消えるつもりで家を出ましたが、辺境で幸せを見つけました
「お前は周りの人間を不幸にする星の元に生まれてきた忌み子だ。お前のせいで両親は死んだのだ。本当ならお前が死ぬべき運命だったのを、代わりに両親が受けたのだ。この先、生きていたければ、人に関わらず、人の役に立ちなさい。」
両親を失ってすぐに、会ったこともなかった伯父が屋敷に来て私にそう告げた。
子爵令嬢として生まれた私は、優しい両親に愛されて幸せな幼少期を過ごしていた。でも7歳の誕生日目前のある日、不幸な事故で両親はこの世を去った。
その後、後見人として、父方の伯父家族が私の屋敷に越して来た。
伯父には私より1歳年下の娘がいて、当たり前のように両親の部屋は伯父夫婦の部屋になり、私の部屋は伯父の娘、ドルシアの部屋になった。私は使用人部屋の1番奥の狭い部屋に移動され、両親から貰ったたくさんの大事なものは全て奪われた。
家族としてではなく、使用人として扱われ、両親がいる時から仕えてくれていた使用人達はみんな解雇された。伯父たちは私のせいだと言った。お前が子爵家の当主になるには相応しくないから、教育を怠った彼らはその責任をとらされたのだと。
まだ子供が生まれたばかりの庭師や、母親の薬代を稼ぐためにメイドとして働いてくれた少女もいたのに、みんな解雇されてしまった。
私には呪われた血が流れているらしい。
毎年私の誕生日には、伯父は私の血を採り、教会へ呪いを抑えるために祈りを捧げているという。
確かに私には特別な痣があった…。
生前、母には決して誰にも見せてはいけないと何度も言い聞かされた痣だ。
母はそれを祝福の印だと言ってくれた。
それはきっと母の私への愛ゆえの言葉だったのだろう…。
実際は忌み子の証だったのだから…。
「あーら、呪われた子がどうして私の部屋にいるの?汚れるから触らないでくれる?」
伯母に命令されてドルシアの部屋を掃除していると、彼女が汚らわしいモノを見たかのように嫌悪を露わにした表情で睨みつけてくる。
「申し訳ございません…。伯母様からこの部屋を掃除するようにと…。」
「はぁ?!伯母様だなんて呼ばないで!奥様でしょう!?お前は使用人。立場を弁えなさいよ!!」
怒鳴り声と共に近くにあった花瓶が投げつけられる。
当たる…っ!
目をつぶり、衝撃に備えた時、花瓶の中の水がバシャリとかかったが、なぜか花瓶はオリビアに当たることなく床に転がった。
チッ…と舌打ちの様な音が聞こえ、目を開けると、ドルシアの顔が苛立たし気に真っ赤に染まっている。
当てるつもりだったのに当たらなかったのが悔しいのだろう。
「さっさと片付けて出て行って!」
怒鳴ってから、ドルシアは部屋を出て行く。
この部屋は私の部屋だった。
両親と共に選んだ落ち着いたイエローベージュの壁紙は花柄のピンクの壁紙に変わっている。
毎年一つづつ、誕生日に宝石を贈るねと父が買ってくれた美しい宝石箱には、溢れんばかりの見た事のないアクセサリーが詰め込まれ、クローゼットにはドレスが溢れかえっている。
私の物だったものは、全てドルシアの物になった…。
それは人も同じ。
5歳の時に、王家から縁談の話を頂き、結ばれた婚約者である、デルストイ伯爵家の次男、スペンサー様は幼い時はとても仲が良かった。
将来はスペンサー様と共にこの子爵家を継ぐのだと両親に言われた時は嬉しかった。優しくて綺麗な顔をしたスペンサー様は王子様みたいだったし、2才年上の彼は私とよく遊んでくれたから。
母は子爵令嬢として生まれ、男爵家の三男であった父と恋に落ちて結婚した。
