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病棟の廊下はやたらと居心地が悪かった。
一階のロビーや検査室の前だったらベンチの一つも置いてあるけど、此処にはそんなものは無い。
父親の面会にきた矢野鮎子に付き合って病院までは来たけれど、さすがに病室まで入るのはためらわれる。
そういうわけで、僕はこんな病棟の廊下で手持ち無沙汰にうろうろしているわけなのだ。
そんな僕の前を、てきぱき働く看護師さんや松葉杖の患者が通り過ぎていく。
中には、胡散臭げに僕を見つめるおじさんなんかがいたりする。
仕方なく廊下の突き当たりにある非常階段のドアのところにいってみた。
ドアの外は鉄錆びの浮いた階段が下の方まで続いているのが見えた。ドアを開けて外に出る。
秋の風と、暮れかけたオレンジ色の光がそこでは僕を待ってくれていた。しばらくここで時間をつぶす事にしよう。
ドアは枠以外ガラス製だったから、病室を出てくる矢野に気づかないという事も無いだろう。
今ごろ彼女は父親とどんな話をしているのだろうか。
憎んでも余りある父親だなんて言っていたけど、まもなくこの世から消えてしまう父親なのだから、きっとこの方がよかったはずだ。
見舞いに来るべきかどうか迷っていた彼女の背中を押した僕としては、できればそう思いたい。
病室から泣きながら出てくる彼女を見ることになるかもしれないが、その涙は決して無意味な涙ではないはずだ。
空を仰ぐと星の光が少しずつ見え始めていた。
でもまだ月は出ていない。
月の出る方角が隠れて見えないのもあるけれど、そちらが水平線だったとしてもまだ月の出る時刻には早すぎる。
あと一時間くらいだろうか。
そうしたら黄色く光る、丸いお月様がその姿をあらわすだろう。
あれから四日たっているから少しだけ欠けた、それでもほとんど満月と変わらない月が。