第六話 祝祭に踊る黒き影、暴かれる真実、そして小さな手のひらが掴む希望の糸
アルカディア魔法学園創立記念祝祭は、まさに熱狂の坩堝だった。模擬店から漂う甘い香り、特設ステージで繰り広げられる魔法のパフォーマンス、そして生徒たちの弾けるような笑顔、笑顔、笑顔。だが、私の「心読む魔法」は、その華やかな喧騒の奥底に、一点だけ異質な、冷たく研ぎ澄まされた悪意の源泉を捉えていた。
「……あそこだ!」
人混みをかき分け、私が指さしたのは、祝祭のメインステージの裏手、薄暗い通路の奥へと続く扉だった。セリウス兄様とリアーナさんが、息を切らせながら私の後に続く。
「ミラ、本当にこの先に? 何か感じるのか?」
「うん。すごく……強くて、冷たい何か。そして、巧妙に隠された、歪んだ喜びみたいなもの……」
兄様が慎重に扉を開けると、そこは古びた儀式場のような空間だった。薄暗い石造りの部屋の中央には、複雑な魔法陣が淡い光を放っており、その中心に一人の人物が立っていた。
長いローブを纏い、フードを目深にかぶっている。だが、その立ち姿、そして何よりも、そこから発せられる強烈なプレッシャーと心の波動は、私にその正体を確信させた。
「……やっぱり、あなただったんですね。フィニアス教頭先生」
ゆっくりとフードを取ったその人物は、いつも柔和な笑みを浮かべ、生徒たちからの信頼も厚い、あのフィニアス教頭だった。しかし、今その顔に浮かんでいるのは、見たこともないような冷酷な愉悦の表情。
「おやおや、セラフィナ嬢。それに、セリウス君まで。こんなところまで嗅ぎつけてくるとは……感心しましたよ」
その声は、いつもの穏やかなものではなく、どこか甲高い、耳障りな響きを伴っていた。
「教頭先生! いったい何を企んでいるんですか!?」
兄様が鋭く問い詰める。
「企む、などと人聞きが悪い。私はただ、この歪みきったアルカディア魔法学園を、真の魔法の聖地として『再生』させようとしているだけですよ。この祝祭の満ち溢れた魔力を利用し、古代の『聖別』の儀式を執り行うのです」
「聖別ですって……? それが、あの『禁断の魔法暴走事故』とどう関係があるんです!」
「事故? ああ、あれは必要な実験、そして準備でした。より純粋で強大な魔力を得るためにね。そしてセラフィナ嬢、あなたのその稀有な『心読む魔法』と『セラフィナの血』こそが、この儀式を完成させるための最後の鍵なのですよ」
フィニアス教頭が右手を掲げると、彼の足元の魔法陣が禍々しい光を増した。ビリビリと肌を刺すような魔力の奔流が、部屋中に満ちていく。
「過去のセラフィナ家の者たちも、この栄誉ある儀式のために貢献するはずだったのですが……少々、手違いがありましてね。しかし、あなたがいれば全ては成就する!」
教頭の目が、狂的な光を宿して私を捉える。
「させるものか!」
兄様が叫びと共に炎の槍を放つが、教頭は余裕の笑みでそれを黒い障壁で弾き返した。
「無駄ですよ、セリウス君。長年この時のために力を蓄えてきた私に、あなたごときが敵うとでも?」
教頭の周囲から、無数の黒い触手が伸び、私たちに襲いかかってくる!
