後 謎の解明に至る経緯
刑事は一体誰が犯人で、何が凶器だと気づいたのか。
真相を語るために、ここでは彼の視点で思考の経路を辿ることとする。
寒冷地で起きた殺人。現場に赴いた彼を待ち受けていたのは深閑とした寒さと、雪に塗り込められた白の世界である。だがその時は特に気に留めることもなく、こんな町で暮らすのは大変そうだ、その程度の印象しかなかった。
しかし遺体を目の前にして、彼はある一つの疑問が真っ先に浮かぶ。
この女はなぜ、こんな寒いのに下着姿なのか。そして床に零れた液体の意味は何なのか。
湿った床は当初、コップの水を零したからだと思っていた。
その後調べは進み、凶器が見つからず彼が行き詰ってしまっていても、最初の疑問は第一印象のごとく頭の片隅から離れなかった。
犯人は元恋人のBだろうか? 彼ならばそう遠慮しないで下着で応対するだろうか?
では逆に、「必ず服を着て応対するのは誰か」と考えた。しかもこれは、考えているうちに別の方向に傾くこととなる。「誰だったら、夜の11時に部屋の扉を開けるだろうか?」と。
刑事は男だったが、どうやら気が強い女だったらしい被害者の心理を追ってみた。
いじめていた後輩か。
ひどい振り方をした元恋人か。
仕事上で衝突している部下か。
女性心理としてもし何らかの理由で未練を残しているのだとしたら、Bを迎え入れる可能性もないわけではない。
ここで彼は室内の様子をもう一度観察した。備えてあった浴衣には特筆すべきものが見当たらない。つまり使われた形跡がなかった。スーツケースに詰め込まれた着替えを確認するものの、このホテルには1泊目だが出張自体は3日目ということだ。ホテルクリーニングを使っていず、着用済みの衣服が入っていたとしても一概にどうとは言えない。
次に彼は、暖房で温まった室内に目を向けた。
一晩中暖房をつけていたのなら、室内は乾燥するのではないだろうか。にも関わらず、床は湿っている。犯行時刻から警察が来るまでの間に、すでに9時間近く経過しているというのに。
ただ、遺体の身体は床に接地している部分以外はそう湿っていなかった。
これと凶器が周辺のどこからも見つからないことをかんがみて、彼は一つの仮説を立ててみた。
液体はもしかすると、もっと大量に零れていたのではないかと。
しかし大量に水を零す犯行のメリットが見つからない。彼が周囲をさらに見渡している時に、窓の外に積もった雪が目に入った。
もしかしたら……。
しかしその思いつきはどうにも突飛である気がしてならない。
備品はほとんど使用された形跡がないと、さきほど3人の部屋は確認済みだ。
それでも一応と周囲の雪の様子を調べてみるものの、結果ははかばかしくなかった。雪に残した足跡を消すのは困難だし、もし非常口から身を乗り出して手だけを出したとしても、後を手で撫でて均した可能性もある。
非常口と言えば、と彼は三人及び犯人が映った監視カメラの映像をもう一度見直した。
廊下の様子を映したこの映像は、文字通り「廊下しか」映していない。
だから事件当夜に限って言えば彼らは、前述の通りに撮影されているのだ。
犯人が頭部を布のようなもので隠していたのは、監視カメラの位置を意識した行動と思われる。であれば、体格が3人と合致しないとしても、部屋にはバスタオルにバスマットにフェイスタオルなど、浴衣の下に詰め込めるものは色々あるだろう。何だったら自分の着替えを使ってもいい。
この点では可能性は3人ともにあり、しかし外に出る事が出来たのはこの時間帯では恐らくCのみだ。しかし、Cだとしてもどうやって凶器を「作成」したのだろうか。
そう、刑事は凶器に使われた鈍器を《氷》だと考えたのだった。この寒さならば水道水を何らかの容器に溜めて外気に置くだけで、数時間あれば凍るだろう。大きさはそう、ペットボトル程度あれば充分人を殴れるに違いない、と。
鑑識の結果からもそれは裏づけされると思った。ポリエチレンは今や色んなものに使用されているが、液体を漏らさず溜めるに、これ以上のものはない──そこまで考えて、刑事はやはりB犯行説を却下せざるを得なかった。彼の部屋に置き去りにされた空のペットボトルは蓋もついたままで、不審な成分は検出されなかったのだ。
氷を氷だけで使用しなければ、容器に必ず血痕が付いているからこれはおかしい。口が狭いペットボトルでは、切り開かずに取り出すのは困難だ。
刑事は鑑識官にポリエチレンを使用したものについて他に何があるかを尋ねた。
「ビニール袋、ラミネート素材、バケツなどのプラスチック製品、梱包用テープなど用途は広範だね」
ビニール袋……刑事はAがコンビニで買った時にもらったであろう買い物袋を思い浮かべた。そういえば、部屋のゴミ箱には紙ゴミしかなかったということは、まだ当人が品物を食べずに袋ごと持っているのだろう。
しかしあんなもので液体を固めるのは無理だ。外側に何か硬い壁がなければ。
やはりペットボトルなのだろうか。部屋にあったあれはダミーで、別途用意して何らかの方法で始末したのだろうか。例えば、アメニティの剃刀などで。Aは剃刀を使っていないが、あらかじめソーイングセットの鋏で口などに切れ目を入れてその下まで水を入れれば、切れないこともないかもしれない。
そうなるとBである必要はなく、また3人の誰しもが嫌疑の対象となってしまう。
どうにも決めかねて途方に暮れ始めていたその時、被害者の部屋のゴミ箱の中の、千切れた紙ゴミを見て彼はふと思った。
何かが引っかかる。ゴミ……コンビニ……缶コーヒーにペットボトル飲料……。
液体を留める器。
コンビニ店員は最初、Aが何だと言っていたか。
『最初パック飲料を物色していたが──』
あれならば何かを使って切り離すのではなく、力を入れれば指で千切ることも可能ではないのか。
そして千切った後は?