両親はとても仲が良く、いつもお互いを愛おしそうに見つめていた。
いつかこんな風に愛情深い目で私を見つめてくれる方と結婚したいと、それはスペンサー様なのだと信じていた。
「すまないが、私はドルシアを愛してしまった。君はずっと引きこもりで、令嬢として必要な知識も学ばず、自らを美しく装う事もしない。
私は伯爵家の人間だ。社交も出来ない者を妻には出来ない。ドルシアは、淑女として申し分のない知識も美しさもある。私がドルシアに惹かれるのは仕方のない事だろう。この家はドルシアと私が立派に継いで行くよ。」
スペンサー様が責めるような瞳で私に告げる横で、ドルシアは勝ち誇ったように微笑みながら彼の腕に手を回した。
婚約解消は悲しいけれど、かつて優しくしてくれた彼が幸せになるなら良かった。
もうこれで、私がいなくなっても、悲しむ人も迷惑をかける人もいない。
いつだってここから消えていいのだ。
私は周りの人間を不幸にする忌み子なのだから…。
ドルシアとスペンサー様の寄り添う後姿を見つめながら、オリビアはホッとしたように息を吐いた。
ずっと人に迷惑をかけないよう、屋敷から出るなと言われていたけれど、もう、私に関わる人はいないのだから、教会で伯父様が代りに私の血を捧げて祈るくらいなら、私自身が教会へ身を寄せて生涯を祈りに捧げた方がいい。
ずっとそうしたいと思っていた。
「お前が笑ってるだけで、父さんは幸せだよ。」
父の口癖。
「可愛いオリビア。この世界の何よりも大切な私の娘。生まれて来てくれてありがとう。」
母が眠る前に毎晩抱きしめて言ってくれた言葉。
私の幸せを願ってくれた2人はもういない。だったらもういいでしょう?きっとこのままここで息をひそめるように生きていても仕方がないわ。
忌み子である私が、周りにこれ以上迷惑をかける前に、ここからいなくなった方がいい。
ドルシアにも何度も何度もお前なんかいなくなれと言われてきた。
そのたびに傷つき、何度も涙を流し、お母様やお父様の元に行きたいと願った。
私の両親も、1週間後にあった私の誕生日のお祝いを買いに行った帰り道に事故に巻き込まれたそうだ。
私がみんなを不幸にしたのだと、毎日毎日、言われ続けた。
婚約破棄を受け入れたその日の夕方、私はそっと屋敷を出た。楽しそうな叔父家族とスペンサー様の晩餐の声が聞こえる中、私はそっと屋敷を出ると、川を下った。
外に出たのは両親が亡くなってから初めてだ。
子爵領は領内の自然豊かな山からの、清流と呼ばれる澄んだ湧き水が流れる川が真横に通っている。その川の恩恵で、作物も育ち、物流が盛んで領土も豊かだ。
屋敷にほど近い場所にある子爵家専用の人のいなくなった舟着場から、一人で舟に乗る。そのままいくつかの領土を越えて、辺境に到着したのは真夜中だった。
この辺境には、とても広大で美しい湖があり、幼い時は毎年両親と共に旅行で遊びに来たものだ。
真っ暗な湖の前に立つ。
「お父様、お母様…。ごめんなさい…私のせいで死なせてしまった…。これ以上誰かに迷惑をかけたくない…。今から教会へ向かうわ。でも私ね…二人に会いたいわ…。」
そう言って、ゆっくり透明な湖に手を浸す。
キラキラと輝く水は冷たく、どこか触れたところが光っているように見える。
「綺麗…。」
あぁ…そういえば子供のころ、湖の中ほどに咲く花が見たいと我儘を言った私を、お兄様が小さな舟に乗せて連れて行ってくれたわ…。
お兄様…、元気かしら…。
その時、湖の水面を覗いていた私の首元から紐で繋いでいた石が水の中に落ちた。
「あ…嘘…。」
