触るなよ!絶対だぞ!絶対だからな! ……あれっ?
休憩中、シャルリーヌは煎餅を食べまくり、ぐーすか寝てしまった。緊張から解放されたのと、満腹になったせいかな。正直彼女には、あんまり食べて欲しくない。いくらヒロインであろうとも、醜い脂肪と無縁ではないからだ。でもね、今日は頑張ったし大目に見るよ。明後日からは、おやつ食べてのんびり昼寝なんてこともできなくなるだろうしね。
さて、私は私で情報収集にでもいこうかな。天使の寝顔を晒すシャルリーヌをベッドに移動させ、私は部屋を後にした。
広間に戻った私は、獲物を探すべく素早く視線を走らせた。しかし私が速攻で捕らえたのは、数人の令嬢言い寄られているセレスたんの姿。私にはその光景が、獲物に群がる猛獣にみえた。
嗅覚の鋭い獣には、屠りやすそうな獲物がすぐにわかるんだね。しかし、それを黙って見ている私ではない。意地汚い獣どもめ、それは私の獲物。手出ししようものなら、バラバラに引き裂いて腸を引きずり出してくれようぞ!
私が全身に闘気を漲(みなぎ)らせ、突撃しようとしたその時である。
「王女殿下」
この声は……。おはようからおやすみまで、前世に聞きまくった忘れもしない端整な声。
振り返ればそこには、我が婚約者、ラウル・イグレシアもとい、ラウル・ド・カナイドが、赤い瞳で私をじっと見つめていた。
いつもの猫背はピシッと正され、ぼさぼさな長髪は短く綺麗に整えられている。へらへらした表情も、今日ばかりは落ち着きのある真面目な顔を見せていた。その姿は、攻略キャラ随一のイケメンといっても過言ではないだろう。でもなんだか少し違和感が……。
「こうやってお話しするのは久しぶりですね」
久しぶり……? 会ったことあったっけ? ……思い出せないし、適当に合わせておこう。
「……ええ、ラウルさま」
ラウルが表情のない顔に美しい微笑を浮かべる。イケメンが笑えば様になるけど、じっと魅入るほどのものではない。しかし彼の微笑みには、この私に目を離したくないという抗い難い感情を抱かせるものがあった。それと同時に感じる全身への悪寒。何これ気持ち悪い。式典で交わした挨拶の時だって、こんな風には感じなかったのに。こいつは本当に危険人物かもしれない。用心しないと……。
身を硬くする私とは裏腹に、ラウルは笑みを深めて距離を詰めてくる。
「貴女が小さな手で私のために紅いバラを手折って下さったこと、昨日のことのように思い出せます。あれから十二年……本当に美しくおなりだ」
十二年前っていうと、私が六歳の頃の話……? となるとラウルは八歳か。……ああ、そういえば一時だけ少し年上の少年と遊んだことがあったような……。彼と同じ髪の色の少年が、城の庭にいてそれで……
「あの時の……」
「思い出しましたか」
あっ、これ、私が覚えてなかったのばれてるね。ラウルは相変わらず笑っているけれど、何を考えてるか読めないだけに、まあいいかとは言い切れない。気にしてもどうしようもないけど。
って、近い近い! 少しぼーっとしてたら、ラウルが思い切り目の前に。さりげなく距離を取ろうとしたら、今度はぐっと腰を掴まれた。おい、何をする。私に触るんじゃない!
後ろ手で空気(レオン)に合図を送ったけれど、奴の動く気配がない。なんて役立たず……!
ラウルと婚約した仲であるのは周知の事実であるので、咎める者は誰もいない。周りには仲睦まじい婚約者同士に見えているのだろう。しかし私はこの状況を脱出したい。ここでキスなどされようものなら、蕁麻疹が出ることは必至。この美しい顔が、あんな醜いものに犯されるのを断固阻止せねば! 本当に美しいって苦労するわ。
仕方がない、ここは私が……
「グリザベラ、思い出せ。あの約束を」
低く甘みを帯びた囁きを聞いた瞬間、私は何も考えられなくなった。ラウルの赤い瞳が私を射る。そして次第に沸々と湧き上がる感情。それは――
こいつを殺さないと。殺さなくちゃ。余計なことが言えないように、今すぐ息の根を止めないと――
「ラウル王子、お取り込み中申し訳ありませんが、少々よろしいでしょうか」
「あ……」
割って入ったセレスたんの声のおかげで、私は我に返ることができた。右手に集まりつつあった不穏な気配も慌てて消した。
何なのこいつ、マジで怖い! この治まらない悪寒、もしや避け続けていた神の使徒? だとしたら本当にさっさと消してしまわないと……。
「これはタランス伯爵。何か御用ですか?」
そう言いつつも、ラウルは私の腰を離そうとはしない。ちょっと、セレスたんの目の前で何してくれんの! 身をよじろうとしても、奴の腕はびくともしない。こいつ、絶対殺す……!
「陛下がグリザに御用があるとのことなので……」
セレスたんが遠慮がちに私たちを伺う。いやいや、そこは強引に掻っ攫っていくところでしょ! 相手は各下小国の三男坊だし、無礼とか気にしなくていいから!
「陛下がお呼びとあれば仕方ありませんね。では殿下、またの機会に……」
「ひっ……!」
ようやくラウルの締め付けから解放されたのも束の間、奴は去り際にとんでもないことをしていった。この、私の頬にキスをしていったのだ! うわあああ! じ、蕁麻疹が……!!
「あれ……?」
出てない。それに痒くもない。これはどうしたことか……
「グリザ、大丈夫か?」
セレスたん、心配してくれるんだね。ありがとう。私の美貌は無事よ!
「ええ。蕁麻疹は出なかったみたい……」
「そうじゃなくて、ラウル王子と話していただろう? 彼は昔……」
ギャー! 今は奴の名前は聞きたくないよ! やめて、セレスたん!
「今はあいつの話はしたくない! それより見て、蕁麻疹でなかったのよ! もしかしたら免疫ができたのかも!」
だとしたら、この私に恐れるものなど何もないわ!
「そ、そう。それは良かったけど……。一応医者に見てもらったらどうだ? 色々と……」
「ふふ。そんなことより、手っ取り早い方法があるわ!」
人気のない場所に移動した私たちは、確認するべく役立たず(レオン)の素顔を引っぱたいた。奴は恍惚の笑みを浮かべ、そして私は見事全身を蕁麻疹に犯された。何でだよ!
こんな姿を人目に晒せやしない。
「セレスたん、私は具合が悪くなってしまって行けません、とお父さまに伝えて!」
私はそう言い残して、慌てて広間から撤退した。おのれ、ラウル、許すまじ!!
しかし私の超絶反射神経を持ってしても、奴の攻撃を避けられなかったとは。あいつ、一体何者……?