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第1章 天雷編 第5話:澱神の奇襲

灘五郷の一大イベント「男酒祭おとこざけまつり」の準備が進む中、蔵人たちの間には活気と熱気が満ち溢れていた。色とりどりの旗がはためき、祭りの提灯が軒先に並び、酒蔵から漂う芳醇な香りが、祭りの華やかな雰囲気を一層引き立てていた。結愛は、酒造りの手伝いをしながら、生まれて初めて見る本格的な祭りの熱気に心を躍らせていた。頬を紅潮させ、きらきらと目を輝かせる結愛の姿は、まるで祭りの妖精のようだった。しかし、その賑わいとは裏腹に、天雷は眉間にしわを寄せ、警戒を強めていた。彼の鋭い感覚は、この華やかな祭りの裏に潜む、冷たく邪悪な気配を捉えていた。


「来たか……!」


天雷の言葉と同時に、灘五郷の複数の酒蔵から、どす黒い気が立ち上るのが見えた。それは、以前結愛が浄化した小さな澱神の分身とは比べ物にならない、強大で数の多い邪神の気配だった。黒い霧はまるで生きているかのようにうねり、祭りの提灯の光を吸い込んでいく。蔵人たちの笑顔が不安に変わり、熱気は一瞬で冷たい空気に変わった。


「複数か……!これほど大規模な奇襲とは……!」


白瀧は驚きを隠せない。彼の顔に刻まれた厳格な表情が、一瞬だけ動揺の色を浮かべた。灘の酒神たちが、それぞれが宿る蔵の周囲に姿を現し、剣や鉾を構えて応戦するも、邪神の数が多すぎて劣勢に立たされていた。至る所で、酒神たちの悲鳴と、苦しみの声が聞こえる。力強い男酒たちが、澱の濁流に飲み込まれていく。


『くっ……!この数では……!我らの誇り高き霊力が……!』

『力を吸われる……!こんな、こんなことのために酒を造ってきたわけではないのに……!』


結愛は、勾玉を通して伝わってくる酒神たちの苦しみの声に、胸が締め付けられる思いだった。故郷の時と同じ、大切なものが壊されていくような感覚が、彼女の心を震わせる。あの時の無力感が蘇り、足がすくみそうになる。


「みんな……!負けないで……!頑張って……!」


結愛の小さな声は、しかし、戦場の喧騒にかき消されてしまう。天雷と白瀧は、それぞれ一つの酒蔵に集中して澱神と戦っていた。天雷の剣が雷を放ち、白瀧の鉾が澱を切り裂く。だが、彼らが一体を浄化している間に、別の場所の酒神たちが次々と侵食されていく。


「結愛!今はお前の出る幕ではない!下がっていろ!奴らは結愛の力を狙っている!」


天雷の言葉は、結愛を危険から遠ざけるためだった。彼の叫びには、彼女への深い想いと、強い責任感が込められていた。しかし、結愛は下がることができなかった。


「駄目です……!このままじゃ、みんな……!故郷の蔵の時と、同じになってしまう……!」


結愛は、天雷と白瀧が戦う姿を見て、一つのことに気づいた。彼らは、個々の澱神に対して一対一で戦っている。だが、敵は複数だ。このままではジリ貧だ。故郷の時とは違う。今回は、酒神が沢山いる。ならば、その力を借りれば……!


『白瀧さん……菊水さん……!私に、力を貸してください……!みんなの力を、一つに……!』


結愛は、故郷で天雷に力を借りた時のことを思い出した。あの時、天雷の力が彼女の勾玉を増幅させ、澱神を浄化することができた。ならば、今度は自分が、酒神たちの力を増幅させる「触媒」となれば……!彼女は、この場で起こっている全てのことを、まるで自分の故郷の酒蔵で起きたことのように、自分のこととして受け止めていた。


結愛の心の声は、白瀧と菊水に届いた。二人は、戦いの手を止め、驚いたように結愛を見つめた。


『結愛……!お前、まさか……!我らの霊力を、お前一人が受け止めるというのか……!?』

『結愛さん、それは……!あなたの身体が持ちません……!』


「はい!信じてください!このままじゃ駄目なんです!みんなの力が、必要です!この祭りを、この街を、蔵人たちの想いを、守りたいんです!」


結愛のまっすぐで、決して揺るがない瞳が、二人の心を動かした。白瀧は、一瞬の迷いを振り切り、天雷に叫んだ。


「天雷!結愛に我らの霊力を送るのだ!奴らの狙いは、結愛の力だ!それを逆手に取る!結愛の力を、灘の力として見せつけてやるのだ!」


「しかし……危険すぎる!あの子の身体が……!」


天雷は反論するが、白瀧は結愛の瞳に宿る、故郷の酒たちの想いと、灘の酒神たちを守ろうとする強い意志を感じ取っていた。その瞳は、もはや迷いを抱えた少女のものではなく、確固たる信念を持った守護者のものだった。


