第25話 奇襲 その3 謎の美女
時は遡る。
孔は、司令官天幕にいた赤毛の美女と対峙していた。
(服装もだが……気配も、何もかも場違いだった。ということは、こいつが……)
孔が美女に対して何か言おうとしたが、それよりも先に美女が孔に話しかけた。
「私の正体がわかったみたいね、勇者さん」
「……まあ、なんとなくだが。魔王軍幹部、だろ?」
孔が半分ほどの自信を持ってそう言うと、美女は頷く。
「正解よ。正確には、四天王、とかいう名前なのだけどね」
自身の称号に不満を持つようにため息をつく美女。
孔も自身が同じ立場であれば、似たような感想を抱いたであろう。半ば同情しながら、会話を続ける。
「そこまで明かしたなら、名前ぐらい教えてくれてもいいんじゃないか?」
「あら、私が昔会った勇者は、名前を聞く時は先に名乗るのが礼儀だ、って言ってたわよ?」
「俺の名前は紅月孔だ」
「私はネメシア・ルクレールよ。それで、コウはなぜ私の正体がわかったのか聞いてもいいかしら?」
ネメシア、と名乗る美女が会話を続けることに、孔は驚いた。
時間をかけてもネメシアに利はないのでは、と思ったからだ。孔からしてみれば、時間稼ぎをすればいずれ亮太たちがこちらにやってくるだろうし、好都合だと思うので会話を続けるに越したことはないが、ネメシアのメリットがわからない。
しかし、馬鹿正直に聞いても教えてはくれないだろうと思ったので、素直に質問に答える。
「服装も気配も、明らかに違ったからな。あの司令官たちもそれなりに強そうだったが、あんたは別格だよ。オーラというかなんと言うか……そうだな、言うなれば『支配者の風格』みたいなものか?」
思ったことを素直に述べる孔。ネメシアは、褒めるような孔のセリフを聞いて、喜びをあらわにする。
「あら、それは嬉しいわね。あなたもそれなりに強いと思うのだけれど……」
「バカ言うな。あんたの方が圧倒的に強いだろ。とはいえ、今は武器も何も持っていないみたいだし、俺でも勝ち目があるかもな」
煽るようにそう言うと、ネメシアは妖艶に笑う。
「ふふ、へえ。それぐらいの口は叩けるのね。じゃあ、やってみるかしら?」
「できればやってみたくないんだけどな」
孔は腹立たしげに舌打ちをした後、刀を正眼に構える。
対するネメシアは、笑みを浮かべたまま、拳に魔力を集中させている。ネメシアの拳の周りの空間が、陽炎のように揺らめいている。
そして、突如ネメシアの笑みが消え、こちらに突進してきた。
放たれるのは、目にも止まらぬ連撃。迷宮の最下層にいた水無月もかなり速かったが、ネメシアは徒手のためそれ以上の速度だ。
徒手による連撃をなんとか凌ぐと、ネメシアは笑いながら孔を褒める。
「へえ、今のを耐えるなんて。召喚されたての卵とはいえ、さすがは勇者と言ったところかしら?」
「お褒めにあずかり光栄だな」
孔が息を整えながらそう返すと、ネメシアはなぜか訝しげにこちらを見る。
数秒こちらを見つめた後、合点が言ったように、右拳を左の掌に打ち付ける。
「なるほど。コウ、あなた、卵じゃないわね?目覚めている……『覚醒』しているようね」
「……へえ、そんなことまで見抜けるんだな。さすがは魔王軍幹部、と言ったところか」
「でも、それにしては存在感が薄いわね……?まあ、いいわ」
小声で呟いていたため孔には聞こえなかったが、ネメシアは会話を切り上げて、再度魔力を練る。
そして、先ほどよりも速いスピードで突撃してくる。
「『元素体』!!」
突き技のように拳を打ち出してくるネメシア。
孔は、反射的に『元素体』の風を発動すると、勢いよく体を後方に飛ばした。
「あっ……ぶねぇ……。今のは本気で焦った」
一瞬戦慄が走ったのを感じた。
それほどまでに危うい一撃だった。おそらく、当たっていれば即死しただろう。
「あら、今のはさっきより力を入れたのだけれど……反応できるなんて意外ね」
ネメシアは少しだけ悔しそうにそう言う。それに対して、孔は強がるように言い返した。
「今のが本気か?魔王軍幹部ってのも、案外強くないんだな」
しかし、ネメシアは孔の煽りに怒ることなく、ただ笑う。
「ふふ、今のが本気だと思っているようなら、あなたは勝てないわよ。……まあでも、四天王の一角らしく、力を使った方がいいかしら」
ネメシアは半ば自分に言うように呟き、笑みを消す。
「私は魔王軍四天王、"支配王"のネメシア・ルクレール。そうだったわね。ならば、支配王らしく支配しなければ」
先ほどとは違う、正式な名乗り。
言葉に言い表せない恐怖を感じた孔は、思わず身構えた。
そして、ネメシアは手のひらをこちらに向ける。
「魂縛」
ネメシアが呟くと同時に、孔の意識は薄くなる。
目がとろんとして、顔から生気が薄れ――。
「ッ!」
しかし、そこで孔の意識はもう一度覚醒した。
