グリザベラ覚醒!
「では、姫さま。今回は周辺諸国の事情についてご説明いたします」
これをご覧下さい、と差し出された小汚い地図を見て、私は背筋が震えた。
これは……『宣託の乙女』の大陸地図じゃないか! そういえば、私はグリザベラだ……。何か前々から既視感あるなーとは思ってたんだよね。 え、ってことは私0と1の集合体になっちゃったの!? データ消されたら私の人生終了しちゃうの!? いやいやそんな馬鹿な!
全てを思い出した私は、恐慌状態に陥った挙句、教師から逃亡した。だってしょうがない。今の自分といい、世界観といい、私が前世で夢中になった乙女ゲームの世界と酷似していたのだから。ゲームの世界に転生って何。どんなホラーだよ! ってね。
それはともかく、託宣の乙女とは、神の啓示を受けたヒロインが、世界平和のための使者となって友好を結びつつ各国の要人である攻略キャラを落としていくという内容だった。そしてけしからんことに、逆ハーレムルートも存在する。しかしこのルート、攻略キャラたちの高感度を一定値以上、しかも全て同じ数値にしないと、とんでもないことが起こるのだ。
攻略キャラたちがヒロインを巡って争いを起こし、大陸は一気に戦争状態に突入。しかも、好きな人と婚約者を奪われた自国の王女が発狂。彼女は戒めていた本性を現し、ヒロインを様々な方法で血祭りにあげ、そして拷問の果てに死亡したヒロインは、地獄行きとなってしまうのだ。条件が難しく、逆ハーにはならずに地獄行きになることが多かったため、阿鼻叫喚ルートとも言われていた。
で、私が生まれ変わったのはなんと、発狂する王女グリザベラ・アデライード・ド・ランシュテールだ。そして戒めていたものというのは、血が大好きな危ない性癖のことだった。
そう、もちろん今の私も血を見るのが大好きだ。それだけでなく、悲鳴を聞いたり他人の苦悶に歪む顔を見るのも大好物だ。もしやと思って家系図を辿れば、婚姻を結んでいるのは見事血縁者ばかり。血族結婚の成れの果てってやつだね!
あの紅く流れる鮮やかな色を見ると、ドキドキ、わくわく、ゾワゾワ、と得体の知れない興奮が心の底からわき上がってくる。ああ、これをもっと見たい。川のように流れる様を見てみたい……。
「ちょっと、グリザ、痛いんだけど……」
「あ、ごめんなさい」
私は慌てて怪我をした少年の指を放した。茶髪に地味顔の彼は、サポートキャラであるヒロインの兄、セレスタンだ。そして私の遊び相手でもある。
彼は攻略キャラではないけれど、私が二番目に気に入っていたキャラクターだった。どうしようもなくフツメンではあったけれど、ヒロインへのお兄さんな対応と、たまにみせるうっかりさんな所が私のツボをついた。ユーザーからも、何故彼が攻略キャラじゃないのかという声も多数あったくらいだ。そんな愛されキャラの彼は、皆から親しみを込めてこう呼ばれていた。『セレスたん』と。
「これでしばらく押さえているといいわ。ね、セレスたん?」
「?……うん、ありがとう……」
私が優しくハンカチを差し出してあげたのに、セレスたんに何故か一歩引いた態度を取られてしまう。そういえば彼はグリザベラの本性に薄々感づいていた数少ない一人だった。今のでもうばれたのかな?
親友に引かれるのは辛い。だったら今のうちに暴露してしまおう。そのほうがショックも少なくてすむかもしれないし。
「セレスたん、これは二人だけの秘密にしておいて欲しいのだけど……。実はね、私、血を見るのが大好きなの」
「えっ!?」
セレスたんは驚いて、怪我をした手を慌ててさっと後ろに隠した。そして私から距離をとるようにじりじりと後退る。まあそんなこと言われれば引くよね。でもちょっと悲しい。
「大丈夫よ。あなたの傷口をぐりぐりと抉って、血を溢れさせるようなことはしないから。想像すると、とっても魅力的でぞくぞくするけど。うん、でも私はセレスたんを決して傷つけないと誓うわ」
「…………そう」
セレスたんと私の距離がますます開く。えっ、何で? 傷つけないって誓ってるのに。子供には刺激が強すぎる告白だったかな? まだ七歳だしなあ……。ふっ、しかし私には奥の手がある。
さらさらの銀髪に少し垂れ下がった目じり。染み一つない白磁の肌に、薔薇色の頬。それがグリザベラの容姿である。今の私は儚げで優しげな雰囲気を漂わせる美少女なのだ。ゲーム本編が始まる頃には、危ない性癖など微塵も感じさせない誰もが認める美姫に成長を遂げることだろう。
そんな美少女が瞳を潤ませて懇願すれば、普通の人間なら絆されてしまうことは間違いないはず。
私は紫紺の目に涙を浮かべて、うるうるとセレスたんを見詰めた。
「怖いよね。気持ち悪いよね……。でも私、頑張ってこの衝動を押さえて見せるから……。セレスたん、私を見捨てないでいてくれる?」
「えー……っと……うん……」
どうやらセレスたんは普通じゃなかったらしい。しかも微妙に嫌そうな顔。何だよ、その反応。いたいけな美少女がお願いしているというのに……。従兄弟だしやっぱり危ない血が流れてる所為? 普通の嗜好じゃないとか? まあいい。セレスたんはお人よしな奴だし、念を押しておけばきっと大丈夫。
「私、貴方を信じてるから……!」
正直に暴露したんだから裏切るなよ! 絶対だぞ! 私を玉座から追い落とそうとするなよ!
