第7話 連れて帰る
ルークが戻ってきたのは、戦いが終わってからしばらく経ってからだった。
血を拭った斧を背負い直し、息を整えながら、小屋の前に立つ。
視線は、自然と扉の向こう――少年のいる方へ向いていた。
「……周囲の確認、終わった」
低い声だった。
「追ってきそうな気配はない。
少なくとも、今夜は安全だ」
ラーラが弓を下ろしながら、軽く息を吐く。
「助かる。
あの狼の動き、どう考えても“偶然”じゃなかったしね」
私は、小屋の中を振り返った。
少年は、相変わらずその場に縮こまったまま、
歯車を胸に抱え、視線だけでこちらの様子を追っている。
逃げる気力もない。
でも、近づかれるのは怖い。
そんな目をしていた。
「……今日は、もう休もう」
私は静かに言った。
「夜の移動は、この子にはきつい。
みんなも少しは休まなくちゃ」
ルークはすぐに頷いた。
「見張りは交代でやる。
俺が先に立つ」
「じゃ、私は後半ね」
ラーラも軽く言って、壁際に腰を下ろす。
私は、少年の近くで見守りをする。
その夜は、誰も深く眠れなかった。
◆
翌朝。
夜が明けきる前に起きることはしなかった。
全員、短い仮眠を取ったあと、
マルタばあちゃんの家で、温かい粥と固いパンを口に入れた。
「食えるなら、食っときな」
そう言って、ばあちゃんは少年の前に器を置く。
少年はしばらく器を見つめていたが、
私が黙って頷くと、
恐る恐る、ひと口だけすくった。
それから、少しずつ。
食べるという行為そのものが、
“許されているか”を確かめるみたいな手つきだった。
朝の空気は、まだひんやりとしている。
村人たちが、倒した魔獣の処理を始めていた。
「三体は村に残すよ。
この狼の魔獣はなかなか美味いぞ!
干し肉にすれば、しばらく結構な量になる」
ラーラが言う。
「残り二体はホームディアに運んで売る。
あのサイズなら、それなりの金になるぞ」
ルークが頷く。
「荷台、借りられるか?」
マルタばあちゃんが顎で裏庭を示した。
「人力のやつならあるよ。
あんたら、力はあるだろ」
荷台は二台。
一台に魔獣の死体を二体載せ、
もう一台に、毛布を敷いて少年を乗せることにした。
馬車じゃない。
人が引く、ただの荷運び用の台車だ。
「……のる……?」
私は、できるだけ低い声で聞いた。
少年は、荷台を見て、すぐに視線を逸らす。
逃げ道がない場所が、怖い。
私は無理に触れず、
先に荷台の縁に手を置いてみせた。
「ここ、つかめるよ」
「落ちない。ゆっくりでいい」
少年は、歯車を抱えた腕は離さず、
空いている片手で縁を掴み、
震えながら、なんとか荷台に腰を下ろした。
毛布をかけると、
身体がほんの少し、緩む。
「……ごめんなさい……」
また、その言葉。
「謝らなくていい」
私は短く返した。
それ以上の言葉は、今は届かない。
◆
出発は、日がきちんと昇ってから。
荷台を引く音が、静かな村道に響く。
魔獣の重みで、足にずしりと負荷がかかるが、
みんなと交代しながら進めば問題ない。
道の途中で、何度か足を止めた。
揺れが強くなると、少年の身体が強張る。
私はそのたびに、歩調を落とした。
「……だいじょうぶ」
短く、そう声をかけると、
少年は、ほんの一瞬だけ視線を上げて、すぐに逸らした。
その反応が、
“聞いている”という証拠なのだと、私は思うことにした。
「無理させすぎるなよ」
ルークが前から声をかけてくる。
「この距離だ。
途中で休みを挟めばいい」
「うん。そうする」
私はそう答えた。
荷台を引く音に混じって、
森の葉擦れの音が聞こえる。
狼の魔獣が出た夜とは違う、
穏やかな朝の気配だった。
それでも、
少年の身体は、ずっと強張ったままだった。
◆
ホームディアに着いたのは、昼前だった。
