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第10話 やさしい場所

ルクス養育院ホームディア院の正門は、昼間の光を受けて、やけに白く見えた。


石造りの門柱には蔦が絡み、花壇も地面もよく整えられていた。

子どもが走っても危なくないように配慮された、中庭。


――“よく整理された場所”。


そんな印象が、まず胸に浮かぶ。


私は、門の前で一度だけ足を止めた。

第一王子エリオットが視察に来た時、

施設責任者オズリックのお世辞の言葉を使って

私は「許可された訪問者」として来ている。

普段から、誰でもかれでも入れるわけじゃない。


まずは、正面から入って、普通に手伝う。

施設に纏わる噂が本当かどうか真実を知るために。


「こんにちは。国公認ギルド特別登録者のアイリーと申します。

先日、お話を伺って……」


受付に声をかけると、

若いシスターがすぐに顔を上げた。


「はい、お聞きしています。

少々お待ちくださいね」


対応は丁寧で、よどみがない。

疑われる様子もなければ、警戒される様子もない。


拍子抜けするほど、普通だった。


ほどなくして、

奥から、柔らかな足取りで一人の女性が現れた。


「あなたが、アイリーさんですね」


年配の修道女。

白いヴェールの下から覗く顔は、深い皺に刻まれた笑みをたたえている。


「シスター・クララと申します。

今日は来てくださって、ありがとうございます」


声は穏やかで、

その場の空気をやわらかく包み込むようだった。


「こちらこそ……突然お邪魔してしまって、すみません。今日は、施設のお手伝いをさせてもらおうかと思って来させていただきました」


私が申し訳なさそうに、そう言うと、

クララは首を横に振った。


「いいのよ。

人手はいくらあっても足りないもの。

手伝ってくださるなら、本当に助かるわ」


笑顔なクララに案内されて、施設の中を回る。


廊下の先では、他のシスターたちが、

小さな子の手を引いて歩いていたり、

読み書きを教えたりしている。


「日中は、教会から派遣されたシスターたちが中心で

子どもたちのお世話をしているのよ」


クララは、そう説明しながら歩く。


「夜はね、管理者側の方々が見回りや管理を引き継ぐの。

私たちは夕方には戻るから」


「施設管理者のオズリック様も、ここに住んでいましたよね?」


私が尋ねると、

クララは廊下の奥に視線を向けた。


「そうね。オズリック様は、ここに住んでおられるのよ。

管理室が居住スペースも兼ねていてね」


さらりとした口調だった。

特別なことのようには語らない。


“施設の責任者が、ここに住んでいる”


孤児院として考えれば、

不自然ではない。

むしろ、責任感のある管理者にも見える。


――そう、見える。


日中は、教会の人間が子どもたちを包み、

夜は、管理側の人間がこの場所を支配する。


その切り替わりの構造を、

私はこの時、ただ「役割分担」だと受け取った。


疑う理由は、まだ、なかったからだ。

 

