前 事件発覚と謎の提示
前編にて問題文、後編にて謎解きという形式にて展開して参ります。
少しでもお楽しみいただければ幸いです。
K町のビジネスホテルの一室で女性の遺体が発見されたその日も、町は最低気温マイナス15度という寒波に覆われていた。
マイナス15度ともなると空気が肌に痛く、鼻の粘膜が中でくっついてしまい、耳などを露出させているとともすれば凍傷になる。ところがこの町ではこれが当たり前の冬であり、河川の水も今時期は氷や雪に厚く覆われる。K町は名うての寒冷地帯に位置し、豪雪でも知られていた。
殺されたのは遠方の都会M市の商社に勤務する営業職の社員で、かねてより進めていた商談の為同僚3人と共にK町に出張しており、業務をこなしようやく帰社が適う前日の出来事だったという。
活気溢れるというにはほど遠いK町ではあったが、5階建てのホテルは小規模ながらも手入れが行き届いており、部屋は全てオートロックだった。窓はレバーで外に開ける片開き式。被害者の女性が泊まっているのは2階であり、窓は建物の裏側に面していた。
死亡推定時刻である午後11時はただでさえ泊り客が少なかった上に、彼女を含む四人は翌日早くに出立するというので、午後8時40分頃には各々の部屋に入ったという。全員での外出は午後7時に一旦チェックインして以来、7時30分に食事に外に出かけ、かっきり1時間後に戻っている。偶然にもその日の泊り客は調査の結果いずれもアリバイが証明されて、最後には同僚3人が被疑者となった。
遺体は鈍器のような物で頭を殴られており、死因は頭部損傷による脳挫傷。そう多くはなかったが、外部に出血及び打撲痕が認められた。14平方メートル程度のユニットバス付きのシングルルーム。壁際に設置されたベッドではなく、中央の床に下着姿のままでうつ伏せに倒れて亡くなっていた。
発見されたのは、翌朝のチェックアウトに集合しないと同僚が不審がって見に行った午前8時15分である。部屋の暖房はついたままで暖かかった。遺体の傍にはガラスコップが転がっており、床のカーペットも少しまだ濡れている。
鑑識の報告に拠ると、液体は被疑者の血液が少量、並びにごく微量にポリエチレンが検出されたものの、主成分は単なる水だという。部屋にはその他机に姿見、テレビに冷凍室付の小さな冷蔵庫が置かれていた。指紋は被害者のもの以外は発見されていない。犯人が拭き取ったものと思われる。
しかしここで、大きな問題が生じて警察は頭を捻っていた。凶器がホテルの内部及び被疑者の部屋からも荷物からも、被害者のそれからも見つからないのだった。そして二階という低階層であるところから外部犯の可能性を考えても、窓の下の雪に何の跡もなく、ホテルの従業員の話からしても夜6時以降雪は降っていない。そもそも窓は内側からしっかり鍵が掛かっていた。ロビーからの不審な外部の訪問者がいなかったとは、従業員が証言している。
また、館内の全ての非常口もまた内側からしっかりと鍵が掛かっていた。一階の端に設置された非常口の扉の外も念のために確認したものの、やはり足跡めいたものは見つからない。こんもりと積もった柔らかい粉雪があるばかりだ。
そこで警察は同僚3人に標的を絞って、被害者との関係の詳細や所持品の検査を行った。
結果、それぞれ被害者とは公私いずれかでトラブルを抱えていて、誰もが動機を持ちうるとわかった。
同僚Aは被害者の後輩であり常日頃陰湿ないじめを受けており、憎しみをほのめかしているのを別の同僚が聞いているという。
同僚Bは過去に被害者と交際関係にあり、ひどい振られ方をして恨んでいたそうだ。
同僚Cは仕事上で被害者と度々揉めており、上役に当たることもありしぶしぶ従っている。今回の商談でもついこの間口論になったらしい。
各人の荷物をまとめると以下の様になる。
被害者:着替え、化粧品、ノートPC、財布、携帯電話、毛糸のマフラーと手袋
同僚A《女性》:入浴・洗面用品(ボディタオル・ソープ・洗顔料)、着替え、化粧品、ソーイングセット、財布、携帯電話、ノートPC、フェイクファーの耳当てに毛糸の手袋
同僚B《男性》:着替え、筆記用具(シャープペンシル・消しゴム・ボールペン・メモ用紙)、財布、携帯電話、ノートPC、毛糸のマフラー・手袋
同僚C《男性》:着替え、デジタルカメラ、毛糸の帽子と豚革の手袋、財布、携帯電話、ノートPC
