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第6話 どう生きてきたかが、力になる 

狼の魔獣は、夜明け前の霧を裂くように現れた。


五匹。

森の縁に並ぶ影は、獣というより“何かに歪められた塊”に近い。


赤く濁った眼。

過剰な魔力の気配。

牙の隙間から漏れる低い唸り声が、空気を震わせる。


「……普通の魔獣じゃないな」


ラーラが低く言う。


彼女はすでに半歩下がり、背後の気配まで含めて索敵を始めていた。

空気の流れ。

草を踏むわずかな音。

彼女の感覚が、森の中の“動き”を捉えていく。


「右から二匹、回り込もうとしてる」


「了解」


ルークが短く返す。

両手斧を握る手に、ぐっと力がこもる。


私は一歩前に出た。

背後には、家の扉の隙間からこちらを見つめる少年の気配。

歯車を抱えた小さな手が、震えているのが分かる。


――守る。


胸の奥に、はっきりとした想いを集める。

目の前の仲間を。

背後の命を。


誓盾スティグマ・シールド


淡い光が広がり、

空間に透明な結界が立ち上がる。


表面に浮かぶ紋章は、

もう“つぼみ”じゃない。


花弁が、はっきりと開いた花。

まだ満開ではない。

でも、確かに“咲いている”。


狼が地を蹴った。


一匹目が、真正面から飛びかかってくる。

結界に激突した瞬間、鈍い衝撃音が走る。


――重い。


だが、結界は砕けない。


牙と爪がぶつかるたび、

花弁の紋章が淡く光り、衝撃を弾き返す。


「今だ、ルーク!」


私の声に、

ルークは一歩、前に出た。


迷いのない踏み込み。

その瞬間、彼の胸の奥で、

何かが“弾ける”感触が走った。


鋼爆アイアン・バースト!」


短く、叩きつけるような詠唱。



次の瞬間――


ルークの全身を、

鈍く重たい光が包み込む。


骨の内側から圧が膨れ上がり、

筋肉が内側から張りつめる。


皮膚の下で、

力が脈打つのが、目に見えるほどだった。


腕が、太くなる。

肩が、張り出す。

背中の筋が、布越しにも浮き上がる。


踏みしめた地面が、

ぎし、と音を立てて沈んだ。


「……来い」


低く、吐き出す。


次の瞬間、

狼が正面から飛びかかってきた。


牙を剥き、

殺意ごと体当たりのようにぶつかってくる。


普通なら、

その質量と速度に弾き飛ばされる。


だが――


「――ぐっ!」


衝突の衝撃が、

ルークの体を叩いた。


骨が軋むような重さ。

内臓が揺さぶられる感覚。


足が、半歩だけ下がる。


……それだけだった。


倒れない。

踏みとどまる。


地面にめり込んだ踵が、

ずず、と土を削った。


「……よしっ」


息を吐くような呟き。


次の瞬間、

両手斧が、唸りを上げて振り抜かれる。


風を裂く音。

重たい鉄塊が、獣の胴体を打ち抜く。


鈍い衝撃音。


骨に当たった感触が、

手元まで、はっきりと伝わった。


狼の身体が、

横殴りに吹き飛び、地面を転がる。


致命傷ではない。


だが、

内臓を揺らされ、足をもつらせ、

起き上がる動きが明らかに鈍った。


「ラーラ、右!」


ルークは、

すでに次の敵を見据えている。


その背中は、

誰かを守るための“盾”として、

確かに前線に立っていた。


「了解」


ラーラの弓が、低く鳴った。


弦が震える音は短く、乾いている。


放たれた矢は、

風を切り裂くような鋭さで飛び、

側面から回り込もうとしていた狼の足元を正確に射抜いた。


狙いは、殺さない位置。


致命には届かない。

だが、確実に動きを奪う場所。


前脚の関節。

体重がかかる瞬間を、ぴたりと捉えた一射だった。


狼が低く唸り、

踏み出そうとした前脚が、がくりと崩れる。


地面を引っ掻き、

体勢を立て直そうとするが、うまく力が入らない。


“早く倒す”より、

“安全に制圧する”。


ラーラの判断は、いつも冷静だった。


一瞬で戦場全体を見渡し、

どの狼が“危険か”を即座に選び取る。


「――足、止めたよ!」


短く告げる声。


その一言だけで、

前に出ているルークには十分だった。


狼の動きが止まった、その隙を逃さず、

ルークが一気に間合いを詰める。


地を蹴る音が、

重く、低く響いた。


「……一気にいく!」


私は一歩、前に出た。

背後の小屋の扉――

歯車を抱えたまま震える少年を、

自分の背中で覆う位置に立つ。


結界を前へ押し出す。

仲間が動くための“壁”を、私が作る。


結界の外側には、

魔獣と真正面から向き合うルークの背中。


そして、頭上――

木の枝の上で、ラーラが静かに狙いを定めている。


狼たちは、連携もなく、

ただ衝動のままに突っ込んでくる。


牙を剥き、唸り声を上げ、

獲物を引き裂くことしか考えていない動き。


理性が削られている。

……いや、削られている“ように見える”。


この魔獣たちは、

どこか不自然だ。


ただ凶暴なだけじゃない。

“何かに煽られている”みたいに、

無理やり背中を押されている。


だからこそ――

私は、この一歩を退けない。


ここを崩されたら、

あの子に届く。


結界に力を込める。

花弁の紋章が、淡く、しかし確かに光を増した。


――魔力が、異常に濃い。


この場の空気が、

重く、ねっとりと絡みつくように変わっていく。


その瞬間、

背後から、かすれた声が聞こえた。


「……ぼくが……わるい……」


震える、途切れ途切れの声。

独り言のようで、

誰かに言い聞かせているみたいな響き。


小屋の方から、

きぃ、と、歯車が擦れる音がした。


耳障りな金属音が、

空気の奥で、じわりと広がる。


狼たちの身体を覆う魔力が、

さらに濃くなる。


毛並みの隙間から、

赤黒い光が滲むように漏れ、

筋肉が不自然に膨れ上がっていく。


唸り声が、低く、粘ついた音に変わる。

牙を剥く仕草も、どこか過剰で、

“本来の獣”の動きじゃない。


――強化、されている……?


喉の奥で、言葉にならない違和感が引っかかった。


この世界の魔法は、

心の歪みが、そのまま形になる。


けれど、これは――

あまりにも、歪んでいる。


普通の魔獣じゃない。

怒りや恐怖を浴びせられたみたいに、

無理やり“焚きつけられている”感じがする。


私は、思わず小屋の方へ視線を投げた。


歯車を抱え込んだ少年の影。

震える肩。

うつむいたまま、

何かに耐えるように唇を噛みしめている姿。


……あの子が、関係しているのか?