それは両親からの最後の誕生日プレゼント…。
私の瞳と同じ色の、お花の形に配置されたアクアマリンの宝石がついたペンダントトップで、伯父からそれだけは見つからず奪われなかったもの。
慌てて水面に飛び込んだものの、深く沈んでいく石を追いかけることが出来ない。
みすぼらしい使用人服の裾が足に絡みついてまともに泳ぐこともできない。
息が苦しい…。
必死で顔を上げると、湖の中ほどに光が見えた。
あぁ…あれは…お兄様に近くで見たいと我儘をいった花…。
もう一度あの花を近くで見たいわ…。
もう少し…
もう少し…
あれは夜になると金色に輝く湖食花。
あの花は美しさと甘い香りで動物や虫を呼び、近づいた獲物を水面下に張り巡らせたツタで絡みとりゆっくりと養分を吸い取るのだ。
せめて私の命が美しい花の役に立つなら…。
オリビアの口元まで迫る水面は前に進むのが大変だ。
あと少し…そう思った時にグイッと後ろに引かれた。
「死ぬ気か?」
びっくりして見上げると、湖食花と同じ美しい金色の瞳が強い光を宿して睨むように私を見つめていた。
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あれから私は、あの冷たい湖に入ってまで、助けてくれた騎士様の屋敷で、働かせて貰っている。
彼は国境に位置する湖のある辺境の領主である、ヤヌーク辺境伯子息のライデン様で、国内最強と謳われる辺境騎士団の司令官を務める方だった。
燃えるような赤い髪を一つに結び、首元から右頬にかけて大きな傷を残しているものの、とても精悍で整った美丈夫で、強く輝く金色の瞳に目を奪われた。
水の中だというのに、私の首元に手を回すと、ものすごい速さで岸まで泳ぎ、そのままこの屋敷に私を担いで連れ帰った。
質問に一向に答えない私に、それ以上は何も聞かず、父君であるヤヌーク辺境伯が先の隣国との戦いで怪我をして療養中だから、その世話をしてくれないかと頭を下げた。
私は使用人にしては豪華で広い部屋の一つを与えられ、その時からライデン様の父君である辺境伯のジョゼット様のお世話をする事になった。
「シルヴィ、今日は天気が良いから外へ連れて行ってくれるか?」
「畏まりました。体調も宜しいですし、今日は風もないのでお散歩にちょうど良いですね。」
小さく笑い返すと嬉しそうにジョゼット様が頷いた。
シルヴィというのは仮の名前だ。
名前を聞かれた時に、たまたまその部屋の本棚にあった本の作者の名前を取った。
元王国騎士団長を務めあげたジョゼット様は世間ではとても怖い方だと言われているが、私をとても可愛がってくれている。
「いきなり娘が出来たようだ。」と、傷だらけの顔をクシャクシャにして笑うので、私も少しずつ、共に笑えるようになっていった。
朝起きて、身支度を整えると、すぐにジョゼット様の部屋へ行く。
朝早くから目が覚めると言うジョゼット様の顔を拭き、お茶を入れ、怪我の消毒をし、包帯を変える。
私がお世話をするようになって一月もすると杖を使えば歩けるようになった。
車椅子を押してゆっくり庭に出ると、手を支えながらジョゼット様と共に散歩をする。
常に戦いの場に身を置いてきたと言う、ジョゼット様とライデン様は、口数は多くはないがとても穏やかで優しく、時々三人で一緒に庭でお昼をとったりした。
「シルヴィ、父が元気になったのは君のおかげだ、これは土産だ。今、王都で若い女性に人気だそうだ。」
そういって、銀糸で編んだような意匠の凝らした髪飾りをプレゼントされた。
