騎兵部隊の存在である。セルスは指揮官のものを除いて全ての戦車を廃し、代わりに北方遊牧民から1万の壮健な若者を募り騎兵部隊を編制した。防具は簡素な革鎧と小型の丸盾のみの軽装で、武器は短弓や槍、刀で武装したこの騎兵部隊は、戦車よりも小回りがきき、機動性にも優れ、また地形にも比較的左右されずに運用することができるなど多くの利点があった。奇襲という要素もあったが、「バルド城の戦い」での勝利は戦車に対する騎兵の優位を証明することとなった。
無論、5万の重装歩兵と1万の騎兵を維持するには莫大な費用がかかる。軍資金確保のため、セルスはまずは無駄を省くことから始めた。その最たるものが、先に述べた戦車部隊の廃止である。ギリア、トルダール、ソランディア、シルリアの各総督軍にはそれぞれ3000両の戦車が配されていた。戦車には4頭の馬、熟練の御者、訓練された戦士と弓兵が必要であり、育成に長い時間と資金がかかるとともに維持費も大きなものとなる兵科だ。また貴族階級の者で構成されているために要求が多く、扱いづらいという欠点もあった。セルスはこれを嫌い、戦車部隊を本国に送り返し、予算のみを受け取って軍資金とした。
しかし、6万の常備軍を維持するにはこれでも足りない。そこでセルスが取った方法はごく単純で強引なものだった。ギリア地方に重税をかけたのだ。これには、兵士の家族には税を軽減することで兵員の確保が容易になるという副次的効果もあった。
大量の重装歩兵で敵に圧力をかけ、あるいは攻撃を防ぐ。その隙に騎兵で敵の側面あるいは背後を突き、戦列を突き崩す。重装歩兵の持久力と騎兵の機動力を合わせたこの戦術を、セルスは得意としていた。
(この軍隊は…戦争を一変させてしまうかもしれない…)
オーリンはぶると身震いした。
先帝セリオンが作り上げたオルシア軍と、セルスが独自の工夫を加えたオルシア軍。どちらがより強力であるかは、これからの戦いにかかっていた。