確証はない。

理由も、分からない。


でも――

この場の異変は、

“誰かの心”と繋がっている。


「……強化、されてる……?」


私は、それ以上の言葉を持てず、

ただ“推測”することしかできなかった。


♦︎


「ラーラ、ルークの背後頼んだ!」


視線を投げるだけで、意図は通じた。


「了解。私に任せろ」


短く、迷いのない返事。

すでにラーラは高所へ跳び、射線を確保している。


「ルーク、そっち!」


「おう!いくぜっ!」


それだけ言って、

ルークは一歩、前へ出た。


言葉は少ない。

けれど、互いの立ち位置も、役割も、

いちいち確認する必要がない。


誰が前に立ち、

誰が背を守り、

誰が“穴”を塞ぐか。


連携は、打ち合わせじゃなく、

積み重ねた時間で出来上がっていた。


三人の呼吸が、

ひとつの流れとして噛み合う。


その瞬間、

戦場の空気が、わずかに引き締まった。


♦︎


私は結界を前に張り出しながら、

正面からの突進を受け止め続ける。


牙が結界に叩きつけられるたび、

花弁の紋章が、ぎらりと光を弾いた。


衝撃は、腕に重くのしかかる。

一撃ごとに、体の奥が軋む。


だが、下がらない。


ここで踏みとどまるのが、

私の役目だ。


結界に弾かれ、体勢を崩した狼に、

一瞬の“間”が生まれる。


「今――!」


その一瞬を、ルークが逃さない。


踏み込みと同時に、

両手斧が横薙ぎに振り抜かれる。


骨に響く鈍い衝撃。

狼の巨体が、地面を削るように吹き飛び、

そのまま転がった。


倒れきらず、なおも立ち上がろうとする狼の足元へ、

風を切る音が走る。


ラーラの矢だ。


急所は外している。

だが、腱を射抜かれた脚が崩れ、

狼はその場に叩き伏せられる。


派手な必殺はない。


受け止め、

崩し、

叩き、

止める。


役割を分け、

隙を繋ぎ、

確実に削っていく。


一匹、また一匹と、

狼たちの動きが鈍り、

地に伏していく。


最後の一匹が、

低く唸りながら崩れ落ちたとき――


村の上には、

濃い夜の気配が、しんと広がっていた。


♦︎


花の紋章が、

淡く脈打つように光り、

やがて、ゆっくりと霧散した。


結界が消えた瞬間、

張り詰めていた空気が、

一気に抜け落ちる。


遅れて、腕の震えに気づく。

力を込め続けていたせいで、

指先が、じんと痺れていた。


「……終わった、な」


ルークが、

大きく息を吐きながら言う。


額に浮いた汗を乱暴に拭い、

それでも、周囲への警戒は解かない。


「ギリギリだったけどね」


ラーラが弓を下ろす。

矢筒の中を一度だけ確かめてから、

周囲の闇へと鋭く視線を走らせた。


倒れた狼たちは、もう動かない。


それでも、

夜の森は、何も語らない。


静けさの奥に、

まだ何かが潜んでいる気配だけが残っていた。


私は、

胸の奥に残る違和感を振り払えないまま、

小屋の方を振り返った。


――あの子は……。


少年は、

その場にへたり込むように崩れ落ちた。


歯車を胸に抱きしめたまま、

指の関節が白くなるほど力を込めている。


体は小刻みに震え、

呼吸が、うまく整わない。


――さっきまで、

あの狼たちを異様に“強くしていた”魔力が、

今は制御を失って、

少年の内側で乱れているのが分かった。


暴発。


制御できないまま、

心の奥に溜め込まれていたものが、

一気に噴き出したような感覚。