「このような素敵なもの…いただけません…。お世話になっているのは私の方ですのに…。」
恐縮するオリビアに、優しい眼差しを向ける。
「不要なら処分してくれ。君に贈りたかっただけだから。」
そう言ってそっと髪に飾ってくれた。
「ほら、君の美しい青みがかった銀色の髪に良く似合う。」
「…ありがとうございます…。一生の宝物にします…。」
両親が亡くなってから誰かに何かを贈られるのは初めてで、嬉しくて泣いてしまった。
辺境伯家の使用人の方々も皆、とても優しく親切で、同じ使用人の立場であるはずのオリビアを、ライデン様が客人と伝えたため、世話を焼いてくれようとする。この屋敷に来てから、オリビアの艶のない灰色の様なボサボサの長い髪は目が見えるようにすっきりと整えられ、ずっと女主人の手入れをするのが夢だったという侍女長が、楽しそうに手入れをしてくれたおかげで本来の美しい青銀色の真っ直ぐな艶のある髪に戻った。そして伸びた前髪を切られたことにより愛らしい大きなアクアマリンの瞳が良く見えるようになった。
まるで家族のように優しく寄り添ってくれる二人や、この屋敷の人たちが、オリビアはどうしようもなく大切になってゆく。
彼らを不幸にしたくないのに…離れたくないだなんて…。
どうしたらいいの…。
オリビアがこの屋敷に来て既に3か月たっていた。
もうすぐ、私の誕生日だわ…。
教会へ呪われた血を浄化してもらいに行く必要がある…。
この辺境には大きな教会があるはずだ。もともとはそこへ身を寄せるつもりで家を出たのだ。
「シルヴィ、これ。」
え?
ライデン様が仕事で王都へ向かう日の朝、ジョゼット様の部屋を訪れた彼は、側に控える私の手に何かを握らせた。
不思議に思い、ゆっくり手を広げると、そこには湖で無くした、両親から私への最後のプレゼントであるペンダントトップがあった。切れた紐の代わりに、美しい銀色の鎖が付いている。
「これ…!」
「君のだろう?花に絡みついていたのを見つけた。」
「はい…!ありがとうございます…。私が7才の誕生日に両親から贈られるはずだった…形見です…。もう二度と戻ってこないのだろうと……良かった…。」
子爵家の紋章が裏に彫られた先端には母やオリビアの瞳と同じ色の宝石、アクアマリンが花の模様を象っている。
抱きしめるように握りしめると優しかった母の笑顔を思い出して涙が滲む。
「君はあの小さな少女だったオリビアだね…。」
ライデン様が真っすぐに見つめるので、オリビアは小さく頷いた。
「…黙っていて申し訳ありません…。子供の頃何度もこのヤヌーク辺境領へ両親と共に遊びに来ました。とても幸せな思い出のあるこの場所で最後の時を過ごしたかったのです…。」
子供の頃、オリビアは何度もライデン様に会っていた。
今年17才になるオリビアよりも6歳ほど年上のライデン様は、小さかったオリビアを見つけると、「ヴィ。」と愛称で呼んでとても可愛がってくれた。馬に乗せてくれたり、一緒に釣りをしてくれたり、面倒を見てくれる優しくてかっこいい理想のお兄様だった。
「君の両親が事故で亡くなったと聞いた時、君が心配ですぐに会いに行ったんだ。でも、後見人の男に、君は心を病んで療養しているからしばらく会えないと言われた。それから何度か手紙を送ったが、返事もなくてずっと心配していた…。あの時、何かに急き立てられるように湖に行って…君を見つけられてよかった…。」
金色の瞳を優しく細めてオリビアを見つめるライデン様に涙が溢れる。
「…手紙を送って下さっていたのですか…?私の元へはなぜか届かなかったようです。私はずっと…ライ兄さまに会いたかった…。手紙を送ったこともあります…。なぜ、届かなかったのでしょう…?」