街門の前で、見張りの兵が目を丸くする。
「……その荷台、何だ?」
「魔獣二体。討伐依頼の分」
ルークが淡々と答える。
「それと……保護した子ども」
視線が、自然と少年に集まる。
私は一歩前に出た。
「怯えさせないで。
事情は、後で説明する」
それだけで、相手は口を閉じた。
盾の少女として、
ここでは私の顔は知られている。
ありがたいと思う反面、
こういう時だけは、
視線が重たいとも思う。
◆
ギルドの前まで、二台の荷台を運んだ。
一台には、討伐した魔獣のうちの二体。
もう一台には、少年。
ギルドの建物の中には、
魔獣の死骸も、少年も、連れて行けない。
少年は、荷台の端に座ったまま動かなかった。
歯車を胸に抱き、
周囲の視線を怖がるように、俯いている。
「……ここで待たせよう」
私はそう言って、
ギルドの入口を見上げた。
「ギルマス、呼んでくる」
ラーラが言い、
受付に声をかけに行く。
ほどなくして、
ギルドの扉が開いた。
「……なによ、外まで呼び出して」
文句を言いながら出てきたセドリカは、
片手に、顔くらいの大きさの
チョコレートクッキーを持っていた。
相変わらず、甘党だ。
「……で?」
ギルドの入口前に並ぶ二台の荷台と、
その端に縮こまる少年を見て、
セドリカは片眉を上げる。
「その子、どうしたの?」
私は、手短に説明した。
村での魔獣の異常。
狼の魔獣が、異様に強化されていたこと。
その場にいた少年。
歯車を抱えていたこと。
闇市で手に入れた歯車と、
形状が酷く似ていること。
番号が刻まれていたことも、
きちんと伝える。
セドリカは、
クッキーを一口かじり、
ゆっくりと噛み砕いた。
「ふぅん……」
視線を細める。
「魔獣の異常化」
「歯車」
「心を病んだ少年……」
「全部が繋がってるかは、まだ分からない」
私は正直に言った。
「でも、無関係とも思えない」
「ええ」
セドリカは、小さくため息をつく。
「きな臭いわねぇ」
そう言ってから、
話題を切り替えるように、軽く指を鳴らした。
「話は変わるけど」
セドリカは、顔ほどもあるチョコレートクッキーをかじりながら言った。
「近隣の養育施設に、3日後には王子が視察に来るわよ」
「もう決まってる通り、
あんたたちも同行するわよ」
私は小さく頷く。
同行は、すでに決まっている。
ただし――
「施設の中に入れるのは、アイリーだけね?」
セドリカは、きっぱりと言った。
「王子の前に出られるのは、
国公認ギルド特別登録者という肩書きがあるからよ」
私は、視線を落とした。
その肩書きを使うのは、正直、好きじゃない。
ただのB級冒険者として動けたら、
それが一番楽なのに。
「……分かりました」
「分かってるならいいのよ」
セドリカは、クッキーを持ったまま、
私の服装を上から下まで眺める。
「その格好じゃ、王家の前には立てないわよ。
仕立て屋、紹介するから行ってきなさい」
「……服、やっぱり必要だよ…ね?」
「必要に決まってるでしょ。
王子の前で“盾の少女”がみすぼらしかったら、
ギルドの評判が落ちるのよ」
ラーラが、肩をすくめる。
「大変だねぇ、看板娘は」
「ラーラ!からかわないで」
そう言い返しながらも、
胸の奥が、少しだけ重くなる。
王子の前に立つ。
それは、“現場の人間”としてではなく、
“国に登録された存在”として見られるということだ。
私は、あまり好きじゃない。
「……それで」
セドリカは視線を、荷台の少年へ向けた。
小さく丸まって、
歯車を胸に抱いたまま、こちらを警戒している。
「その子、どうするつもり?」
私は、一瞬だけ迷った。
正解は、まだ分からない。
でも、少なくとも――
「……放っておけません」
ルークが、一歩前に出た。
「俺のところで面倒を見る」
その声は、静かだったが、迷いがなかった。
