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観月の記憶

 買い物の帰りに近所の公園に立ち寄る。私たちはお月見のためのススキを探していた。

「あった、あった」

 主人はススキを見つけ、一本、二本、三本と引き抜く。私が近寄ると、主人は私の鼻先に穂を突きつけてきた。ゆらっと揺れるそれをとっさに手で払おうとする。しかし、私の右手は空を切った。

「残念」

 主人は口元に笑みを浮かべ、再び私に挑んだ。私は今度こそと本気を出したのだが、主人の方が上手であった。

「おっと、危ない」

 黄昏の公園に主人の笑い声が響いた。その向こうでは乳母車を押す女たちがくすくすと笑い合っているのが見えた。


 私たちは自宅に戻るなり、月見団子作りに取りかかった。主人はてきぱきとテーブルにボウルや皿などを並べていく。私はその間、主人に指示された台所の作業を済ませる。

 主人は二つのボウルに買って来た白玉粉を入れ、一つを私の前に差し出す。

「まぁ、やってみな」

 主人は言った。それから自分のボウルに水を入れながら粉を混ぜ、実演してみせる。

「耳たぶくらいの固さになるまで、水は少しずつ入れます」

 粉と水が主人の手により一つの塊となる。その塊から一部をちぎり、手のひらの上で丸めて、主人は皿の上に置く。こうして見ると簡単なものだな、と私は思った。

 ひととおりの手順を教わり、いよいよ私のボウルに手をつける。水を入れ混ぜる。水を入れ混ぜる。水を入れ……ボウルの中で白い塊が形を成したところで主人の〝待った〟が入る。主人はボウルの中に手を伸ばし、中身を確認した。

