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五胡転戦記  作者: 八月河
劉石冉漢趙魏
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石勒の崩御、後趙の動乱

後趙の建国から数年、林暁は蕩寇将軍として各地の戦に従軍し、石勒の天下統一に貢献していた。しかし、彼が最も心を砕いていたのは、敗戦時の被害を最小限に抑えることだった。石虎の無謀な突撃によって戦況が悪化した際には、冷静な判断で殿を務め、多くの兵の命を救った。


(戦は、勝つことだけが全てではない。いかにして負けを減らすか、いかにして兵の命を守るか……それこそが、この乱世を生き抜く道だ)


林暁は、石虎とは付かず離れずの距離を保っていた。石虎の凶暴性は、時に林暁を苛立たせるが、その圧倒的な武勇は、石勒の天下統一には不可欠なものだと理解していた。林暁は、石虎の冷酷な一面を許すことはできなかったが、彼を完全に否定することもできなかった。石虎の武勇がなければ、後趙の天下はありえなかっただろう。だが、その武勇がもたらす血と暴力は、林暁の心に常に重くのしかかっていた。


太和三年、石勒は帝位に即き、建平と改元した。石虎は、自らの功績が当代随一であると自負しており、石勒が即位した暁には、必ずや大単于の地位を任せられるだろうと周囲に語っていた。しかし、大単于を授けられたのは、石勒の子である石弘だった。


この知らせに、林暁は胸騒ぎを覚えた。


(石虎殿は、石勒殿を補佐する忠臣を演じているが、その心の内は違う。大単于の地位を石弘に与えたことで、石虎殿の不満は頂点に達しただろう……。嵐の前の静けさだ。いつか、この均衡は必ず崩れる。その時、この国は血の海に沈むかもしれない)


林暁の予想通り、石虎は深くこの人事に怨みを抱き、子の石邃に胸の内を吐露した。


「主上が襄国を都として以来、わしは恭敬にして礼を有し、その指示に従ってきた。我が身を矢石に晒すこと二十年余りに及び、南は劉岳を捕らえ、北は索頭を敗走させ、東は斉、魯の地を平らげ、西は秦、雍の地を定め、実に十三州を攻め滅ぼした。大趙の業を成したのはこのわしである。大単于の望は真にわしに在るべきであるのに、青二才の婢児に授けられてしまった。いつもこの事を思い、寝食する事も出来なくなった。主上が崩御した後を待つのだ。あの種は留めるには足りぬ」


石虎の言葉は、林暁の耳にも届いていた。その凶暴な野心は、後趙に大きな禍根を残すだろうと林暁は確信した。


建平四年五月、石勒は病に倒れた。林暁は、この報を聞いてすぐに襄国へと向かったが、都はすでに石虎の支配下にあった。石虎は、石勒の命と偽って石弘や厳震を始め内外の群臣や親戚を退け、誰も石勒の病状を把握できないようにしていたのだ。


林暁は、城門の前で兵士に止められた。


「林暁将軍、申し訳ございません。中山王の命により、石勒様にお目にかかることはできません」


林暁は、その言葉に絶望的な胸騒ぎを覚えた。石虎は、すでにこの時を待っていたのだ。林暁は、石虎の巧妙な手口を思い知らされた。


石虎は、さらに石勒の命と偽り、関中を統治していた石宏と、彭城王の石堪を密かに襄国に召還した。彼らを都に呼び寄せ、権力簒奪の邪魔になるであろう芽を摘もうとしていることは明らかだった。


石勒の病状が少し回復すると、石宏がいるのを見て驚いた。

「秦王は何故にここに来るか?王に藩鎮を任せたのは、正に今日のような日に備えるためではないか。誰かに呼ばれたのか?それとも自ら来たのか?誰かが呼んだのであれば、その者を誅殺してくれよう!」


石勒の声は、病床に伏せていながらも、かつての覇者の威厳を保っていた。その言葉に、石虎は恐れをなして言い訳をした。


「秦王は思慕の余り、自らやってきたのです。今、送り返すところです」


石虎は、そう言ってその場をしのいだ。しかし、数日後、石勒が再び石宏について問うと、石虎は「詔を奉じてから既に発っており、今は既に道半ばと言った所かと思われます」と答えた。だが、実際には石宏を外に駐軍させ、帰らせることはなかった。


(石勒殿……あなたの心は、すでに石虎殿には届かない。石虎殿は、もう止まらないのだ。この国は、血によって染まるだろう)


林暁は、石勒の病状が悪化していく中、何もできない自らの無力さに苛まれていた。


同じ頃、広阿で蝗害が発生したという報が林暁の元にも届いた。通常であれば、将軍が兵を率いて蝗を駆除するのが常である。しかし、石虎は密かに子の石邃に騎兵三千を与え、蝗の発生箇所を巡回させたという。


(蝗の駆除……いや、違う。これは、権力簒奪の準備だ。石虎殿は、蝗の発生に乗じて、兵を動かし、自らの勢力を誇示している。そして、石邃に騎兵を与えたのは、自らの後継者を内外に示すためだろう)


林暁は、石虎の巧妙な手口に戦慄を覚えた。石虎は、石勒の病状を隠蔽する一方で、着々と権力簒奪の準備を進めていたのだ。


病状がいよいよ悪くなると、石勒は群臣に最後の遺命を告げた。


「大雅はまだ幼いので、恐らく朕の志を継ぐにはまだ早いであろう。中山以下、各々の群臣は、朕の命に違う事の無きよう努めよ。大雅は石斌と共に協力し、司馬氏の内訌を汝らの戒めとし、穏やかに慎み深く振舞うのだ。中山王は深く周霍を三思せよ。これに乗じる事の無き様に」


そして七月、石勒は崩御した。


石勒の死後、石虎はすぐさま石弘の身柄を抑え、朝権を掌握した。彼は程遐と徐光を捕らえて殺害し、文武百官を支配下に置いた。石弘は位を譲ろうとしたが、石虎は「君が薨じたならば、世子が立つものです」と拒否し、強引に石弘を皇帝に即位させた。


林暁は、石勒崩御の報を聞くと、胸騒ぎを覚えた。


(石勒殿の天下は、この男によって終わるのか……。石虎殿は、もう止まらない。この国は、血によって染まるだろう)


林暁の予感通り、後趙では石虎に対する反乱が相次いだ。八月、石虎は丞相、大単于に任じられ、魏王に封じられた。彼は石勒の旧臣を冷遇し、自らの側近で朝廷の重職を独占させた。


劉皇太后や彭城王石堪、関中を統治する石生らが石虎討伐の兵を挙げたが、石虎はこれを次々と鎮圧していった。彼は捕らえた者たちを容赦なく処刑し、その冷酷な支配はさらに強固なものとなっていった。


この頃、石虎は林暁を呼び出し、ある命令を下した。


「林暁、貴様を長安鎮守に任じる。全軍を率いて、長安の守りを固めよ。ただし、関中の兵を動かすことは許さぬ」


林暁は、その命令に石虎の真意を読み取った。長安は、関中を統治する石生の勢力を押さえ込むための要地である。そこに林暁を送り込むことで、石生の反乱を牽制し、同時に林暁を都から遠ざけようとしているのだ。石勒の旧臣であり、石虎とは距離を置いていた林暁を、自らの目の届かない場所へと追いやる、巧妙な一手だった。


林暁は、この後趙の動乱を静かに見つめていた。彼の戦いは、今、新たな局面を迎えていた。石勒という巨大な存在を失った後、林暁は、この荒れ狂う乱世の中で、何を為すべきなのか、自問自答を繰り返すのだった。

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