「なっ!魂縛が効かないなんて……コウ、何か精神耐性のアクセサリーでも着けてるの?」
「いいや、そんなことはないぞ」
「ならば……心の強さ?それだけで、打ち勝って見せたの……?」
呆然としながら、ネメシアは推測を続ける。
しかし、ふと独り言をやめ、顔に笑みを浮かべた。
「まあ、どっちにしても関係ないわね……どうせ、やることは変わらないわ」
そして、ネメシアは指を鳴らす。
「支配之王冠」
そして、孔の意識は暗がりに引き摺り込まれ――なかった。
確かに、一瞬だけ意識は薄れ、視界は闇に閉ざされた。しかし、即座に光が戻ったのだ。
「な、なぜ……なぜなの!?」
ネメシアは、驚きの声を上げる。しかし、孔にも訳がわからない。
「い、いや、俺にもわからんのだが……」
「心の強さ?いや、確かに勇者は一般人よりは心が強いけど、支配之王冠に耐えられるほどの精神性な訳がない……そもそも、そんな者なら神に召喚できるとは思えない。なら……考えられるのは、支配の解除?いや、さっきの仲間たちは近くにはいない……じゃあ……?」
しばらく独りでぶつぶつ呟いていたネメシアだったが、突然視線を空に向ける。
「心眼」
何か魔法を唱えると、合点が言ったように頷いた。
「そう、そう言うことね……コウ、あなたは恵まれているようね」
「は?何を訳のわからないことを言ってる?」
「ふふ、あなたは気づいていないのね。まあいいわ。ここで竜とやり合うのはよくないわね……。仕方がない、ここは引くとしましょう。あなたのことは覚えておくわよ、コウ」
笑いながら、撤退宣言をするネメシア。
しかし、孔にはどうやって逃げるのか、それが疑問だった。
「ここからどうやって逃れるつもりだ?今は、白川さんの結界で、誰も出入りできないはずだぞ」
孔は、真上にも見える結界の端を指差しながら言う。
しかし、ネメシアがその笑みを消すことはない。
「そうね……確かに、スキルで作られた結界は強力だわ。仮にも神の力の一端……でも、使用者に技術がないわね。だから、こうなる」
ネメシアが指を鳴らすと、ガラスが割れるような音を鳴らしながら、結界が崩れる。
「な……!?」
絶句する孔。その様子を見て、ネメシアは笑う。
「最後にその顔が拝めただけでも満足ね。……それじゃあ、またいつか会いましょう、コウ」
ネメシアはそう言って、転移のように姿を消した。
孔はしばらく呆然としていたが、やがて我に返った。
「結界が壊れたって言うことは、あっちがまずいな……」
孔は呟きながら、空を飛ぶ。まだ『元素体』を解除していないので、体は軽いままだ。
上空から周囲を見ると、亮太やシルヴィアたちは合流して、それぞれの敵を抱えているようだ。白川たちは、結界が破れたことにより入ってきた敵と交戦中。
その状況を見て、孔は亮太たちの元へと飛んだ。
地面に降りるなり即座に状況を説明する。
「今、あっちの方で白川さんたちが戦ってる。あそこまでそいつを引っ張っていって、兵士どもを黙らせる。そしたら俺が一人ずつ、本陣まで運んでいく。いいか?」
突然孔が空から現れたことに驚いている様子の亮太だったが、かろうじて頷く。
そいつ、とはもちろん司令官のことである。
「俺はそいつ抱えて、先に行っとくからな。走って着いてきてくれ」
孔はそれだけ言うと、司令官を抱えて再度飛ぶ。
距離はさして離れていないので、すぐに白川の元に辿り着いた。
「双方、剣を引け!」
ドラマのように、大声で叫んでみる。
白川たちは、孔の発言だからか、むげにすることなく剣を引いた。対する帝国軍は、闖入者を訝しげに見つめた後、抱えられた司令官を見て慌てて剣を引いた。
「司令官は預かった!こいつの命を保障して欲しくば、大人しく下がっていろ!」
孔がそう叫ぶと、帝国軍の兵士たちは狼狽える。
しかし、しばらく逡巡した後、最終的には、剣を地面に捨てた。
それを見て孔が満足げに頷くと、ちょうど後ろから亮太たちがやって来る。
孔は地上に降りて、白川たちに話しかける。
「俺が一人ずつ抱えて本陣に運んでくから、それまでの間、万が一にも攻撃されないように、もう一度結界を張ってくれ」
孔が白川にそう伝える間に、亮太たちはそばまで寄ってきたようだ。
白川は孔の言葉に頷き、空中に紋章を描く。
「『氷紋』」
そして、白川がその紋章を握りしめると、結界が展開する。
「紅月くんと、紅月くんが触れているものは通れるようにした」
「ありがとう」
白川に礼を言って、孔は声を張り上げながら結界を出る。
「これより、我々は王国軍本陣へと撤収する!その行動を妨害するようなことがあれば、司令官の命はないと思え!」
帝国軍の兵士たちに向けて叫ぶと、孔は飛び上がって王国軍本陣へと向かった。
それから約三十分後、司令部奇襲に参加した全員と、人質の四人は王国軍本陣への帰還に成功した。