「お前の耳たぶはこんなか」

 主人は私の耳たぶをつまみ、もう一方の手でボウルの中身と比べた。

「確かに柔らかいけど……でも柔らかすぎだろ」

 主人は白玉粉の袋を手に取り、ボウルに加えた。

「はい、もう一回」

 私は同じように水を加え、粉を混ぜた。

 そんなやり取りが数度繰り返された後、

「う~む……そうだなぁ、〝肉球〟の感触でいってみようか」

 主人のこの言葉から、私は遂に適当な固さを出すことに成功した。

 そして全ての作業を終えたとき、私たちの前には無数の団子の山が築かれていた。

「これは、一体」

「まぁ、俺が食うから」




 お月見のお供え物は、ススキ、団子、酒の三点。これを窓際に配した小型テーブルに並べ、私たちはその前に陣取る。部屋の灯りは消した。

 私たちはただ月を見上げた。こうして月を見るのはずいぶんと久し振りだ。月明かりはこんなにもまぶしいものだったろうか、と私は思った。

「こうして月を眺めるのもたまにはいいだろ」

 主人は言いながら窓を開けた。活けたススキがそよいだ。

「ええ。でも、寒くないですか?」

「この方が風情があるし、俺にはこいつがあるから」

 私たちの間に置かれた盆上のとっくりを主人はひょいと持ち上げる。トクトクトクと、おちょこに酒が注がれ、白い湯気と共に特有の香りが立ち込める。私には少々刺激が強い。

「うめぇ」

 主人は空のおちょこを床に置き、盆上の皿にてんこ盛りの団子をひとつ口に放る。私はその間にとっくりを手に取った。

「お、悪いな。これ一本だけだから」

 主人が差し出したおちょこを満たして私はとっくりを盆に戻す。主人はおちょこに口をつけ、もう片方の手で団子をつまみ、口へ運ぶ。この動作を黙々と繰り返した。

 自分も作ったものだし、そんなにおいしいのかと、私も一つ頬張る。ところが何度そしゃくしても味気がない。味覚の違いだろうか。私は、おいしいですかと主人に尋ねた。

「ん……ああ、うまいよ」

 主人は軽い調子で答えた。これがおいしいのかと思った私はもう一つ尋ねた。

「これは何味というんですか」

「ナニアジ……」

 言いかけて、それまで外を見ていた主人が私の方を向いた。その視線が私の手元に移る。私は団子の皿に手を伸ばしていた。

「お前、食ったのか」

「ええ」

 目を見開き不思議なことを尋ねた主人は、私の返事を受けて苦笑いする。

「あんこの缶詰でも買って来れば良かったな。食うことは想定してなかった」

 主人の答えに私はまたも首をひねる。食べ物を作りながら食べることを考えていなかったとは珍妙だなと。主人は何か隠しているのだろうか。

「のど詰まらせたらいかんから、お前は食うな」

 主人はそう言ってから団子を鷲づかみにして己の口に押し込んだ。




「あら」

 おちょこの半分も満たさずに、とっくりから最後の一滴がこぼれ落ちた。手に持っていたとっくりをひっくり返したまま上下に振り、私は主人に合図する。

「終わりか」

 主人は一言だけつぶやき、惜しみなくあおる。

「もう一本つけましょうか」

「いや、いい」

 予想に反し主人は即答した。この程度で酔ったわけではないだろうに。とはいえ、主人は顔に出ないため外からは判断がつかない。

 主人はおちょこを盆に置き、それをテーブルの下に押し込んだ。どうしたのかと思っていると、主人は床に腕をついて横になろうという体勢をとる。

「ちょっと膝貸して」

 そして遂には私の足を枕に、仰向けになった。左の太ももから主人の温度が伝わった。片方の足にだけ圧迫感があるのも妙な感じがするが、耐えられないほどではない。

 私が主人の足に乗ったときにも、主人は同じように思ったのだろうか。

「本当に風邪をひきますよ」

 主人は私の声に応じなかった。すぅすぅと早くも寝息を立てている。窓から吹き込む夜風は私でも冷たく感じるが、主人はよく寝られるものだと思った。お酒で体が温まっているからか。

 私は左手を床につき、主人の顔をのぞき込みながらその髪をすいた。主人は規則的呼吸以外、ピクリとも動かない。私は指先で主人の頬に触れ、輪郭を滑らせて首筋で止めた。トクントクンと主人の脈が指の腹をたたいてくる。