♦︎


中庭の花壇には、

丁寧に手入れされた花々が並んでいた。


色とりどりの花弁。

一定の間隔。


「ステラ、ノヴァ。今日は花壇の草むしりだったわね」


クララがそう声をかけると、

双子の姉妹が同時に顔を上げた。


前に出たのは、ステラだ。

ぱっと背筋を伸ばし、元気よく頷く。


「はい、クララ先生!」


その後ろで、

ノヴァが一歩だけ遅れて、小さく頷いた。


「……はい」


二人の右手の甲には、

同じ星型のあざがある。


生まれつきだと、

クララが教えてくれた。


両親を亡くし、

姉妹そろってこの養育院に引き取られた――

そんな話を、さっき聞いたばかりだ。


私は、二人の隣にしゃがみ込み、

一緒に雑草を抜き始める。


湿った土の感触。

根を張った草を引き抜くたび、

小さく土が崩れる。


「この草、手ごわいね」


私がそう言うと、

ステラがくすっと笑った。


「ほんとだね。ノヴァ、こっち一緒に引っ張って!」


「……うん」


ノヴァは、姉の背中に半分隠れるようにしながら、

同じ草を掴んだ。


二人で力を入れた、その時だった。


「――あ」


ノヴァの手が滑り、

近くの花の茎に引っかかる。


ぽきり、と

小さな音がして、

まだ咲ききっていない花が折れた。


一瞬で、空気が止まる。


ノヴァの顔から、

さっと血の気が引いた。


「……っ」


声が出ないまま、

折れた花と、自分の手を見つめる。


次の瞬間、

慌てて顔を上げ、クララを見る。


「……ご、ごめんなさい……!」


震える声。


「わざとじゃ……ないの……」

「ちゃんと……ちゃんと、気をつけるって……」


言葉が途中で詰まり、

泣きそうな顔になる。


私は、反射的に

「大丈夫だよ」と言いかけて――

でも、クララが一歩早く前に出た。


クララは、ノヴァの前にしゃがみ、

折れた花をそっと拾い上げる。


「大丈夫よ」


声は、いつも通り穏やかだった。


「花はね、折れてしまうこともあるの」

「根は生きているから、また芽が出るわ」

「あなたが悪いわけじゃない」


ノヴァは、

不安そうにクララを見上げる。


「……ほんとうに?」


「ええ、ほんとうよ」


クララは微笑んで、

ノヴァの頭にそっと手を置いた。


その瞬間、

ノヴァの肩から、ふっと力が抜ける。


ステラが、

少し遅れて口を開いた。


「ほら、ノヴァ」

「怒られてないじゃん」


そう言いながら、

妹の手をきゅっと握る。


ノヴァは、

その手を離さないまま、

小さく頷いた。


私は、その様子を見て、

胸の奥がほんの少し温かくなるのを感じていた。


……クララは、本当に善意の人だ。

疑いようのないほど、子どもを守ろうとしている。


それなのに――


ノヴァが最初に浮かべた“怯え”が、

なぜか頭から離れなかった。


花を折っただけ。

誰も怒っていない。

それなのに、

「ごめんなさい」が、あまりにも早かった。


――失敗した瞬間、

自分を責める癖。


それは、“いい子”の反応にも見えたし、

そうでない何かにも見えた


そのどちらなのか、

この時点では、まだ分からない。


ただひとつだけ確かなのは――

この花壇の光景は、

やさしくて、穏やかで、

それでも、

どこか“歪みの入口”に足を踏み入れた感覚があった、ということだった。


♦︎


それから、私は何度か、

ひとりでルクス養育院を訪れるようになった。


ギルドの依頼の合間に、

時間が空いた時だけ。

大した理由はない。


クララに頼まれて、

花壇の手入れを手伝ったり、

食事の配膳を手伝ったり、

絵本を読んでやったり。


最初は距離のあった子どもたちも、

顔を覚えるのが早かった。


「きょうも来たの?」


「盾のお姉ちゃんだよね」


そんな声が、

少しずつ、当たり前になっていく。


クララも、

私を“お客”ではなく、

“手伝いに来る人”として扱うようになった。


「助かるわ、アイリーさん」

「子どもたちも、あなたが来ると落ち着くみたい」


そう言って、

自然に仕事を振ってくる。


何度来ても、

この場所は“いい施設”にしか見えなかった。


♦︎


その日も、

いつもと同じように、

食事の配膳を手伝っていた。


木製の皿に盛られたスープを運び、

席に着いた子どもたちへと配っていく。


「ありがとう」


「いただきます」


挨拶は揃っていて、

誰かが遅れると、隣の子が小さく促す。


喧嘩もなく、

泣き声も、ほとんど聞こえない。


私は、ふと気づく。


――“いい子”ばかりだ。


絵本を読んでやるときも、

子どもたちは、きちんと座って聞いていた。

途中で立ち上がる子もいない。

騒ぐ子もいない。


読み終えたあと、

私は一人の子の頭を撫でた。


「上手に聞けたね」


すると、その子は少しだけ表情を緩めてから、

不思議な言葉を返した。


「……それで、問題ない?」


胸の奥が、わずかに揺れた。


“正しい?”でも、“怒られない?”でもない。

まるで、

“処理として適切だったか”を確認するみたいな言い方。


子どもが使う言葉にしては、

どこか、大人びすぎていた。


私は、一瞬だけ言葉に詰まってから、

できるだけ普通の調子で頷いた。


「うん、大丈夫だよ」


その子は、

それだけで満足したのか、

何事もなかったように席へ戻っていく。


私は、その背中を見送りながら、

胸の奥に残った引っかかりを、

そっと飲み込んだ。


……考えすぎかもしれない。


そう思おうとした、その時。


「ねぇ」


聞き慣れた声。


何度か顔を合わせている子どもが、

私のすぐ横に立っていた。


最初に来た頃は、

視線も合わせてくれなかった子だ。


「どうしたの?」


そう尋ねると、

その子は、無言で、

くしゃっと折れた紙を差し出してきた。


「……みて」


受け取って、広げる。


そこに描かれていたのは、

何人もの子どもが横一列に並んでいる絵だった。


丸い頭。

同じ大きさの体。

同じ形の手足。


……まるで、人形みたいだ。


そして――

その“顔”の部分だけが、

ぐるぐると黒く塗り潰されていた。


何度も、何度も、

力を入れて塗った跡。


目なのか、口なのか、

もう分からないほど、黒い線が重なっている。


私は、一瞬、言葉を失った。


「……これ、描いたの?」


そう聞くと、

その子は、こくりと頷いた。


「うん」


声の調子は、

いつものように素直で、

少し誇らしげですらあった。


「……この黒いのは?」


私の指が、

ぐるぐると塗られた部分をなぞる。


すると、その子は、

さっきの子と同じように、

少しだけ表情を緩めて言った。


「……ちゃんと、できた?」


胸の奥が、

きゅっと締めつけられる。


――さっき聞いた言葉と、同じ響き。


“正しいか”じゃない。

“楽しかったか”でもない。


“できたかどうか”だけを、

確かめるみたいな声。


私は、

何が“正解”なのか分からないまま、

ゆっくり頷いた。


「……うん。描けたね」


その子は、

その返事に満足したのか、

また何事もなかったように、

自分の席へ戻っていった。


周囲では、

ほかの子どもたちが静かに食事をしている。


湯気の立つスープ。

木の皿の匂い。

クララの穏やかな声。


……いつもと同じ光景。


なのに。


私の手の中に残った紙だけが、

この場所から、ひどく浮いて見えた。


私は、その紙をそっと折り畳み、

エプロンの内側へしまい込む。


理由は、はっきりしない。


ただ――

これは、

“よくある子どもの絵”で片付けていいものじゃない。


そんな感覚だけが、

胸の奥に、静かに沈んでいった。


♦︎


ある日、

いつものように施設を訪れた。


中庭は変わらず整っていて、

子どもたちの声も、穏やかだった。


この施設には、

いつも五十人前後の子どもがいる。

その顔ぶれを、私はもう覚えてしまっている。


――けれど。


右手の甲に、

同じ星の印を持つ双子の姿だけが、

そこにはなかった。

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