これに補足事項として4人それぞれの携帯電話の通話記録なども調べたが、犯行当日に被害者に連絡を取ったのはAが午後8時半に彼女に電話したのが最後である。しかしこの時間以前にBもCもそれぞれ電話を掛けており、社用電話私用電話いずれにも疑わしいメールや記録めいたものはない。
被疑者たちは警察の質問に対して次のように答えている。
A「それは確かに※※さんは厳しい先輩でしたけど、だからといってどうこうしようなんて思いません。……え? なぜ入浴用品を持っているのかですか? 私、敏感肌なんでホテルのアメニティがどうも合わなくて。いつも小分けにして持ち歩いているんです。とにかく、昨夜は疲れていましたし10時にはベッドで休んでいましたよ! 8時半に食事からここに戻る前には近くのコンビニに行きましたけど。皆さんとは5分遅れ位でホテルに戻りました。電話は、※※さん何か要るものあるかなと思いまして……よく、後で文句言われるんです。気が利かないとか。でも断られましたけど。……何を買ったかですか? アメとか、チョコレートに缶コーヒーです。疲れた時にと思って。売店のものが気に入らなかったんです。お疑いでしたらレシートをお見せしましょうか」
B「もうあいつとは終わったし、大体があんな女殺す価値もありませんよ。それに俺、次の辞令で別部署に移動予定だし、栄転なんです。どうしてわざわざそんな大事な時期に、殺人なんて。そりゃあ確かにこの出張は正直イヤでしたよ。3日間ほぼあの女と顔付き合わせてましたから……もっとも、それは他の2人も同じですがね。え? 昨晩の外出? しませんでしたよ。10時過ぎに1階の売店前の自動販売機でペットボトルのジュースなら買いましたけど。……見せてくれと言われましても、もう飲んで捨ててしまったので良ければ」
C「※※はキツイ性格だし、まあ仕事ではいつも衝突していましたね。今回の企画だって、最初は俺が主導で進めていたのに、結局アイツに奪われて……でもそんなのいちいち気にしていたら生き残れませんよ。外出? ホテル内でちょっと迷ったぐらいで、ずっとホテル内にいました。残念ながら、食事から戻ってからは一人だったから証明は出来ませんが……え? 何で迷ったのかって? 実は寒さのせいかトイレの水の流れが悪くて、共有のトイレを探していたんです」
刑事はそれぞれの証言の裏を取りにコンビニエンスストア、売店などに向かった。
コンビニのレシートは時間帯も印字してあり、店員も客が少なかったので彼女のことを覚えていた。最初パック飲料を物色していたが、きびすを返して缶コーヒーと菓子類を持ってきたという。
売店は9時までだった為に証言は得られなかったが、部屋に捨ててあった空のペットボトルと同じメーカーの飲料は確かに販売機でも売られている。Bの指紋も確認された。空のペットボトルからは不審な物質は何も発見されなかった。
そしてCの部屋のトイレの水の流れが良くないことも実際に証明された。スーツ姿で建物端にある共用トイレに向かってうろうろ歩く彼が、館内数箇所ある監視カメラにも午後7時20分と同25分、10時35分と同40分の計4度映っている。
同様に他の2人も、Aは8時40分Bは10時05分と同10分に廊下を歩く姿が記録されていた。しかしここでまたしても警察は壁にぶち当たる。
肝心の被害者の部屋の廊下も確かにカメラは映していた。死亡推定時刻の少し前、被害者は自ら戸を開いてある人物を招き入れていたのだった。
頭に布のようなものを巻いた、部屋に用意されている浴衣を着た人物を。
厄介なことに背の高さは3人ともほぼ同じ。Aが少し華奢ではあるが、それ以前に画像の人物はその3人の誰よりも太って体格が良かった。
どうにも決め手に欠けて刑事がもう一度被害者の泊まっていた部屋を眺めていたその時、彼はゴミ箱に目を留めて目を剥いた。
さて、この事件の犯人は一体誰なのか。そして凶器はどこへ行ったのか。
ちなみにそれぞれの部屋にほとんど備品を使用した形跡はなく、ゴミ箱にいくばくかの千切れた紙ゴミがあっただけである。冷蔵庫の中も空のままだった。
「これは計画的な殺人だ! 昨日今日で用意されたものではあるまい。恐らく犯人は、事前に綿密な調査をした上でここを犯行に選んだのだ」
どうやら刑事にはわかったようである。
彼は一つの仮説をもって、この後ホテルにてある作業を行った。
そしてようやく凶器が何かを知ることとなる。
─後編に続く─