「大胆」

 私はかすかにつぶやいた。

 不意に視線を感じ、主人が目を開けていることに気付く。私は内心ドキッとしたが、事もなげに思いつきの質問を投げかけた。

「怖い夢でも見ましたか」

「怖い夢、ね。見た見た」

 主人は怒るどころか、いたずら小僧のようにニヤリと笑い、切って返した。

「昔飼ってた猫が化けて出て、危うく殺されるところだったよ」

 ああ、主人は相変わらず分かりやすい嘘をつく。

 私のことじゃないか。夢どころか、私は今まさに主人の急所を押さえている。私が力を込めてこののど笛をかっさばけばお陀仏だ。

 主人は当然理解して、その上で挑発しているのだ。




 私が主人のもとに帰ったのは一週間ほど前のことだったろうか。何の前触れもなく、私はこの世に戻ってきた。人間の間で言われているところの化け猫として。

 こうなったからには、私も人間に復讐をしなければならないと思った。あの世ではそういう風に聞いていた。

 都合がいいことに、主人はすぐ近くにいた。先ほどまで魂だけの存在だった私には、魂を通じて、それがかつての主人と分かった。

 私はいとも簡単に人間に化け、主人に近付いた。

「あの、もし……」

 だが、主人は私に見向きもせず、スタスタと通り去って行った。

 私が見えていないのかと思った。別の人間に声をかけると反応があったので、主人からは無視をされていたと分かった。

 姿を変え、数度試してみるも主人の注意を引くことさえできなかった。私は最後の手段として、元の猫の姿で主人にすり寄った。

「ぇ」

 あまりにあっけなく、主人の足が止まった。

 食い付いた。私はダッとその場から駆けだした。思った通り主人は追って来た。私は人気のない袋小路を見つくろい、しなやかに曲がって主人を待ち構えた。

 カツカツカツ……主人が私の領域に踏み込んだ。十分に引きつけ、私は主人に飛びかかった。しかし主人はとっさに身をひるがえしてかわした。

 私はひきつけが甘かったと反省しつつ、即座に次の手を打った。身体を熊ほどの大きさに巨大化し、主人の退路を断った。同時に唸り声を上げ、毛を逆立てて臨戦体勢をとった。

 主人は表情を曇らせ、ジリジリと後退した。唯一の逃げ道は封じた私はあえて距離を詰めようとはしなかった。

 主人は視線をそらすことなく、足元を確かめてから私をにらんだ。

「積年の恨み、晴らさせてもらいます」

 言ってから、私は主人めがけて突貫した。今度こそ一撃で決めるつもりだった。

「ぅおっ、しゃべったよ」

 一歩、二歩……主人のとぼけた言葉を尻目に距離を詰め、身体を引き裂こうとしたまさにそのとき……

 パンッッッ

 大きな音と同時に私の身がすくんだ。目では目標を捕えていながら、身体が動かなかった。一瞬の隙を突かれた。主人は無駄のない動作で私の首根っこに触れ、引っ張った。私の身体は一気に力を失い、巨大化した身体はしぼんでしまった。

「ヤバイヤバイ。だが所詮は猫よ」

「ニャァ~」

 主人につまみ上げられ、私は降参の声を上げた。




「迷うことか」

 主人の声が、私の意識を引き戻す。同時に、私自身の迷いに気付かされた。主人は続ける。

「犬猫からすれば人間なんて、独りよがりな生き物じゃないの。結局は自分が癒されたいだけで、迷惑極まりないだろ」

 向けられた表情に私は主人の昔の面影を見た。幼き日に主人が見せた表情の意味を、ただの猫だった私には正確に理解できなかった。ただそこには哀しみがあったから、私はその顔をなめたのだ。私が今もただの猫であったなら、あの頃と同じようにしただろう。

 だが今の私はただの猫ではない。ヒト並みに表情を理解し、何より言葉で語ることができる。

 私は主人の首筋から手を放す。

「本当です。そうやって恨みを受け入れて、命で償おうという思考こそ、独りよがりの思い上がりであると気付いていますか」

 私の言葉を受け、主人の両目が大きく見開かれた。再会以来、終始うろたえる様子を見せなかった主人が、明らかに動揺していた。

 私はできるだけ同じ調子で、穏やかに、次の言葉をつむいでいく。決して、主人を打ち負かそうというのではないから。

「貴方はあの日、私に勝利し、私を私と確かめた後、『おかえり』と言って私の名を呼びました。あれは、私を再び〝飼う〟ことの意志を示したものではありませんか」

「それはっ……そうなる、か」

「そうであれば、飼い主としての、私の主人としての責任があります。勝手に死なれては私が困ります」

 主人は目を閉じてその上を手で覆った。

 私は満月を仰ぎ見た。今日という日を忘れられない記憶とするため。空に月が浮かぶ限り、いつでも思い出すことができるようにと。


 主人と月見をして安らかな気持ちになれたのは、私が飼い猫だからなのだろう。私は生まれたときから飼い猫だった。飼い猫で良かったこともあれば、良くなかったこともある。野良猫であれ、それは変わらないだろう。

 私には復讐心などなかったのだと、今頃になって気付いた。私の生涯は、飼い猫としてごくありふれた生涯だったのだろう。主人が気に病むことはないのだ。これは遠からず伝えておくことにしよう。

 主人の様子を見れば、今度は後悔のないよう、この飼い化け猫の世話をするだろうと期待できる。


 そうでなければ、望みどおりに寝首をかけば良い……


   完

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