ポロポロと涙を零すオリビアをギュッと抱きしめるとライデン様は優しく頭を撫でてくれた。
「それはこちらで調べるよ。これからは君の事、オリビアと呼んでいいね?」
「はい…。ライデン様。」
「昔みたいにライ兄さまと呼んでくれないのか?」
「…良いのですか…?」
「もちろんだ。オリビア…ヴィ。」
顔を上げるとオリビアに優しく微笑む金色の優しい瞳がある。
この目を知ってる。
父が母を見つめる時、母が父を見つめる時に、よく似た愛情のこもった目をしていたわ。
私をそんな温かい目で見つめてくれる人にいつか出会えたらいいと願っていた。
「ライ兄さま…。私…ずっとここに居たい…。でも私は呪われていて…人を不幸にする忌み子だって…。大切なライ兄さまやジョゼット様を不幸にしたくない…。ずっとここで役に立てるよう頑張ります。ちゃんと教会へ血を捧げます。だからずっと…ここに置いて頂けないでしょうか…?」
「…待て、血を捧げるとはどういうことだ?いや、もちろんずっとヴィはここにいていいんだ。むしろずっと俺のそばにいて欲しいと思っている。忌み子だなんてあるわけないだろう!」
両肩を優しく包み込むように手を乗せて、ライデン様がオリビアの顔を覗き込む。
「でも、私の呪いのせいで…私の両親は代わりに死んだと…。屋敷の使用人もみんな、私のせいで解雇されて…。毎年誕生日に呪われた血を教会へ捧げて祈りを…。」
「待て待て、オリビア。一つずつ、順を追って聞かせてくれ。」
「…そうだな…。私も聞きたい。一体誰が、私の可愛いオリビアにそのような戯言を吹き込んだのか。ゆっくり聞かせてくれ。」
ベッドにいたはずのジョゼット様も乗り出すように起き上がり、オリビアを見つめている。
オリビアは二人に涙を流しながら、少しづつ、これまでの事を話した。
「ほぅ…。これはのんびり寝ている場合ではないな。陛下へ手紙を書く。ライデン、至急、事実関係を調べろ。」
「当たり前だ!あの後見人という男か…。この手で死よりも恐ろしい目に遭わせてやる…!!」
怒りのオーラが漂う二人に不安そうにオリビアがライデン様の服を掴んだ。
「あの…ライ兄さま…何か私…。」
潤んだ目を向けたオリビアにハッとしたようにライデン様が困ったように笑う。
「すまない、ヴィを怖がらせるつもりはなかったんだ…。大丈夫。ヴィは呪われていないし、ましてや忌み子だなんてありえない。むしろ、君は誰よりも大切にされるべきお姫様なんだよ。君に嘘を吹き込んだ奴らには相応の罰を与えるから安心してくれ。」
「…うそ…?」
「ああ。普通、子爵家の令嬢に、王家が縁談にまで介入するわけがないだろう?それだけ、ヴィという存在はこの国にとって大切な存在だからだ。もちろん、本来ならヴィを守るべき存在にならねばいけなかった元、婚約者のろくでなしにも相応の報いを受けてもらう。」
普段は優しいライデン様の金色の瞳が細められてキラリと光った。
その後、ライデン様はジョゼット様の手紙を持って王都へ向かった。
「しばらく戻れないが、絶対に父から離れるな。ケガをしていようが、父はそこらの騎士よりずっと強いから。」
私を心配するように、頬に指を滑らせて、見つめるライデン様に、コクリと頷く。
「はい。お待ちしております。どうか、ご無事で。」
「もちろんだ。ちゃんと帰ってくるから、一番におかえりと言ってくれ。約束だ。」
「はい。」
心配そうに何度も振り向くライデン様にジョゼット様が呆れたように手をシッシッと振る。