「……ごめんなさい……」


かすれた声が、地面に落ちる。


「……ぼくが……わるい……」

「……だから……つよく……なっちゃった……」


言葉が、途切れ途切れになる。


「……いい子で、いるから……」

「……捨てないで……」


その声は、

誰かに向けているようで、

同時に、

自分自身に言い聞かせているみたいだった。


――怒られないように。

――見捨てられないように。

――ここにいてもいいと、許してもらえるように。


そんな必死さが、

言葉の端々から滲み出ている。


私は、すぐに近くへ駆け寄り、

少年の前に膝をついた。


無理に触れないよう、

でも、逃げない距離で。


「……違うよ」


自分でも驚くほど、

声が低く、静かだった。


「あなたが悪いんじゃない」


少年の指先が、

歯車の縁に爪を立てる。


「……でも……」

「……ぼくが……いると……」


言葉にならない思いが、

喉の奥で詰まっているのが分かる。


私は、ゆっくり息を吸った。


「それは……

ずっと、ひとりで耐えすぎた心の、悲鳴だよ」


少年の体が、びくりと揺れる。


「怖くて、

捨てられそうで、

ずっと一人で耐えてきた心が……

限界を超えただけ」


魔法が暴発したのは、

“悪意”じゃない。


守られなかった彼の時間が、

あまりにも長すぎただけだ。



私は、そっと視線を合わせる。


「……あなたは、悪くない」


少年の目が、揺れた。


歯車を抱きしめる腕の力が、

ほんの少しだけ、緩む。


――この子は、

自分の魔法が“暴発してしまった”ことさえ、

罪として抱え込んでいる。


心の壊れ方ごと、

全部、自分のせいにして。


その事実が、

胸の奥に重く沈んだ。


その時だった。


「……アイリー」


低く、張りつめた声。


振り向くと、

ラーラが小屋の入口に立っていた。


弓は下げたまま。

けれど、視線だけは周囲を鋭く警戒している。


「外の狼、全部片付いたよ」

「ルークは、まだ周囲を確認してる」


それから、視線を少年へ移す。


歯車を胸に抱え、

小さく震えているその姿を見て、

一瞬、言葉を失った。


「……これ、偶然じゃないでしょ」


ぽつりと落とされた声は、

疑問というより、確信に近かった。


「魔獣の動きも、

あの異様な強化も……」


ラーラは、ゆっくり息を吐く。


「こんなの、自然じゃない」


私は、立ち上がりながら頷いた。


「うん……

たぶん、この子の魔法が“暴発した”」


ラーラは、わずかに眉をひそめる。


「暴発……ね」

「つまり、本人に制御できない形で、

周囲に影響を与えたってことか」


少年は、ラーラの視線に怯えるように、

歯車を抱え直した。


「だいじょうぶ」


私は、そっと少年の前に戻り、

視線を合わせる。


「この人も、あなたを傷つけない」


ラーラは、苦笑する。


「……信用される顔じゃないのは、自覚してる」


それでも、声のトーンは落としていた。


「安心しな。

あたしは敵じゃない」


少年は、すぐには頷かない。


けれど、

さっきよりも震えは少しだけ弱くなっていた。


私は胸の奥で、小さく息を整える。


この子は“被害者”だ。


そして――

この出来事は、偶然なんかじゃない。


私たちは、

とんでもなく嫌な“何か”の入口に、

足を踏み入れたのかもしれない。

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