第五話 古びた名簿とグレイ教諭の影、そして乙女の友情は鉄板よりも固い(当社比)
「で、兄さん。この『グレイ・アシュフォード』って名前……どう考えても、あのグレイ教諭の若かりし頃、としか思えないんだけど」
「うむ、僕も同意見だ。だが、これをどう切り出すか……下手に刺激すれば、藪を突いて蛇、いや、ドラゴンの逆鱗に触れるやもしれん」
記録庫潜入作戦(という名の深夜の肝試し)から一夜。私たちは、戦利品(?)である古い生徒名簿の切れ端を前に、頭を突き合わせていた。参加メンバーは、私ミラ・セラフィナと、兄セリウス、そしてすっかり私たちの秘密作戦の準レギュラーと化したリアーナさんの三人だ。彼女の淹れてくれる普通の紅茶が、兄様のポエミーハーブティーの後に飲むと、なぜか五臓六腑に染み渡るのである。
「直接、グレイ先生にお聞きするのは……やっぱり危険、でしょうか?」
リアーナさんが不安そうに眉を寄せる。
「そうね……でも、あの先生が何かを隠しているのは間違いないと思うの。私の『心読む魔法』が、そう告げてる」
昨日の潜入作戦中、そしてグレイ教諭の言葉を思い返すたび、私の直感が警鐘を鳴らすのだ。
結局、まずは外堀から埋める作戦(兄様命名:『オペレーション・ティータイム・アプローチ』。もう作戦名はどうでもよくなってきた)でいくことになった。つまり、私がグレイ教諭の授業後などに、それとなくカマをかけてみる、というものだ。
「先生、昔の学園って、どんな感じだったんですか? 先生の学生時代とか、聞いてみたいなーなんて」
我ながら白々しいとは思うが、他に手がない。グレイ教諭は、積み上げられたレポートの山から顔を上げると、ふっと遠い目をした。
「……昔、ですか。そうですね……今よりも、もっと自由で、そして……もっと危険な空気があったかもしれませんな」
「危険、ですか?」
「ええ。純粋な探求心は、時に禁断の領域にも足を踏み入れさせますから」
その言葉は、誰に向けられたものなのか。私が名簿の名前――「アシュフォード」という言葉を口にした瞬間、彼の心の奥底から、一瞬だけ強い悲しみと、抑えきれない怒りのような感情の波が漏れ出てきたのを、私の「心読む魔法」は確かに捉えた。だが、それはすぐに分厚い壁の向こうに隠されてしまう。この人、やっぱり何かある。
そんな私たちの水面下の攻防を知ってか知らずか、真犯人(仮)も動きを活発化させていたらしい。
その日、リアーナさんの教科書がカッターナイフで切り裂かれ、下駄箱には「詮索好きなネズミには罰を」と書かれた、気味の悪い手紙が入れられていたのだ。
「ひっ……!」
さすがにリアーナさんも顔面蒼白で震えていたが、私の前では涙を見せず、逆にこう言ったのだ。
「だ、大丈夫です、ミラさん……! こんなことで、私、負けませんから! ミラさんたちの力になりたいって気持ちは、本物ですから!」
その細い肩が、今はとても大きく見えた。ありがとう、リアーナさん。君の勇気、無駄にはしない。
だが、その一件は私の心に重い鉛を沈めた。リアーナさんを危険な目に遭わせたのは、私のせいだ。周囲の悪意、潜む敵の影、そして、セラフィナの名を継ぐ者としての不吉な予感……。その夜、私は久しぶりに悪夢にうなされた。暗い水底に沈んでいくような、息苦しい夢。
「……ミラ? 大丈夫か?」
兄様の優しい声で目を覚ます。気づけば、私はびっしょりと汗をかいていた。
「兄さん……私、怖い……」
「大丈夫だ。僕が必ず君を守る。何度でも言おう。君は一人じゃない」
兄様の温かい腕の中で、私は子供のように泣いた。
でも、いつまでもこうしてはいられない。兄さんに頼ってばかりでは、何も変わらない。
私は、自分のこの厄介な「心読む魔法」を、もっと積極的に使ってみようと決意した。恐怖の対象ではなく、武器として。
翌日、学園内を歩きながら、意識して周囲の心の声に耳を澄ませる。ノイズは多い。けれど、その中に、時折妙に浮き足立った思考や、何かを隠そうとする不自然な心の壁を感じる者たちがいた。
(『……例のブツ、無事に運べただろうな』『あの場所、誰にも見られていないか……?』)
それは、ほんの小さな断片。でも、確実に何かが動いている証拠だった。
私が掴んだ微かな情報を元に、セリウス兄様は単独で調査を進めていた。彼が得意とする文献渉猟と、前世から受け継いだ知識(と、なぜか妙に鋭い勘)が、驚くべき事実を掘り起こしつつあった。
「ミラ……やはり、私たちのセラフィナ家は、過去にこの学園で行われていた『ある研究』に深く関わっていたようだ」
兄様の表情は硬い。
「その研究とは、『禁断』とされた魔法の再現と……才能ある魔法使いの能力を人工的に強化する、というものだったらしい」
なんという、おぞましい研究。そして、私たちの先祖が、それに関わっていた……?
全てのピースが、一つの方向を指し示し始めている。
私たちは、集めた情報――グレイ・アシュフォードの名が記された名簿の切れ端、セラフィナ家の過去の記録、そして学園で行われていた不審な研究の断片――を手に、再びグレイ教諭の研究室の扉を叩いた。今度は、リアーナさんも一緒だ。
「……そこまで調べ上げたか」
私たちの提示した証拠の数々に、グレイ教諭は静かに目を伏せた。そして、観念したように、重い口を開いた。
「アシュフォードとは……私の旧姓だ。そして、名簿にあった他の生徒たちは、かつての私の友人たち……皆、学園の闇に消えた」
彼の声は、抑えようのない悲しみに震えていた。
「学園の一部勢力は、長年にわたり、稀有な才能を持つ生徒を利用し、危険な魔術研究を続けてきた。今回の『禁断の魔法暴走事故』も、その延長線上で、何者かが意図的に引き起こした可能性が高い」
「では、犯人は……?」
「そこまでは……私にもまだ。だが、敵は巧妙だ。そして、セラフィナの血筋は、その研究において常に『特別』な意味を持っていた。君たちが狙われるのも、時間の問題かもしれん」
グレイ教諭の言葉は、私たちの覚悟を試すように重く響いた。
そして、運命の日はやってきた。
アルカディア魔法学園創立記念祝祭。
華やかな装飾、賑やかな音楽、生徒たちの楽しそうな笑顔。だが、その喧騒とは裏腹に、私たちの胸には鉛のような不安が渦巻いていた。
「祝祭は、古来より特別な魔力が満ちる時だ」
グレイ教諭は、私たちにそう警告した。
「何かが起こるとすれば……おそらく、今日だろう。気をつけなさい」
祝祭のメイン会場へと向かう人混みの中。私の「心読む魔法」が、かつてないほど強烈な反応を示した。
それは、一点に集中した、冷たく研ぎ澄まされた悪意。そして、その悪意を隠そうとする、幾重にも重ねられた巧妙な心の壁。これまでの雑多な悪意とは質が違う。
(……いる。間違いない。この人混みの中に、犯人が……!)
私の背筋を、氷のようなものが走り抜けた。
兄様とリアーナさんに目配せをする。二人の表情も、緊張に強張っている。
学園祭の華やかな喧騒の裏で、最後の戦いの幕が、静かに上がろうとしていた。
(第五話 了)