「早く向かえ。任せたぞ。」
小さく頷くと、ライデン様は馬に乗り、数人の側近と共に出発した。
「オリビア。ワシは最初からわかっておったぞ。君はお母さんにそっくりだからな。亡くなったエリーナ嬢は若い時から妖精令嬢と呼ばれてとても人気のある方だった。父君のアウロー殿も何度か話した事があるが、気持ちの良い好青年で、ワシは2人がとても好きだったよ。」
優しい目を向けて、オリビアを見つめるジョゼット様に、オリビアは再び涙が流れる。
「両親の話を聞けるなんて、とても嬉しいです…。子爵家の使用人達はみんな解雇されて、両親を知る人はいなくなりました。唯一両親を知る婚約者だったスペンサー様は私に会いに来なくなりましたし…。」
ジョゼットはしばらく考えて、オリビアが入れたお茶をゆっくり飲むと執事を呼ぶ。
「バーナード、最近の川の様子はどうなっている?」
「はい。ライデン様より変化があれば逐一報告するようにと命を受けておりましたが、オリビア様がこの辺境に来られた頃から水質が落ち、水流も減ったとの報告が上がっております。」
「だが、この辺境には影響は出ておらん…。」
「はい。その通りでございます。」
バーナードさんの言葉を聞いて、ジョゼット様は楽しそうに笑う。
「今頃、血眼でオリビアを探していることだろうな…。」
まぁ、この先にあるのは地獄のみ…。
ボソリと呟いた声はオリビアには届かなかったが、いつもは優しいジョゼット様の騎士の顔を見た気がした。
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「クソ、まだ見つからないのか!!」
セレンフィール子爵家の屋敷。オリビアの伯父である、ジュラールは焦っていた。
机を叩き、使用人達の無能を罵倒しながら、この先の事を考え、何とかしなければ…と必死で考える。
まもなくオリビアの17歳の誕生日だというのに、当の本人は娘たちの不要な発言のせいでいつの間にやらこの屋敷から抜け出して出て行ったようだ。
本当の計画を口の軽いドルシアには話していなかったから仕方がないのだが、そのせいでここにきて計画が狂うとは予想していなかった。
子供のころから繰り返し洗脳のようにオリビアに呪いの言葉を吐き続けたおかげで、屋敷から出ることもなく、言うことを聞くだけの人形のような少女となったこの子爵家の娘。
ドルシアが娘ではなく息子なら問題なかったのだ。
娘であったせいで、オリビアの婚約者のスペンサー殿に懸想し、オリビアを排除したかったのだろう。
本来なら、スペンサー様とオリビアとの間に子供を産ませた後、オリビアを始末し、ドルシアを後妻に据え置く予定だったのだ。それを…!!
正直、ジュラールはセレンフィール子爵家の話は、ただの神話の様に考えていた。
オリビアの誕生日に行われる契約も、ただの形骸化したものだと思っていたのだ。
だが、オリビアがこの地を去って、明らかに山からの水が濁り、水量が減った。
子爵家の舟は未だ見つからず、使用人たちは沈んだのではないかと言う。
もし、すでにオリビアが死んでいるのなら、水が濁る程度で済んでいるのはおかしい…。
いや、それで済む程度の話なのか…?
しかし、このままオリビアが見つからなければ…。
ジュラールはこの先の最悪の未来を想像し、恐ろしさに震える。
いや…まだ、だ。
最悪、見つからなければスペンサー殿に責任を負わせて我が家は難を逃れることが出来るはずだ。
とにかく、ご立派な言い訳を考え、この局面を逃れる方法を見つけなければ…!!
