第四話 深夜の記録庫は危険な香り、時々、兄の珍妙なオペレーションと乙女の勇気
「いいかい、ミラ。今宵の作戦名は『オペレーション・サイレントプリンセス・ミラクル』! 僕の華麗なる解錠スキルと、君の神秘的な闇魔法が融合すれば、鉄壁と名高い学園の記録庫など、まるで無人の野を行くがごとし! ……のはずだ!」
「兄さん、その作戦名、前回よりはマシだけど、やっぱり微妙にダサいのはどうしてなの!? それと、『はずだ!』って最後につけるの、不安になるからやめてくれないかな!?」
潜入作戦決行前夜。私、ミラ・セラフィナは、兄セリウスの自信満々(しかしどこか信用しきれない)な説明を、半ば呆れ顔で聞いていた。手には、私が夜なべして(というほどでもないが)縫い上げた闇色のマントもどき。ただの黒い布を頭から被るだけだが、兄曰く「ミラの可憐さを最大限に引き立てつつ、闇に溶け込む究極のステルス装備」らしい。……兄さんの妹フィルター、性能良すぎじゃない?
そして運命の深夜。月も雲に隠れ、まさに「オペレーション・サイレントプリンセス・ミラクル」にはおあつらえ向きの闇夜だった。
「よし、ミラ、行くぞ!」
「う、うん……お手柔らかに頼むよ、古代遺跡荒らし(元)のお兄様……」
「人聞きの悪いことを言うな。僕はただ、歴史の真実を探求していただけだ(ついでにトラップも少々解除しただけさ)」
学園の廊下は、昼間の喧騒が嘘のように静まり返っている。時折響くのは、私たちの緊張した息遣いと、どこかの警備員さんの気の抜けた鼻歌(『恋の魔法とお兄様♪』……って、あの歌、学園で流行ってるの!?)。
記録庫へと続く、普段は鍵がかかっているはずの重厚な扉の前に到着。
「ふふん、この程度の錠前、僕にかかれば赤子の……いたっ!?」
得意げに解錠道具を取り出した兄様だったが、暗がりで足を滑らせ、派手ではないが確実に痛そうな音を立ててお尻を強打した。
「だ、大丈夫かい、ミラ!? 僕としたことが、君を驚かせてしまったようだね!」
「いや、驚いたのは兄さんのドジっぷりだよ! 私じゃなくて自分の心配して!」
幸い、周囲に人の気配はない。私が闇魔法で作り出した「見えにくい空間(当社比)」の中で、兄様は気を取り直して解錠作業を再開。カチャリ、と小さな音を立てて、意外とあっさり扉は開いた。……なんだ、やればできるんじゃない、兄さん。
しかし、記録庫へ向かう途中、最大のピンチが訪れた。
曲がり角を曲がろうとした瞬間、ミラの「心読む魔法」が警告を発したのだ。
(『今日の当直も暇だなー。なんか面白いことないかなー』……って、近い! 誰か来る!)
「兄さん、伏せて!」
間一髪、私たちは近くの物陰に飛び込む。コツ、コツ、と巡回する警備員の足音が近づいてきて……私たちのすぐ目の前を通り過ぎていく。心臓が口から飛び出そうだ。
ホッと息をついたのも束の間。
「ひゃっ!?」
物陰の反対側から、小さな悲鳴が聞こえた。まさか、もう一人警備員!?
恐る恐るそちらを見ると、そこにいたのは……。
「リ、リアーナさん!?」
「ミ、ミラさん!? セリウス先輩も……こ、こんな夜中に、何を……? ま、まさか、噂の夜這い……!?」
手には教科書とノート。どうやら忘れ物を取りに来たらしいリアーナさんが、目を白黒させて私たちを見ている。いや、夜這いって! 発想が斜め上すぎるわ!
「ち、違うんです、これはその……」
私がしどろもどろになっていると、セリウス兄様がすっくと立ち上がり、リアーナさんの前に進み出た。
「お嬢さん。我々は、学園の平和を脅かす邪悪な陰謀を阻止すべく、かくも危険な任務に身を投じているのだ。どうか、このことはご内密に……」
「ひぃぃ! い、陰謀ですって!?」
(兄さん、いきなり何を言い出すの!? しかもその芝居がかった口調!)
