表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/13

プロローグ3:酒神戦

「酒神戦……それは、日本酒の未来を賭けた、酒神たちの戦いだ」


天雷は、結愛の混乱した心を無視するかのように、淡々と語り始めた。その声には、千年の歴史と重みが宿っているようだった。仕込み蔵の冷たい空気が、天雷の言葉に込められた真実を、結愛の肌に突き刺す。


「お前たちが暮らすこの人間界の酒蔵には、それぞれを司る酒精の化身が宿っている。我は、この蔵の銘酒、大吟醸の酒精だ。だが、全ての酒精が善なる存在ではない。中には、酒の力を用いてこの世を支配しようと目論む邪悪な酒精、“邪神”も存在する」


結愛の頭の中には、幼い頃に祖母が語ってくれた物語の断片が蘇ってきた。酒造りに情熱を注いだ先祖が、蔵に宿る神々と交流し、共に酒を造り上げたという、希望に満ちた話。しかし、その神が善なる存在ばかりではないという事実は、彼女にとってあまりにも衝撃的だった。祖母は、酒神が「蔵を守る良い神様」だと言っていた。だが、天雷の言葉は、その物語に隠された裏の顔を、残酷なまでに露呈させた。


「酒神戦は、この世の酒を巡る戦い。邪神が造る酒は、人間の欲望を煽り、心を蝕む。それは、ただ酒を飲んで酔い潰れるだけではない。嫉妬、憎悪、虚栄心……人間の心の奥底に潜む、負の感情を増幅させる。邪神に蔵を奪われた杜氏は、魂を抜かれたように無気力になり、その酒蔵は滅びる。それは、単に酒造りが衰退するだけではない。人々の心を支える酒の文化そのものが、歪められてしまうのだ。人々は、いつしか酒を『楽しいもの』ではなく、『恐ろしいもの』として忌み嫌うようになる」


天雷の言葉に、結愛は戦慄した。彼女が迷っていた家業の「将来」とは、単にビジネスとしての存続を意味するものではなかった。それは、酒という文化、そしてそれに関わる人々の魂を守る、あまりにも重く、壮絶な戦いだったのだ。結愛の胸の内で、家業に対する迷いは、いつしか使命感へと変わり始めていた。


「そして、その戦いに巻き込まれるのが、お前だ。勾玉に宿る血脈の記憶を継ぐ者。お前は、我ら酒神の力を引き出す唯一の鍵となる。お前がこの勾玉と共に、真の酒神として覚醒せねば、この蔵は邪神に狙われ、やがて滅びる。そうなれば、お前の家族も、この蔵で働く人々も、皆、心を病んでしまうだろう」


天雷の冷徹な言葉は、結愛の心に現実の重みを突きつけた。家族を守りたい。この蔵を守りたい。その想いが、彼女の迷いを打ち消していく。結愛は、胸元の勾玉を強く握りしめた。祖母が大切にしていたこの勾玉は、祖母自身の願いと、先祖代々の想いが込められたものだったのかもしれない。それは、結愛の血に眠る力を目覚めさせるための、何世代にもわたる祈りの結晶だったのだ。


「だが、お前にはまだ迷いがある。家業を継ぐか否か、という次元の低い話ではない。お前は、自身の血に流れる力を信じるか、否か、だ」


天雷のまっすぐな視線が、結愛の心の奥底を見透かす。その視線に、結愛は自分の迷いを見透かされたような気がした。普通の女子大生としての日常に戻りたいという願望。しかし、この蔵、そしてこの土地を愛する想い。どちらも彼女の心に強く存在していた。もはや、どちらかを選ぶという選択肢は存在しない。どちらも守り抜く覚悟が、彼女には求められていた。


「迷っている暇はない。邪神はもう、お前の周りに現れ始めている。お前がこの勾玉を掲げ、我と共に戦うことを決めるか、それとも、この蔵と共に滅びるか。選ぶのは、お前自身だ」


天雷の言葉は、結愛の心に一つの光を灯した。そうだ、この蔵を、祖母を、そしてこの土地の人々を守りたい。この想いこそが、彼女の血に流れる力なのだと。もはや、彼女は一人ではない。この蔵の歴史が、酒神の力が、彼女と共に存在している。


「……わかりました」


震えながらも、彼女ははっきりと答えた。


「私は、この蔵を守ります。サカミツ、私に、その戦い方を教えてください」


結愛の瞳には、もう迷いはなかった。そこに宿るのは、小さな光。それは、彼女の中に眠っていた「酒神」としての覚悟だった。そして、彼女の新たな旅が、今、始まった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