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「旦那様、オリビア様、ライデン様が戻られました。」
執事のバーナードの言葉に、オリビアは顔を上げた。
一番に「おかえり」と言って欲しいと言われたわ。
ジョゼット様に声をかけてから、急いで玄関へ向かう。
扉の向こうで、馬を馬丁に預けるライデン様が見えた。
「ライ兄様!」
オリビアが思わず声をかけると、すぐにライデン様はこちらを振り返り、パッと笑顔を見せた。
「ヴィ!ただいま。無事でよかった。」
すぐに駆け寄るライデン様に胸がキュッとなり、思わず泣きそうな顔になる。
「おかえりなさいませ。ライ兄様。ご無事のお戻り、とても嬉しく思います…。」
「ああ。…ハハ、ヴィの顔を見たらようやくホッとできた。」
嬉しそうに笑うライデン様に、気持ちが溢れる。
胸が温かく、でもどこか苦しくて…なのに辛いわけではない…。
私はこの気持ちの名前を知っている…。
昔、私に花を見せてくれた時に感じた憧れの気持ちに似ているが、それよりもずっと大きな気持ち。
スペンサー様には感じることのなかった、もっと強い気持ち。
「ヴィ?どうした…、何かあったのか?」
ぼんやりライ兄様を見つめていたせいで、心配そうに金色の瞳が細められた。
その手がオリビアの頬に触れそうになった時、執事のバーナードの「旦那様がお呼びです」との静かな声が聞こえた。
「…わかった。俺も報告があるし、実はもう一度王都へすぐに戻らないといけないんだ。ヴィも一緒にね。」
「え?」
驚いて顔を上げると、大丈夫、というように優しい目を向けて小さく頷いた。
「ヴィ、先に父上の部屋で待ってて。俺も着替えたらすぐにいく。アロイス、悪いがお前は直ぐに皆に伝達をしてくれ。」
共に戻ってきた辺境騎士団の部下であり、ライデン様の信頼する友人でもあるアロイス様はニヤリと笑って頷くとすぐに馬で騎士団本部へ向かった。
しばらくして、ライデン様の準備が整い、ジョゼット様と共に席に着く。
侍女の入れたお茶を一口飲んだ後、ライデン様はジョゼット様に封筒を渡した。
すぐに中を確認し、手紙を読んだ後、ジョゼット様は真顔になる。
「オリビアも一緒に行くなら、私も共についていく。」
「は?ダメです、父上はまだ足が治りきっていないのですから今回は留守番です。」
「ダメだ。私も一緒だ。可愛いオリビアがこれ以上傷つくなどあってはならん。」
「俺が守ります。」
「お前だけじゃ不安だ。そもそもお前はすぐに手が出るだろう。」
「それは父上も同じです。」
「あの!!!」
急に親子の言い合いが始まり、慌ててオリビアは声を上げる。
ハッとしたように二人はオリビアを振り返ると気まずそうに頭を下げた。
「すまない、ヴィ。」
「オリビア、すまんの。…まずは調査結果から聞こうか。」
二人の雰囲気がとてもよく似ていて、思わずオリビアはフフッと笑う。
オリビアの笑顔を見て、ライデン様は困ったように小さく息を吐く。
「…多分、父上は冷静に聞けるかわかりませんけど…。俺でも頭の中で何度も殺してますから…。」
「…いい、聞かせろ。」
不穏な言葉が聞こえた気がするが、ライデン様は報告書をジョゼット様に手渡した。
「ここに詳しい内容が記載されておりますが…ヴィ、驚く話になるが聞いてくれるか。」
「はい…もちろんです。」
強く頷くとオリビアはライデン様を見つめた。
「…ほう…。後見人の男が…。」
血が出そうなほど強く握りしめた拳を震わせて、ジョゼット様の額に血管が浮く。
「ええ…。あの時、無理にでも顔を見に行けばよかった…。もっと早く助けられたのに…。すまない、ヴィ。」
「…いえ…。でも…私は本当に無知だったのですね…。情けないです…。」
「いや、そもそも外界との情報を遮断され、気心の知れた使用人を遠ざけられ、屋敷に閉じ込められ満足に教育を与えられなければそれを知りえるのは奇跡に近い。」