「ミラさん、危ない!」
リアーナさんが私を突き飛ばし、身代わりに触手に絡め取られそうになる。
「リアーナさん!」
私は咄嗟に闇の盾を展開し、触手を弾く。しかし、その威力は凄まじく、盾に亀裂が入る。
「くっ……!」
その時、儀式場の入り口から、新たな声が響いた。
「――やはり、あなたでしたか、フィニアス。長年、学園の影でコソコソと動き回っていたネズミの正体が、まさかあなただったとはな」
グレイ教諭だった。その手には、古めかしい杖が握られている。
「グレイ先生!」
「おやおや、アシュフォードの生き残りまで。今日は随分と賑やかですな。ですが、もはや誰にも私の計画は止められませんよ」
フィニアス教頭は嘲るように笑う。
「あなたの友人たちのように、あなたもここで消えるといい!」
再び黒い触手がグレイ教諭に襲いかかるが、彼は冷静に杖を振るい、古代魔術と思われる障壁でそれを防ぐ。
「セラフィナ嬢、セリウス君! 彼の狙いは、学園全体の魔力を暴走させ、それを自分の力として取り込むことだ! そして、その制御のために、セラフィナの血族の『調律』の能力を必要としている! あれは聖別などではない、ただの破壊と強奪だ!」
グレイ教諭の言葉に、フィニアス教頭は顔を歪めた。
「黙れ、裏切り者が! セラフィナの力は、我ら『真なる魔法の探求者』が正しく導くのだ!」
私は、自分がただの道具として狙われていることに、そして、セラフィナの血が過去にも同じように利用されようとしていたという事実に、全身の血が逆流するような怒りと恐怖を感じた。心が折れそうだ。
(私がいなければ……こんなことには……)
「ミラ! 君は道具じゃない!」
兄様の叫びが、私の心を打ち据える。
「ミラさんは一人じゃないです! 私たちがいます!」
リアーナさんの必死の声が、私の耳に届く。
「過去を繰り返してはならない、セラフィナ嬢。君の力は、君自身のものだ」
グレイ教諭の静かな、だが力強い言葉が、私の魂を揺さぶる。
そうだ。私は、もう逃げない。私の力は、誰かのために、大切な人たちを守るために使う!
「私の力は……あなたの好きにはさせない!」
私は叫び、闇属性魔法を全開にした。黒いオーラが私を包み込み、周囲の空間が歪む。
「おぉ……素晴らしい力だ! やはりセラフィナの血は最高だ!」
フィニアス教頭は恍惚とした表情を浮かべる。
「兄さん、先生、あの魔法陣を! あれが力の源のはず!」
私の「心読む魔法」が、教頭の思考の隙間から、儀式の核となる部分を読み取った。
「承知した!」
「任せなさい!」
兄様とグレイ教諭が、魔法陣へ向かって同時に攻撃を仕掛ける。炎と古代魔術の光が、黒い障壁と激しく衝突し、火花を散らす。
「リアーナさん、お願いがあるの!」
私は、戦闘の余波を避けながら、リアーナさんに駆け寄った。
「祝祭のステージで使われている、あの『調和のクリスタル』! あれを持ってきてほしいの! あれなら、暴走する魔力を少しでも抑えられるかもしれない!」
「わ、わかりました!」
リアーナさんは、恐怖を押し殺し、固く頷くと、一瞬の隙をついて儀式場を飛び出していった。
追い詰められ始めたフィニアス教頭が、焦りの色を浮かべ始める。
「小賢しい真似を……! ならば、こちらも奥の手を出させてもらうとしよう!」
教頭の体が、禍々しい黒いオーラに包まれ、その姿がみるみる異形のものへと変わっていく。まるで、闇そのものを凝縮したかのような、巨大な怪物へと――!
「なっ……!?」
その圧倒的な威圧感に、私たちは息を呑む。
怪物の咆哮が儀式場を震わせ、同時に、学園全体が不気味な振動に包まれた。祝祭会場から、生徒たちの悲鳴が聞こえ始める。
フィニアス教頭の計画が、ついに本格的に発動してしまったのだ。このままでは、学園が……!
「兄さん、グレイ先生……私、行かなきゃ」
私は、異形の怪物と化した教頭と、暴走を始めた魔法陣を見据え、静かに告げた。
私の「心読む魔法」と闇属性魔法。そして、セラフィナの血に受け継がれた「調律」の力。それらを全て使えば、あるいは……。
だが、それは、私の全てを賭けることになるだろう。
「ミラ、まさか……!」
兄様が悲痛な声を上げる。
しかし、私は首を横に振った。もう、迷いはなかった。
(第六話 了)