1、殺してやろうと思った
電車が発車して、車内アナウンスが終わってから、彼女は言った。
「部長、頑張っているよね」
ゴールデンウィーク期間中、わたしたちの所属するバレーボール部は、一日も休みなく練習が入っていた。その最終日の帰りのことだった。
「中澤も、吉田も、田中も、佐藤も久保田も」
彼女の視線や声が冷たいことに、わたしはまだ気付いていなかった。
「そうだね」
のんきにうなずく。さぞかし間抜けな顔だっただろう。
私は帰宅のために、23分間私鉄に揺られた後、JRに乗り換える。待ち時間や徒歩の時間をいれると、片道一時間以上かかった。部活の帰りは群れて帰るのだが、私鉄23分のうち20分間は友人も数名一緒だ。一人、また一人と各自の最寄り駅で下車する。
そして、最後に二人きりになるのが彼女。新田だった。三年目の制服はすっかりこなれ、自然な前髪も、短めのスカートも、女子高生の模範みたいな見た目だった。
部では頼りになるマネージャーで、プレイヤーに負けずによく動き、その上冷静で気が回る。
その彼女が、突然、頑張っている部員の名前をあげ始めた。
異変に気づけない、馬鹿なわたしは、一年生のころから対して変わらない。ひとつ結びも、ハイソックスも、何もかも垢抜けない。
日はすでに暮れていた。帰宅途中のサラリーマンに紛れて、高校生三年生の私たちは横並びに座っている。
「原も伊藤も石澤も。田辺も、梶も。一年生も、二年生も。すごく頑張っている」
彼女はこちらを見ない。ただ、淡々と名前をあげる。「すごく頑張っている」という言葉さえ冷ややかに響いた。
そうして、ようやく気づく。
わたしの名前がない。
(わたしは?)
心に疑問が浮かんだと同時に、
(わざとだ)
あえて名前を避けているのだ。
やっと気づいた。
電車の外は夜。窓は、並んで座るわたしたちの張りつめた空気さえを鏡のように映した。彼女の目はあからさまにわたしを蔑んでいた。声は見下していた。
爪先から、戦慄が走った。怖い。隣にいる友人から、はっきりと敵意と軽蔑を受けている。
「他の人は頑張ってない。全然ダメだけど」
とどめのように言った。ああ、そうだ。頑張っている部員の名前は前置き。
お前、頑張ってない
お前、できてない。
気づけよ。ばーか。
彼女が言いたかったのは、これだ。
呆然とするわたしを、どんな風に見下げていたのだろう。それを見ることは、恐ろしくてできなかった。
「じゃあね」
彼女の降りる駅について、おもむろに立ち上がり、颯爽と去っていった。
短いスカート、白い脚。
「じゃあね」
と、わたしは返しただろうか。
わたしは手をふっただろうか。
車内の明るさや、駅構内のざわめきが、断片的に記憶に残る。
彼女がいなくなったあと私鉄から乗り換えたことすら、よく覚えていない。
ただ、身体が重くて、視界が青く、暗かった。
帰りついた家の、玄関の扉が、今日は妙に重かった。
「ただいま」をいって、「疲れたから寝る」そういって二階の自室へこもった。
母親の文句と、不機嫌にパタパタと鳴るスリッパの音がした。
部屋は雑然としている。椅子に脱ぎ捨てた上着、床で開いたままの雑誌。タンスに仕舞われず、置きっぱなしの洗濯物。電気をつけることもできず、ベッドに倒れこむ。
部屋の闇が青い。どんなに散らかろうが、一種の一体感をもって、闇に部屋ごと包まれていく。
「殺してやろう」
呟いて、ようやく呼吸ができた。
殺してやろう。彼女を。
正論を言った彼女を。
そう思った途端、笑いが込み上げる。唇の両端が静かに笑みを作る。この幼稚で愚かな考えが、自分を活性化させていくのがわかる。馬鹿馬鹿しいこの提案がすっかり気に入ってしまった。
(お腹が空いてきた)
風呂に入らず寝ることが汚いことを思い出した。高校生が一日中バレーボールの練習をしていたのだ。
「お母さーん!やっぱり夕飯食べる!」
部屋を飛びしたわたしの胸に、強い決意がよぎる。
「殺してやろう。彼女を」