4、やっぱり殺そう
菜切り包丁を買ってからは、勢いは失われた。
何も知らずプレゼントされた母は大変喜んでくれた。
わたしといえば、殺人なんてとんでもない、と思うより先に、めんどくせぇという気持ちにすっかり負けていた。人を殺すという大罪を犯そうと決意したはずなのだが、まあ、当然ながら、ハッタリだったみたいだ。
毒殺、銃殺、絞殺、溺死。色々考えてネットで調べようにも、方法を検索する勇気すらなかった。不健全な履歴が残り、それが人目のに触れたらどう言い訳する?
気づけば六月も半ばをすぎていた。父の日をスルーし、期末と、受験と、夏の大会に向けて、毎日は目まぐるしく過ぎていく。
長い通学は勉強時間に当てられた。
夏の大会は、負ければ引退となる大会。
休日は練習試合が組まれた。
(どこまでいけるかな。でも、どうでもいいや)
約2年間を部活動に費やしたはずなのに、全てがまるで、他人事のようだった。頑張っていないと思われる行動をやや改めたものの、燃えるように練習する気になれない。約2年の頑張りをマネージャーに全否定されて以来、半端ない脱力感に苛まれている。きっとそのせいだ。
その日の練習試合は、レギュラーではないので、裏手の仕事に回る。特に馬鹿馬鹿しい仕事は、他校の先生へのお茶汲み だった。
「コーヒーと、紅茶と、緑茶がありますが、何にいたしますか?」
と、きかねばならない。
今日も練習試合によく来る近隣の高校のバレーボール部顧問たちに訊ねる。
「えっ? 何?」
「コーヒー? 今いらない」
顧問たちは、へらへら笑った。
(またか)
こういうことがとても苦手なわたしは、コーヒーがまずいだの、何言っているかわからないだの、よくバカにされる。仕方ない。なんの信念もなく、ただ、「これをきけ」「これをやれ」と言われたことをやってきいているだけだから。
相手のタイミングや機嫌やら都合やらを考えず、ただ機械みたいに訊ねている。最近のロボットの方がよっぽど賢い。
「この子はよくトレーニングしてますね。すごい筋肉」
隣町のH校バレー部顧問がわたしの太ももを指して言った。
「どんな筋トレしているんですか」
「こいつは体質。努力じゃないよ」
うちの顧問が鼻で笑う。
筋トレは、コツコツやってきた。背が高くないから、ジャンプ力とパワーで補ってきた。でも、それも頑張りの空振りだったのか。頑張ってなかったのか。
ぐるぐると思いを巡らせていたとき、マネージャーが体育教官室に入ってきた。今日の練習メニューを聞き、さりげなくよく冷えた缶ビールを差し出す。「卒業した先輩からの差し入れで、先生方にはこちらをどうぞと言われました。冷蔵庫に入れさせて下さい」
顧問たちは、口々にお礼をいい、缶ビールを飲み始めた。今飲むなよ。そう思う。しかし、いつものことだった。すでに慣れっこだった。
「新田は気が利く。いい女になるなぁ」
顧問たちは賞賛の後、チラリとわたしを見て忍び笑いをかわす。
ーーそれにくらべてこいつは
はっきりと頭に聞こえた。
「失礼しました」
マネージャーの無機質な声。一瞬目が合ったが、やはり軽蔑の眼差し。
(やっぱり殺してやろう)
駅で突き飛ばそうと思う。
これなら、簡単にできるかもしれない。
酒盛りが始まると、わたしは体育教官室を追い出された。そして、これから酔っぱらいの指導を受けなくてはならない。
「それも、あと1ヶ月」
引退までに、マネージャーと顧問を殺したい。
(どうやって)
殺せる?