ep.1 悪役令嬢と王子様
絢爛なドレスや装飾品、仕立ての良いタキシード。
噎せ返るような香水と煙草の匂い――
次々とやって来る貴族達は、
上品な笑みを貼り付けながらも、その瞳には隠しきれない悪意と好奇心が滲んでいる。
(おっ、馬車はこれで最後か……)
列に終わりが見えると、衛兵の一人はホッと息を漏らした。
(早く休憩したい……)
鼻の奥に残った匂いに吐き気が込み上げる。
衛兵は気を紛らわせるように、整えられた前庭に視線を投げた。
夜でもやけに鮮やかに見える花よりも先に、目に止まったのは萌黄色の草木。
風に揺れる葉に、あの令嬢の姿が思い浮かぶ。
これから始まる、舞台の――
「ん……?」
擦れる葉の音に混じって、誰かの鼻歌が聞こえた。
鼻歌に誘われるように振り返ると、そこには一人の男が立っていた。
妖艶さを纏った男から香る花の匂いは、
肩の力と一緒に、鼻の奥に留まっていた不快感を消し去った。
「こんばんは」
囁くようにかけられた声は、妙に腹の底に響く。
自身を見下ろす男の眼鏡は、黒く――まるで深い穴が空いているように、何も映さない。
(見たい)
無意識に足が一歩前に、
そして、惹き寄せられるように顔を近付けた時――
「通っても?」
目の前に招待状が差し込まれた。
「……え……は、はい……! あ、いや……招待状はあちらにいる者に……」
「おっと、失礼しました」
男はクスリと笑って横を通り過ぎて行った。
(俺は一体何を――)
衛兵は風に靡く藍色の髪を見つめながら、気まずさに鼻の下を擦った。
「ヘデラ・ルチルクォーツ! お前との婚約を破棄する!」
「……おっと、セリフを覚える前に始まってしまいましたね」
聞こえてきた怒声に、男は笑みを濃くすると、
本を片手に城へと足を踏み入れた。
◇◇◇
「な、にを……おっしゃっていますの……?」
王家主催の舞踏会で、物語の幕は上がった。
「お前が俺の婚約者に選ばれた理由を、覚えているか?」
「……」
彼女は口を閉ざし、誰かを探すように視線を彷徨わせた。
婚約破棄を宣言した王太子は、狼狽える彼女の姿を見て鼻を短く鳴らして笑うと、軽く手を上げた。
「探しものはこれか?」
合図を待っていたかのように、すぐに扉が開かれる。
そこから現れたのは拘束された彼女の父と母――そして、鑑定士の男だった。
「殿下‼︎ 私たちが何をしたというのです⁉︎」
「陛下が知ればなんと言われるか‼︎」
「黙れ‼︎」
王太子は怒りのままに紙束を床に叩きつけた。
「令嬢――いや、“魔女”も拘束しろ‼︎」
「うっ……‼︎」
体を押さえつけられると、彼女は膝をついて目の前に散らばった紙に視線を落とす。
羅列された数字や宝石の名前。
――見覚えのあるそれに、彼女の顔からは血の気が引いた。
「この国のために我々がどれだけ――」
「この国のために? 笑えない冗談だ」
王太子は石座の空いた多くの装飾品を、吠える夫妻に向かってばら撒いた。
「――ッ」
「……ハッ、先ほどまでの威勢はどうした?」
夫妻は途端に口を閉ざし、顔を青くした。
「鑑定士、正直に答えろ」
「……は、い」
「彼女は、ギフトを持っているな?」
鑑定士の男は、唇を震わせながら答えた。
「はい……ヘデラお嬢様は、ギフトを持っておられます……」
ざわめきが広がる。
ギフトを持つ者、それは世界を導く為に選ばれた――神の代理人。
ある者は大地に恵みを与え、
ある者は傷を癒やし、
そして、ある者は――
「ヘデラお嬢様のギフトは、初代聖女様と同じ、無から有を生み出す、“創造”のギフト――」
王太子の後ろから現れた女性と目が合うと、鑑定士は顔を伏せた。
「と、思っておりましたが、
数日の調査の結果……記憶しておかなければその存在を維持できない、偽の祝福――