『信じてやれ、天雷。結愛は、もう一人ではない。故郷の酒神たち、そして我々灘の酒神たちが、彼女と共にいる。お前の不安な気持ちはわかる。だが、今、彼女を信じなければ、全てが終わってしまうのだ』


菊水の穏やかな声が、天雷の心に響く。天雷は、結愛が自ら危険に身を投じようとしていることに、激しい葛藤を覚えていた。しかし、彼女のまっすぐな眼差しは、彼の心を貫き、迷いを断ち切らせた。天雷は、決意を固めたように、結愛に言った。


「いいか結愛!霊力は、お前自身の力と合わせて、何倍にも膨れ上がる!だが、制御できなければ、お前自身の身が持たない!俺たちが全力で支える!絶対に、油断するな!」


「はい……!」


結愛は、勾玉を両手で握りしめ、目を閉じた。白瀧と菊水、そして戦いを止めていた他の灘の酒神たちも、結愛に自らの霊力を送る。力強く、骨太な男酒の霊力が、まるで温かい濁流のように結愛の体へと流れ込んでくる。結愛の胸の勾玉が、眩い光を放ち始めた。その光は、故郷で天雷に力を借りた時とは比べ物にならないほど、強く、温かく、そして力強かった。


「淀みに侵された人々の、諦めや後悔の心が生んだ澱神……。その澱を消し去るのは、酒造りに携わる人々の、情熱と、希望の光……!私には、みんなの想いが、みんなの力が、ある……!」


結愛は、心の底からそう叫んだ。そして、彼女の勾玉から放たれた光は、一本の光の柱となり、空へと昇っていった。光の柱は、空中で幾筋にも分かれ、虹色の光となって灘五郷の複数の酒蔵へと降り注いでいく。光が降り注いだ場所から、澱神の分身たちは悲鳴を上げ、まるで雪が溶けるように消えていった。浄化の光が、複数の酒蔵を、同時に浄化していく。


『ああ……!身体が軽くなった……!』

『ありがとう……結愛……!』


酒神たちの感謝の声が、結愛の心に響く。結愛は、その声に安堵と、喜びの涙を流した。しかし、彼女の浄化は、まだ終わっていなかった。澱神の分身は、まだ残っていた。


「くっ……!まだだ……!まだ終わっていない……!」


広範囲にわたる霊力の増幅と浄化は、結愛の心身に大きな負担をかけていた。彼女の体は鉛のように重く、勾玉から放たれる光が揺らぎ始める。


「結愛!無理をするな!」


天雷の声が聞こえる。しかし、結愛は止まらなかった。彼女の頭の中には、酒蔵を守る蔵人たちの笑顔、祖母の優しい眼差し、そして灘の酒神たちの希望に満ちた声が響いていた。


「大丈夫……!私には、みんなの力が……!」


結愛がそう叫んだ瞬間、彼女の背後から、温かい光が灯った。それは、故郷の酒神たち、そして灘の酒神たちが、彼女に送ってくれた、新たな力の光だった。その光は、結愛の心の迷いを完全に消し去り、彼女の力を何倍にも増幅させた。


『結愛……!お前は、我々の希望だ!』


故郷の酒神たちの声が、結愛の心に響く。結愛は、その声に勇気づけられ、残った澱神の分身に、最後の浄化の光を放った。


光は、残った澱神の分身を、一瞬で浄化し、空へと消し去った。灘五郷は、再び穏やかさを取り戻した。祭りの賑わいは止まってしまったが、蔵人たちの顔には安堵の色が浮かんでいた。


「やった……!やりました……!」


結愛は、安堵と達成感で、その場に崩れ落ちた。天雷は、すぐに彼女のそばに駆け寄り、その身体を優しく支えた。彼の腕が、彼女の華奢な体をしっかりと抱きとめる。


「よくやった、結愛。お前は、この戦いで、一つ壁を越えた。広範囲に及ぶ浄化……。お前の力は、誰にも真似できない、特別なものだ」


天雷の言葉に、結愛は、疲労困憊ながらも、嬉しそうに微笑んだ。彼の胸に顔を埋めると、彼の心臓の鼓動が、力強く、そして温かく伝わってくる。


「天雷さん……。私、故郷の時とは違う……!私、ちゃんと、みんなを守れた……!」


結愛は、天雷の胸に顔を埋め、安堵と喜びの涙を流した。天雷は、そんな彼女の背中を、優しく抱きしめた。彼の温かさが、彼女の疲れた心を癒していく。その温かさは、彼女が今まで感じたことのない、特別で、かけがえのないものだった。この戦いを通じて、結愛の浄化能力は飛躍的に向上した。そして、彼女は、自分の力が、誰かを傷つけるためのものではなく、誰かを守るためのものだと、心から信じられるようになった。天雷の腕の中で、彼女は、新たな希望の光を感じていた。

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