「わ、わかったよ。泣かないでくれよ……」
セレスたんの手をぎゅっと握って涙をこぼせば、彼は観念したように頷いた。
そうして一蓮托生の誓いを交し合う私たちの元に、がさがさと垣根を掻き分ける音が近づいてくる。私は慌てて涙を拭った。
「おねえさま、おにいさま、なにをしてらっしゃるの?」
そう言って、可愛らしい顔を綻ばせて駆けてきた少女は、ヒロインであるシャルリーヌ・ド・バルニエだ。
彼女はグリザベラと対照的に、明るく溌剌とした愛くるしい美少女である。年齢は私より一つ年下の、五歳。彼女が十七歳になった頃、本編が始まるのだ。
「お散歩しながらお話ししていたのよ」
「シャルリーヌもまぜてください! おねえさまのお話ききたいわ。あのふしぎな世界のお話、してくださいませ!」
シャルリーヌは私をお姉さまと呼んで慕ってくれている。そして現段階では彼女はとても純真な少女だ。多分このまま育てばこの子は逆ハーレムなんて築かないんだろうな。私も多分発狂なんてしないと思うし。
「もちろんよ。ね、セレスたん」
「うん」
そうして私は前世の記憶を頼りに、地球のことを二人に語って聞かせた。
宣託の乙女のことを思い出す前にも、私には朧げな記憶があった。魔法がなく、科学が発達した夢のような世界。もっと幼い頃にはそんな記憶が不思議で、よく周りの人間に話したり聞いてみたりしたものだ。でも変な顔をされるので、そのうちやめた。唯一真剣に聞いてくれたのは、セレスたんとシャルリーヌだけだ。子供にとっては面白い御伽噺のような感覚なのだろう。今も彼らは目を輝かせて聞いてくれる。可愛いね。でも私には苦悶に歪む表情のほうが魅力的……っといけない、今からこんな調子では先が思いやられる。自分を上手くコントロールできるようにならなければ! そのためにまずは……
「じゃ今日のお話はこれでお終いにしましょう。セレスたんは今から教練があるのでしょう?」
「ああ、そうだった……」
「おにいさま、がんばってくださいね! おねえさまも何かごよていがありまして?」
シャルリーヌの目は遊んで遊んで!と言わんばかりにキラキラしていた。これを断るのはちょっと心苦しいが、私にも生憎と予定がある。この先の人生に関わる大事な予定だ。
「ええ。私も今日からセレスたんと同じく教練に励むことにしたの」
「えっ!?」
「そうなのですか……。ではまたシャルリーヌとあそんでくださいね!」
「ええ。またね。じゃ、セレスたん、行きましょうか」
「うん……」
笑顔のシャルリーヌに見送られた私たちは、教練場に向かう。そして彼女から声の届かない距離まで来た頃、セレスたんが見計らったように話しかけてきた。
「どういう風の吹き回し? 王女さまが戦闘訓練なんて……」
「私は心身ともに健全でいなくてはならないの。邪念を振り払うには自分を鍛えるのが一番だと思って。いい思い付きだと思わない?」
ふっ。もちろん、そんなもん全部嘘だ。前世の記憶をすっかり取り戻し、平静も取り戻していた私は、とある計画を立てていた。それは今の私の地位なら実行可能だ。そのためには、自分を鍛えて強くなり、人望を集めなければならない。そしてシャルリーヌも私が直々に教育しなくては……。
「ああ、うん。まあ確かに……。でも剣の教練なんかは逆に興奮しそうだけど、大丈夫……?」
「大丈夫よ! セレスたん、教練一緒に頑張りましょうね!」
私が満面の笑みを浮かべて言うと、セレスたんは思い切り顔を引きつらせた。何でだ。