パニック状態のリアーナさんに、私は慌ててこれまでの経緯をかいつまんで説明した。盗まれた文献のこと、私たちにかけられた疑惑のこと、そして記録庫に手がかりがあるかもしれないこと。
すると、リアーナさんは青い顔でブルブル震えながらも、やがて意を決したように顔を上げた。
「わ、私……何か、お手伝いできること、ありますか……? も、もちろん、足手まといになるのはわかってますけど……でも、ミラさんが困っているの、見て見ぬふりなんて……!」
その言葉は、意外なほど力強かった。
セリウス兄様は最初、「一般生徒を巻き込むわけにはいかない」と反対したが、リアーナさんの必死の眼差しと、私の「大丈夫だよ、兄さん。リアーナさんは信用できる」という言葉に、最終的には渋々頷いた。
「……わかった。だが、絶対に無理はしないこと。危険を感じたらすぐに逃げるんだ」
「は、はいっ!」
こうして、私たちの潜入作戦に、予想外の協力者が加わることになったのだった。
リアーナさんの見張り(本人は小動物のように周囲をキョロキョロするばかりだったが、意外と役に立った)のおかげで、私たちは無事に記録庫の前にたどり着いた。
再びセリウス兄様の出番だ。記録庫の扉は、先ほどよりも複雑な鍵がかかっている。
「ふむ……これは、古代ルーン文字を使った封印錠か。面白い……」
ブツブツと呟きながら、兄様は見たこともないような道具で鍵穴と格闘し始める。その姿は、まるで古代遺跡の秘宝を狙うトレジャーハンター(やっぱり遺跡荒らしなのでは……?)。
ようやく重い扉が開くと、そこはカビと古紙の匂いが充満する、広大な空間だった。天井まで届きそうな書架には、膨大な量の古文書がぎっしりと並んでいる。
「うわぁ……これを全部調べるの……?」
気が遠くなりそうだ。しかし、時間は限られている。私たちは手分けして、例の「魔法暴走事故」に関する記録を探し始めた。
しばらくして、私の「心読む魔法」が、ある一角から微かな残留思念を捉えた。恐怖、悲しみ、そして諦め……。
「兄さん、こっちかもしれない!」
導かれるように向かった書棚の一番奥。そこには、ひっそりと「アルカディア魔法学園 特殊事案報告書」と記された、分厚いファイルが何冊も眠っていた。
ファイルを開くと、そこにはおぞましい記録が綴られていた。過去に起きた数々の「魔法暴走事故」の詳細。被害者、そして「加害者」とされた生徒たちの名前。彼らのその後の処遇は、「退学」「魔力封印」、そして最悪の場合「行方不明」……。
そして、私たちは見つけてしまった。
数十年前の事故報告書の中に、「セラフィナ」という姓を持つ生徒の名前を。その生徒もまた、稀な魔法の適性を持っていたが、不可解な状況で能力を暴走させられ、学園から姿を消したと記録されていた。
「そんな……私たちの家系が……?」
兄様の顔から血の気が引いていく。
その時だった。
『――こんな時間に、誰か記録庫に侵入した形跡があるぞ! 急いで確認しろ!』
リアーナさんの緊迫した心の声が、私の頭に直接響いた!
「兄さん、まずい! 誰か来た!」
私たちは慌てて資料を元に戻そうとしたが、焦りから数枚の書類を床に散らばらせてしまった!
記録庫の扉が、外からガチャリと開けられようとしている!
「ミラ、こっちだ!」
セリウス兄様が、部屋の隅にあった小さな窓を指さす。ここからなら、外に脱出できるかもしれない!
私たちは窓に駆け寄り、兄様が強引に窓枠をこじ開ける。私が先に窓から飛び降り、続いて兄様も。
着地の衝撃で数回転がり、何とか体勢を立て直した瞬間――私は自分の右手に、一枚の羊皮紙を握りしめていることに気づいた。……いつの間に? 混乱の中で、無意識に掴んでしまったらしい。
背後では、記録庫から複数の人間の声が聞こえてくる。
「とにかく、ここから離れるぞ!」
兄様に手を引かれ、私たちは闇に紛れて全力でその場を走り去った。
安全な場所(結局はいつもの図書館の隅っこ)に戻り、息を整える。
リアーナさんも、少し遅れて合流してくれた。彼女の顔は蒼白だったが、それでも私たちの無事を心から喜んでくれているのが伝わってきた。
「……これが、私が拾った羊皮紙」
広げてみると、それは古い生徒名簿の一部だった。そこには、過去の事故で「行方不明」とされた、数名の生徒の名前と、彼らの持つ「特殊な魔法の才能」について記されていた。そして、そのリストの最後に、鉛筆で小さく書き加えられたような名前があった。
『――グレイ・アシュフォード』
「グレイ……?」
グレイ教諭の、若き日の名前だろうか?
「この学園……一体、何を隠してるの?」
私の呟きは、シンと静まり返った図書館に重く響いた。
学園祭まで、あと数日。私たちの知らないところで、巨大な何かが蠢いている。そしてそれは、どうやら私たち「セラフィナ」の人間にも深く関わっているらしい。
オペレーション・サイレントプリンセス・ミラクルは、新たな謎と、とんでもない手がかり(かもしれないもの)を残して、辛くも幕を閉じた。
……まあ、兄さんのドジが少なかっただけ、今回はマシだったと言えるのかもしれない。たぶん。
(第四話 了)