国に禍いを齎した“魔女”と同じ、“複製”と呼ばれるギフトでした……
も、申し訳ございません……‼︎ 脅迫され、鑑定結果を報告することができませんでした……‼︎」
「だ、黙らんか‼︎」
王太子は冷ややかな視線を夫妻に向けた。
「5年前」
ぴくりと夫妻の肩が跳ねる。
「……5年前にお前たちが陞爵の為に王家に献上した宝石や貴金属、そして援助金。
それがつい先日、まるで初めから存在していなかったかのように、忽然と姿を消した」
王太子の視線が、ゆっくりと彼女へ移される。
彼女は口を固く閉ざしたまま、肩を震わせていた。
「そこに記された内容に見覚えがあるだろう。5年分の記録……全て記憶しておくのは難しかったようだな」
「……」
「ここまで言えば、分かるよな?」
「わ、私は……!」
「殿下、どうか彼らを……ヘデラ様をお許しください」
王太子の後ろから顔を覗かせた女は、ヘデラを一瞥すると、猫のように王太子へ擦り寄った。
その姿に、彼女は体の震えを忘れて固まった。
「可哀想です」
「いくら君の頼みでもダメだ。犯した罪が多すぎる。ルチルクォーツ家には――」
「殿下‼︎ これは全て娘が勝手にしでかしたことでございます‼︎ 我々は関係ございません‼︎」
「……⁉︎」
「黙れ‼︎ 往生際が悪いぞ‼︎」
この場で唯一彼女の味方であるはずの両親は、憎しみのこもった目で彼女を睨み付けると声を荒げた。
「お前がもう少し賢ければ‼︎」
「あんたのせいで私達おしまいよ‼︎」
「そ、そんな……」
「クスッ……」
聞こえてきた笑い声に、彼女はハッとして辺りを見回した。
そこにいる誰もが――彼女に対して軽蔑の目を向けている。
「無様ね」
悪意のこもった声が彼女の耳に届く。
「いい気味だわ」
「犯罪者」
纏わりつくような視線と嘲笑は、彼女の体を震わせ、言葉を飲み込ませた。
「殿下」
「……」
王太子は寄り添う女をちらりと見た後、重たい溜息を吐き出した。
「多くはルチルクォーツ夫妻が計画したもの……彼女にも罪は有るが、情状酌量の余地は――」
「横暴だ‼︎ 利を得る為に我が娘と婚約しておきながら、素性も知らぬ女とそのように振る舞う王太子の言葉なんぞで納得できるか‼︎ 陛下を呼べ‼︎」
「口を慎め‼︎ 貴様らの行いは、王家だけでなくこの国全体に損害を与えた‼︎」
王太子は女の手を引くと、夫妻を見下ろす。
「その被害を誰が穴埋めしたと思っている‼︎」
そして、女の肩を抱き寄せながら言葉を続けた。
「彼女は、俺の新たな婚約者であり、偽ではなく本物の祝福――“創造”のギフトを授かった、真の聖女だ‼︎」
――真の聖女?
一瞬、全ての音が遠く聞こえた。
同じ神から授かった祝福のはずなのに、
なぜ、その女は聖女で、
なぜ、私は魔女なのか。
なぜ――
「なにを馬鹿げた事を……‼︎」
怒りに顔を赤くした父の怒声が響くと、意識が引き戻され、
「既に陛下も了承済みだ‼︎」
途端に息が苦しくなる。
「ヘデラ様」
王太子の横にいた女は慈悲深い笑みを浮かばせ、静かに彼女の前に膝をつくと、そっと耳元に口を寄せた。
「……ごめんね?」
謝罪の言葉。
しかし、その声には隠しきれない愉悦が滲んでいる。
彼女が口を開きかけた時――王太子の声が広間に響き渡る。
「ルチルクォーツ家の爵位を剥奪する‼︎
夫妻は3日間の鞭打ちの後、斬首刑にてその罪を精算せよ‼︎
そしてヘデラ嬢は修道院へ――
犯した罪と向き合い、残りの生涯を懺悔に費やせ‼︎」
「修道院……?」
王太子の宣言に、彼女の口からか細い声が漏れ出た。
騒がしかった会場は静まり返り――誰もが息をする事も忘れ、一筋の涙を流す彼女の姿に目を奪われた。
――ヘデラ・ルチルクォーツ。
『神が自らの手で娘を創られたのだ!』
彼女の父の言葉に、誰もが頷く他なかった。
