まだ、友達。
図書館の自動ドアが背中で閉まった。
その瞬間、空の色が変わっていた。
午後四時半。
さっきまで明るかった空が、急に暗くなっている。
陸は鞄の肩紐を握り直して、空を見上げた。
重たい雲が低く垂れ込めている。
冷たい風が頬を撫でた。
「やば、傘持ってきてない……」
小さく呟くと、すぐ隣で声が返ってきた。
「俺もー!」
圭が笑う。
口角がぱっと上がって、目尻が細くなる。
昔から、圭はこういうとき必ず笑う。
陸はその顔を、何度も見てきた。
「一緒にコンビニ寄ろ?」
「走るか?」
「いやー、濡れるの一緒だし。歩こ」
圭はまた笑った。
雨雲の下でも、その笑いはやけに明るい。
陸は小さく頷く。
二人は並んで歩き出した。
最初は、ぽつぽつと頬に当たる程度だった。
図書館の敷地を出て、本通りに入った頃には、雨脚が強くなっていた。
歩道のタイルに落ちる音が変わる。
ぱらぱら。
ぽつぽつ。
やがて、ぱしゃぱしゃ。
アスファルトが黒く濡れて光り出す。
遠くで車のタイヤが水を弾く音がした。
「マジで降ってきたな……」
陸がぼそっと言う。
圭は肩をすくめて笑った。
「春なのにさ。天気ってほんと気分屋だよな」
「まだ三月だし」
「もうすぐ四月じゃん。桜咲く前にびしょ濡れとか最悪」
そんな話をしながら、二人はゆっくり歩いた。
急ぐ理由はない。
コンビニの自動ドアが開く。
空調の空気が、湿った服に触れてひんやりした。
店内には、雨宿りらしい客が少し増えている。
二人は傘のコーナーへ向かった。
「ビニ傘しかないけど……これでいいよね?」
圭が一本だけ取る。
そのままレジへ向かった。
陸が財布を出そうとすると、圭は先に電子マネーをかざした。
「え、俺が出すよ」
「いいって」
袋から傘を取り出す。
透明のビニール傘がぱっと開いた。
圭はそれを広げて、陸の横に立った。
風が吹く。
傘が少し傾いた。
自然と肩が触れそうな距離になる。
圭がちらっと陸を見て、小さく息を吐く。
「……入る?」
陸は一瞬目を丸くする。
それから、静かに頷いた。
「…おう」
二人は肩を寄せ合って歩き出した。
小さなビニ傘だった。
傘の下では、圭の頭が陸の肩くらいの高さになる。
肩が触れると、圭の肩が陸の腕に軽く当たる。
傘の縁から水滴が落ちる。
ときどき靴に当たった。
雨音が、傘の上で静かに続いている。
「辛いだろ」
圭から傘を受け取る。
「ありがと」
歩幅を合わせて歩く。
肩がぶつかりそうで、ぶつからない。
しばらく歩いてから、
傘の外で水たまりを跳ねる音が響いた。
圭がくすっと笑う。
「なんか、変な感じだな……」
その笑いを見て、陸はぽつりと言う。
「……お前さ」
圭がちらっとこちらを見る。
「こういうとき、笑うよな」
圭が一瞬動きを止めた。
それから、またくすっと笑う。
「バレてた?」
視線を少し逸らす。
でも口角は上がったままだった。
陸は答えずに、傘を少し高く持ち直す。
それきり二人は黙った。
でも沈黙は重くない。
雨音が、静かに続いている。
車のヘッドライトが通り過ぎるたび、
ビニ傘が光って、二人の影が揺れた。
やがて陸のアパートが見えてくる。
圭は傘を閉じた。
水滴がぱらぱら落ちる。
「これ、持って帰って。明日返して」
「いいよ。お前が持ってけ」
「いや、りっくんに持っててほしい」
圭は少しだけ笑った。
「じゃあ、また明日」
「うん。また明日」
圭は手を振る。
そのまま雨の中を走り出した。
駅の方へ向かう背中が、すぐに角に消える。
陸はその場に立ったまま、
閉じたビニ傘を握っていた。
まだ、少し温かい気がした。
冷たい雨が頬を打つ。
それでも、なぜか寒くない。
———
曲がり角を曲がる。
もう陸のアパートは見えない。
圭は鞄を開けた。
中から折り畳み傘を取り出す。
黒い小さな傘を広げた。
小さく息を吐いて、笑う。
まだ、友達だ。
圭は空を見上げた。
雨は、まだ降っている。




