南の英雄、劉裕の台頭
林全と慕容恪が北方の拓跋珪に警戒を強める頃、南の東晋では、後に中華統一の夢を抱く一人の英雄が、その才覚を現し始めていた。彼の名は劉裕。
劉裕の生い立ちは、拓跋珪と同様、貧困と苦難に満ちていた。彼の家は代々貧しく、幼い頃に母を亡くし、継母に育てられた。しかし、継母もまた貧しかったため、彼はほとんど乳を与えられず、別の家に預けられるほどだった。その生涯は、常に貧困と隣り合わせだった。
(なぜ、人は生まれながらにして、このような不公平な境遇を強いられるのだ……。予は、この貧しさから抜け出してみせる。この腐敗した東晋の朝廷を、予が変えてみせる!)
彼は、貧しさから抜け出すため、若い頃から賭博に明け暮れた。しかし、ただの博徒ではなかった。彼の瞳には、常に天下を見据える鋭い光が宿っていた。
劉裕の運命を大きく変えたのは、孫恩の乱だった。隆安三年、五斗米道の孫恩が反乱を起こし、東晋の朝廷は揺らいだ。腐敗しきった朝廷の兵は、孫恩の軍を止めることができず、民衆は混乱の渦に巻き込まれた。
(この国は、すでに腐りきっている。民を救うには、予が立ち上がるしかない!)
劉裕は、わずかな兵を率いて孫恩の軍と戦い、その卓越した指揮能力で勝利を収めた。彼の勇名と戦功は、次第に朝廷にも知れ渡るようになる。彼は、孫恩の乱を鎮圧した功績で、将軍としての地位を確立し、桓玄の部下となった。
しかし、劉裕は桓玄の野心を見抜いていた。
(桓玄は、この国の腐敗を利用して、自らの天下を築こうとしている。彼が皇帝になれば、この国はさらに混乱するだろう。民は、再び苦しむことになる。予は、彼を討たねばならぬ!)
桓玄は、元興二年に東晋の皇帝安帝を退位させ、自らが皇帝に即位した。しかし、劉裕はこれに反発し、元興三年、反乱を起こして桓玄を討った。彼は、安帝を復位させ、東晋の実権を握ることになる。
劉裕が東晋の実権を握ったという報せは、燕の朝廷にも届いていた。
「林全殿。東晋に、劉裕という男が現れたそうです。彼は、桓玄を討ち、今や東晋の実権を握っているとか」
慕容恪は、劉裕の報せを林全に伝えた。
「慕容恪殿。劉裕……。彼は、将来、北魏と並ぶほどの脅威となるでしょう。彼は、東晋を立て直し、やがて中華統一の夢を抱くことになります」
林全は、劉裕の未来を知っていた。彼は、東晋の将軍として南燕や後秦を滅ぼし、やがて宋を建国する。そして、中華統一を目前にしながらも、志半ばで病に倒れることになる。
(拓跋珪に劉裕……。この時代には、二つの傑物が現れた。燕は、この二つの強国に挟まれることになる。我々は、この二つの勢力の動向を常に注視し、彼らの動きを封じなければならない)
林全の心には、新たな戦乱の予感が渦巻いていた。北の拓跋珪、南の劉裕。この二つの強国に挟まれた燕は、果たして生き残ることができるのか。林全と慕容恪の知恵と勇気が、再び試されることになる。