それを信じてしまうほどに、ヘデラは美しかった。
しかし――
『笑うな‼︎』
彼女の豊かな感情は“価値”を下げた。
両親は美しさを保つため、ヘデラから多くを奪った。
『うわぁぁん‼︎』
『美しい顔が台無しだ‼︎ 誰か冷水を持って来い‼︎』
『だ、旦那様……さすがにそれは……』
『ただの躾だ‼︎ すぐに湯につければ問題ない‼︎』
『いつからこんな物を読んでいたの⁉︎ 汚らわしい‼︎
あなたが家庭教師なんかつけるから‼︎』
『し、しかし……多少の教養は……』
『余計な知識がまたこの子の価値を下げたのよ⁉︎』
『いない……いない……』
『チッ! あんな小汚い物を屋敷に入れるとは……次また持ち込んだら同じように処分しろ』
『かしこまりました』
『死んだ……?』
『お前の浅はかさが彼女を殺したの。いつも言っていたでしょう? 深く関わるなと』
『……』
『フンッ、それでいい』
――ヘデラは両親の望むものとなった。
『ヘデラ、頼むよ』
奪われる毎日。
逃げ出したい気持ちは常にあった。
『ありがとう、ヘデラ』
それでも、
ギフトで両親が望むものを生み出した時にだけ与えられる愛情が、
『さすが、私達の娘だ』
ヘデラを繋ぎ止めた。
『さっさとしろ』
しかし、
やがてそれは当然のものとなり、両親からの愛情は返ってこなくなった。
それでも期待を捨てられず、ヘデラは従順に生きるしかなかった。
“――せんせぇ、これはなんて読みますの?”
“お嬢様、これは蜜と読むのですよ”
そんなヘデラを慰めてくれたのは、両親に隠れて複製したいくつもの恋物語。
分かる言葉だけを繋ぎ合わせて、何度も読み返した。
肉親から愛を得る事も難しいのに、
物語の彼らは当たり前のように赤の他人に愛を与え、与えられる。
それは血の繋がりによって与えられる愛よりも、
もっと価値があるように思えた。
『いいな』
愛し合う2人に抱いた純粋な憧れは、
『羨ましい』
孤独と抑圧によって黒く濁り、
『いつか、私も――』
壊れかけた心を無理矢理に繋ぎ合わせた。
「――修道院……⁉︎」
修道院。
神への祈りに人生を捧げる――禁欲的な場所。
自身の辿る行末を理解した瞬間――
「……あ、ああっ……‼︎」
無理矢理に形を保っていた心は音を立てて砕け、
黒く濁った感情は、喉を這い上がり、
「…………うわぁぁぁあ‼︎ 処女のまま人生を終えるなんて嫌ですわぁぁああ‼︎」
悲痛な叫びとなって吐き出された。
「……は?」
――静寂に包まれていた広間は、再び騒がしさを取り戻した。
「い、今なんて……」
「全部全部全部‼︎ 我慢して耐えてきたのに‼︎
その結果がコレ⁉︎ ふざけるなぁ‼︎」
「な、何をしている‼︎ 押さえつけろ‼︎」
飛びかかろうとする彼女を騎士達が取り押さえると、ヘデラは身を捩らせながら王太子を睨み付けた。
「離せ‼︎ ソレを知らぬまま生を終えるぐらいなら……死んだ方がマシですわ‼︎」
「気でも触れたのか……⁉︎」
王太子は顔を青くして半歩下がった。
怒りに歪むその美しい顔は、その場にいた者達に強い恐怖心を植えつけた。
「こ、これが悪役令嬢……? どこで間違えたのかしら……こんな風に創り出したつもりは……」
聖女がぶつぶつと呟きながら震えているのを見て、王太子は顔を引き締めた。
「そこまで言うのならお前の修道院行きはなしだ‼︎ 両親と共に断頭台で――」
「殺してしまうのなら、僕がいただいてもよろしいですかー?」
呑気な男の声に、再び沈黙が訪れる。
「あれ? こんな感じじゃなかったでしたっけ? 悪役令嬢を救う王子様のセリフって」
全員の視線が向けられた先――
「いやぁ、勉強不足ですみません」
まるで存在を貼り付けたかのように、異質な雰囲気を纏う男が一人――軽薄な笑みを浮かべて立っていた。