ラーラが、ちらりと彼を見る。
「本気?」
「ああ」
「重いよ? それ」
「分かってる」
ルークは、少年の方を見た。
「でも、今のままじゃ、どこにも行けないだろ」
少年は、意味が分からない様子で、
それでもルークの方を見上げていた。
私は、胸の奥が少しだけ温かくなるのを感じた。
「……ありがとう、ルーク」
「礼はいらない」
セドリカは、その様子を見て、
小さく息を吐いた。
「……あんたたち、ほんと厄介ごと好きねぇ」
そう言いながらも、
止める気はなさそうだった。
「一時的な保護って形にしておきなさい。
問題が起きたら、私のところに話を持ってくること」
「分かりました」
私は、そう答えた。
誰がこの少年を守るか。
その答えが決まったことで、
胸の奥に、ひとつの区切りがつく。
「じゃあ、あたしは付き添い役ね」
ラーラが、私の肩を軽く叩く。
♦︎
ギルドを出たあと、
私たちはそのままルークの家へ向かった。
ギルドの喧騒から離れるにつれて、
少年の身体は、ほんの少しずつ緊張を解いていく。
それでも、歯車を抱えた腕だけは、最後まで離れなかった。
ルークの家は、街の外れに近い、
簡素で静かな一軒家だった。
扉を開けると、
外の喧騒が嘘みたいに遠ざかる。
「……ここだ」
ルークが短く言って、
奥の部屋の扉を開ける。
中は、飾り気のない小さな部屋だった。
簡素な寝台。
木の机。
窓から差し込む昼の光。
少年は、入口の手前で足を止めた。
知らない場所。
逃げ道のない室内。
それだけで、胸が詰まるのが分かる。
私は、少年の隣にしゃがみ込み、
無理に触れず、視線の高さだけを合わせた。
「……ここ、怖い?」
少年は答えない。
でも、指先にぎゅっと力が入る。
「大丈夫。
ここは、ルークの家」
ルークは、少年から一歩離れた位置で立ち、
声の調子だけを落とした。
「無理に話さなくていい。
勝手に触ったりもしない」
その距離感が、
少年にとっては救いだったのかもしれない。
私は、ゆっくりと立ち上がり、
部屋の中を示す。
「今日は、ここで休もう。
ここなら、誰も連れて行かない」
少年は、迷うように一度だけ私を見て、
それから、部屋の中へ小さく足を踏み出した。
寝台の端に腰を下ろし、
それでも、歯車は胸に抱いたままだった。
そこで、ラーラが軽く肩を叩く。
「服の準備、行くんでしょ?
どうせ一人じゃ選べないでしょ」
「……うん」
「ほらほら、行こ行こ」
私は、もう一度だけ少年を見る。
小さな体で、
歯車を胸に抱えて、
不安そうな目でこちらを見ている。
何が起きたのかも分からないまま、
連れて来られて、
また置いていかれるんじゃないかと怯えている。
胸の奥が、きゅっと締めつけられた。
私は、もう一度しゃがみ込み、
さっきよりも少しだけ、近くで声をかける。
「……ごめんね」
それだけで、
少年の指先が、わずかに強ばった。
「少しだけ、準備に行ってくる」
嘘は言わない。
誤魔化さない。
「すぐじゃない。
でも、ちゃんと戻ってくる」
少年の視線が揺れる。
私は、言葉を選びながら続けた。
「あなたを、置いていくわけじゃない」
短く、でもはっきり。
「ここには、あなたを守る人がいる」
そっと視線をルークに向ける。
「ルークは、あなたを一人にしない」
ルークは、笑顔を作るのが少し下手なまま、
それでも頷いた。
私は、もう一度、少年を見る。
「……戻ってきたら、また話そう」
約束にするには重い言葉だと分かっている。
それでも、言葉にしなければ伝わらない。
「待ってて」
少年は何も言わなかった。
それでも、私の方を見ていた。
それだけで、
“聞いている”と分かった。
私は、ゆっくりと立ち上がる。
背を向ける瞬間、
胸の奥に、後ろめたさが残る。