ゴミ箱の紙ゴミは本当の紙ゴミで、紙パックのゴミではない。
「これは計画的な殺人だ──」
※※※※
鑑識官に再度問い合わせすると、予想通りの結果が返って来た。
「お尋ねの通り、牛乳パックなどの紙の加工にもポリエチレンが使われています」
刑事が行った『あること』とは、問い合わせの他に《Cの部屋のトイレの詰まりの原因を調べること》と《過去の監視カメラの映像を冬限定で調べること》だった。
それによって、トイレの排水詰まりの当日発生のもので、原因が1リットル飲料の紙パックを破って流したせいだと判明。
また、ほぼ一週間前、監視カメラにC同様に二度非常口(トイレ)に向かって歩く、頭部をやはり布で隠した浴衣姿の人物の映像も確認された。もっともこの映像では下に重ね着などはしていなかったらしく、身体的特徴からCであると判別がついた。この時、同一と思われる人物がサングラス姿で他の時間帯にも映っている。
Cの供述に拠ると、被害者の女性に殺意を抱いたのはこの町に来る以前の話だったという。
「……連絡はもう昨日この町に入る前に済ませていました。仕事の内容でどうも気になる点があるが、他の2人がいない所で話したい。そう言ってあの夜、あいつの部屋に入りました。着膨れした様子に驚いていても、自分の興味のないことに口を挟むような女じゃありません」
紙パックは最初から畳んでカバンの中に忍ばせてあったという。チェックインしてすぐに水を入れて非常口の外に放置、犯行の少し前に回収。一度パックを開いた状態で氷を包み、その上からさらに畳んだバスタオルで氷に直接布が当たらないようにくるんで懐に忍ばせた。切れ目を合わせて取り出しやすくすれば、体温で溶けるのも防げたという。犯行時には革の手袋を着用していた。
「殴った後、氷はそのまま放置しました。シャツにスカートを履いたままでしたが、洗濯物を思い出して脱がせました。着ていた方が盛大に濡れてしまうと思って」
そして衣服を畳んで彼女の鞄にしまうとコップに水を少し汲んで倒し、暖房をそのままに再びタオルと紙パックを懐に入れ部屋を出た。来た方角とは逆に回って、カメラの死角に来たのを確認してからそれを取り出して肩に掛けるなどしてまた様子を変え部屋に戻ったという。
紙パックは戻ってから細かく破いてトイレに流したが、まさか凶器を特定されるとは思わなかった、とも。
「殺してやりたいとは手柄を横取りされる度に思っていましたが、直接はBの昇進でしょうかね。本当なら俺がとっくに出世しているはずなのに、いつまでこうしてこの女の餌食になっていなくちゃならないんだって……企画は最初俺が立てていましたから、この町についても調査する機会はあったんです。それで」
完璧な計画だと思ったのに──ぼそりと呟いてCは項垂れた。
実は俺が掴んだのは凶器がなんであるかということと、Cが以前にこのホテルに来ていたという事実であって殺人の証拠ではない。
にも関わらず、事実に推測を混ぜたものを話して理由を問い詰めただけであっさりとお前は陥落した。
そんなところが、被害者にいつもしてやられた原因なのかもしれないな──
刑事がそう告げると、肩を震わせるばかりでCの答えはなかった。
─了─
ここまでお読みくださったかた、本当にお疲れ様でした。
提示編については意図的に書いていないものとそうでないものが混在し、出来るだけ後者が出ないよう何度も推敲は致しましたが可能性として別のものの方が信憑性が…などということもあるかもしれません。
であれば、全ては私の未熟と致すところであります。
解明編に付きましても、よそさまから見るとツッコミどころがあるとは思いますが、もし良ければ遠慮なく申し出ていただけるとむしろ喜びます。
そして、ややこしい話にお付き合いくださいましてありがとうございます。