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五胡転戦記  作者: 八月河
劉石冉漢趙魏
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破滅への行進と、最後の諫言

建武七年、後趙の首都、鄴。季節は夏だというのに、林暁は肌寒さを感じていた。宮殿の執務室の窓からは、昼夜を問わず槌の音、石を削る音、そして民の苦悶の声が、まるで工事現場の騒音のように聞こえてくる。石虎が命じた宮殿の造営は、まるで終わりのない巨大な公共事業のようだった。林暁は、机の上に広げられた膨大な設計図と徴兵簿を眺めながら、深い溜息をついた。


(これ、完全にバブルだろ……。石虎は何考えてんだ? 国を何だと思ってるんだよ。ただのデカいおもちゃか? 遠い未来の歴史の授業で見た、暴君たちの姿が、今、目の前で再現されている。このままじゃ、国はマジで終わるぞ……)


林暁は、飢えや重労働に苦しむ民の姿を想像し、胸が締め付けられる思いだった。その日の夕方、公務から解放された林暁は、一人、自室で静かに杯を傾けていた。かつて、この時間には、妻の慕容雪と息子との団欒があった。今は、その温かい記憶だけが、彼の心を慰めていた。


(雪、虎……お前たちがこの狂気の場所にいないことが、どれだけ俺にとって救いか。この工事の騒音が、お前たちの耳に届くことがなくて、本当に良かった。でも、俺はここにいる。この騒音を聞き続けなきゃならない。そしていつか、この音を止めなきゃならないんだ)


彼は、遠い前燕の空に、家族の無事を願うのだった。


石虎の暴政は、民の心を深く傷つけていた。貝丘出身の李弘という人物は、民衆の不満が爆発寸前だと感じ取り、自らを予言の成就者と称して反乱を起こした。彼の旗印には、「天が石氏を憎み、李氏を興す」と書かれていた。しかし、彼の反乱は、石虎の精強な軍の前では、あまりにも儚かった。反乱の火はすぐに消され、石虎は彼を捕らえ、連座で数千家を殺害した。

林暁は、この報を聞いて、ある人物の言葉を思い出した。


(李弘は、ただの暴動扇動者だったのか……いや、彼は民衆の代弁者だったんだ。石虎のブラックな政治が、彼みたいな人間を生み出した。彼が死んだところで、民衆の不満は消えるどころか、さらに深く、静かに溜まっていく。それはいつか、巨大な波になって、この国を飲み込んでしまうだろう)


その頃、韋謏という人物が、石虎の頻繁な狩猟や宮殿造営を諫めた。彼は、命を賭けて石虎の前に進み出た。


「陛下は、『千金の子は堂に垂れず、万乗の主は危には近寄らない』という言葉をご存知でしょうか。今、耕作の盛んな時期に、民を苦しめております。道には死者が溢れ、怨嗟の声が満ちております。どうか、作役を中止し、民に安らぎを与えてください!」


韋謏の言葉は、林暁の耳に、久しく聞くことのなかった真っ当な意見として響いた。林暁は、彼の勇気に心の中で拍手を送った。しかし、石虎は韋謏を称賛し、褒美を与えたものの、宮殿の造営や狩猟を止めることはなかった。


「さすがは、朕の臣下だ。よい諫言だったぞ。だが、わしの狩猟が民の楽しみを奪うことなどあるまい。民は、わしが狩りで得た獲物を分け与えることで、喜んでいるはずだ」


石虎は、そう言いながら、次の狩猟の計画を立てるように命じた。林暁は、その様子を見て、石虎の偽善と、民をただの道具としか見ていない心に、吐き気を催しそうになった。


石虎の息子である秦公石韜と皇太子石宣の対立は、日を追うごとにエスカレートしていた。二人の間には、もはや親子の情はなく、ただ権力への欲望だけが渦巻いていた。石宣は、石韜の寵愛を妬み、石虎に兵力の削減を進言させた。これにより、石韜ら諸公は恨みを抱き、その溝はますます広がっていった。


林暁は、石宣と石韜の対立に、石邃の悲劇の再来を感じていた。


(石虎は、自分の息子たちを争わせることで、権力を維持しようとしているのか? この血塗られた連鎖は、いつまで続くんだ……。親が子を殺し、子が親を憎む。この国は、もう家族の絆すら残ってないじゃないか)

そして、この対立は、無関係な者の命を奪うことになった。


ある日、不吉な天体現象が起こると、石宣はこれを機に、邪魔者であった領軍の王朗を陥れることを考えた。石虎は王朗の才能を惜しみ、後任を尋ねると、太史令の趙攬は中書監の王波を挙げた。


王波は、過去に李閎を成漢に帰還させた件を蒸し返され、石宣の讒言により、腰斬に処された。林暁は、この報を聞いて、衝撃を受けた。


「ふざけるな……王波殿は、ただ国のために尽くしていただけじゃないか……」


林暁は、王波の死を、石虎の猜疑心と、石宣の嫉妬が引き起こした理不尽な悲劇だと悟った。彼は、自身の無力さに、ただ拳を握りしめるしかなかった。


石虎の暴政は、もはや止まるところを知らなかった。彼は、長安や洛陽の宮殿を修復し、猟車を千台も造らせ、民の妻を十万人も後宮に入れた。


そんな中、蒲洪が石虎を強く諫めた。


「聖帝明王が、このようなことをなさるでしょうか。今、国には怨嗟が満ちており、天は怒りを抱いております。このままでは、国は滅びます。どうか、作役を中止し、宮女を返し、民の望みに応えてください!」

蒲洪の言葉は、林暁の心に、最後の希望の光を灯した。しかし、石虎は蒲洪を処罰することはなかったものの、諫言した朱軌は処刑し、「私論朝政の法」を立法した。これは、臣下が石虎の政治を批判することを禁じる法律だった。


(これで終わりだ……。もう、誰も石虎を止められない。この国は、もう引き返せないところまで来てしまった)


林暁は、石虎の狂気が、すでに破滅への道を歩んでいることを悟った。彼は、愛する家族を守り、この血塗られた時代を終わらせるために、静かに、そして着実に、その準備を進めるしかなかった。彼の心には、決して揺らぐことのない、固い決意が宿っていた。それは、未来から来た男として、この歴史の流れを変えるという、彼にしかできない使命だった。

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