ここに置いていく罪悪感。
連れていけない無力感。
それでも――
今は、これが限界だった。
私は、少年を守る役目をルークに預けて、
ラーラと並んで家を出た。
扉が閉まる音が、
やけに静かに響いた。
◆
通りに出ると、街は昼を少し過ぎた頃の空気に包まれていた。
太陽は高い位置にあり、
石畳はじんわりと熱を帯びている。
二台の荷台で戻ってきたせいで、
思った以上に時間がかかった。
「……もう二時くらいか」
ラーラが空を見上げて言う。
「だね。さすがに腹減った」
朝からまともに食べていないことに、
今さら気づく。
「先に、軽く何か食べよ」
「賛成。
空腹で仕立て屋に行くと、
変な服選びかねないし」
ラーラのその言葉に、
思わず小さく笑ってしまう。
通りの角の食堂で、
簡単な軽食を済ませた。
焼きたてのパン。
温かいスープ。
塩気のある干し肉。
どれも特別じゃないのに、
体に染みる。
張り詰めていた神経が、
少しずつほどけていくのが分かる。
「……さて」
食べ終えたところで、
ラーラが立ち上がった。
「次は、仕立て屋ね」
「……服、か」
王子の視察。
国の顔と会う場に、
いつもの外套と革鎧のまま行くわけにはいかない。
「嫌そうな顔しないの」
ラーラが笑う。
「どうせ私も付き合わされるんだから。
一人で気まずい思いするよりマシでしょ?」
「……ありがとう」
「感謝は、似合う服を選ばせることで返して」
そう言って、
ラーラは私の背中を軽く押した。
仕立て屋の扉を開けると、
布の匂いと、木の床のきしむ音がした。
壁一面に掛けられた衣装。
上品な色合いの外套。
装飾の少ない、実用寄りの服。
どれも、私の普段の装いとはまるで違う。
「……場違いな感じがする」
「大丈夫。
あんたは、ちゃんと“見られる側”の人間なんだから」
ラーラは、迷いなく布を引き寄せ、
いくつかの服を私に当てていく。
「これ、色が暗すぎる」
「これは、肩の線が固すぎる」
「……あ、これいいじゃん」
手際がいい。
無駄がない。
「ほら。
動きやすさ残しつつ、
ちゃんと“国の人間と話す人”の服」
鏡に映った自分は、
少しだけ、いつもより“ちゃんとした大人”に見えた。
「……変じゃない?」
「変だったら選ばせないわよ」
ラーラは、満足そうに頷いた。
「それにね」
ふっと、表情を和らげる。
「ちゃんとした格好で行くのは、
あんたが“軽く扱われない”ためでもある」
その言葉に、
胸の奥が、少しだけ温かくなる。
「……ありがとう」
「だから感謝は似合う服で返しなさいって言ってるでしょ」
笑いながら言うその声に、
さっきまで張り詰めていた心が、ほんの少し緩んだ。
♦︎♦︎♦︎
宿へ戻る道すがら、
私は空を見上げた。
陽はまだ高いのに、
どこか、傾きはじめた色をしている。
「あっという間だね」
ぽつりと呟くと、
ラーラが隣で頷いた。
「一気にいろんなことが起きすぎだよ」
「王子の視察も、嫌な予感しかしないんだよね」
そのラーラの言葉は、
ただの予定のはずなのに、
胸の奥に、妙な重みを残した。
嫌な予感、と呼ぶほど輪郭はない。
でも、
“何かが動く前触れ”みたいな、
ざらついた感触が、胸の奥に残っている。
私は、無意識に拳を握る。
あの少年の歯車。
闇市で見つけた部品。
魔獣の異様な強さ。
すべてが、
まだ線になりきらないまま、
胸の奥に引っかかっている。
♦︎♦︎♦︎
その夜は、久しぶりに深く眠れた。
そして――
王子視察当日の朝。
宿の窓から差し込む光は、
不思議なくらい穏やかだった。
街は、いつもと変わらない朝を迎えている。
誰も、今日が“何かの境目”になるなんて、
知らない顔をしている。
私は、静かに息を吸った。
嵐の前の空気は、
いつだって、こんなふうに穏やかだ。