「王命で婚約者となったデルストイ伯爵家のバカ息子は何をしておったのだ!本来、こんな時にオリビアを守るための王命だろう!!」
怒りに震える様子で声を上げたジョゼット様に、静かな怒りを見せるライデン様が歪んだ笑顔を見せた。
「あの男はあろうことか、後見人の娘の色仕掛けにまんまと嵌ったようだ。あの男の親も降ってわいた王命に浮かれてその役割をキチンと教えなかったのだろう。デルストイ伯爵家は終わりだな。」
ライデン様の話で、オリビアは自分と言う存在がこの国でどういった意味合いをもつのか初めて知った。
ずっと違和感はあったのだ。
両親が亡くなってすぐ、王都よりすぐに後見人を手配する旨を伝えられた。
子供心にその話を伝えに来た人が高貴な立場の人間だと理解できた。
その方は、その時、こう言ったのだ。
「これからはオリビア様が大人になるまで、後見人が貴方を守りますのでご安心を。」
と。
その方が王都へ帰還すると入れ替えに屋敷に来たジュラール・マルコットは、父の生家であるマルコット男爵家の次男で、商家の娘と結婚していた。
二人にはドルシアと言う娘が一人。
家族を連れて屋敷に移り住んだ伯父は、後見人のはずなのに、まるで自分が子爵になったかように屋敷の中を好き放題し始めた。
後見人の意味を正しく理解していなかったオリビアは彼の話を鵜呑みにし、いつの間にか洗脳されていたようだ。
「体に痣があるだろう。忌み子の証が。」
家族以外知らないはずの痣の存在を指摘され、ますます私は伯父の言葉を信じてしまった。
「オリビア…、君の体にある痣は、もともとは君の母上にあったものだ。」
ジョゼットの言葉に驚きで目を見開く。
「伯父には忌み子の証の痣と言われていました…。母からも信頼出来る者以外にその存在を隠すように言われておりましたし…そうなのだと信じてしまって…。でも、母はその痣を祝福だと…言っておりました。」
「ああ、そうだ。真実、祝福なんだ。セレンフィール子爵家は何百年か前に水の精霊の加護を与えられた一族だと言われている。およそ神話の様な話だが、それは本当なんだ。なぜ俺たちが知っているかというのは、その精霊の加護を代々受け継ぐ者たちを守るよう、王命を受けた一族だからだ。俺たち以外にもその王命を受けた一族はいる。君の祖先の婚姻先である貴族家だ。だが、長い年月でその話をしっかりと子孫へ伝えられなかったのだろう…。それがデルストイ伯爵家だな…。加護を持つ者にはその痣が浮き出て、将来のセレンフィール子爵家の後継者が決まる。水の精霊の加護をこの国はとても大切にしている…。だから、加護を受けた者の生誕の日に、無事を確認する意味でも王都の教会で契約書を交わして、間違いなくセレンフィール子爵家の血が流れていること、加護を受けた者が子爵家を継いでいるかを確認する。君は毎年血を採られ、教会へ祈りを捧げると言っていたが、きっとその男はヴィの血、つまり”正統なる子爵家の後継者の証”を使ってその契約書を記載して偽装していたのだろう。君の誕生日は8日後だ。今、奴らは血眼で君を探している。まもなく契約書を交わす時期だからな…。陛下は彼らを王都へ徴収するはずだ。だから俺たちも共にその場へ行き、君の居場所を取り戻す。もちろん、大切な愛し子を虐待し、子爵家の乗っ取りを計画した奴らは終わりだな。」
それから、散々話し合いの末、ジョゼット様は渋々ライデン様に任せることにしてオリビア達を送り出した。
はじめてのライデン様との王都への旅路は思いのほか楽しく、行く先々でライデン様が色々な景色を見せてくれた。
「今度、これが解決したら、ゆっくり時間をかけて旅行をしよう。ヴィに見せたい景色が沢山ある。」
「はい。ライ兄様。」
はじめての王都は緊張しているというのに、ライデン様が傍にいてくれるというだけでどれほど安心感があるか…。オリビアは窓の外を見つめる精悍な横顔を見つめた。
「まもなく着きます。」
馬車を警護するように共に来てくれた辺境騎士団の方達の声がかかった。
出発してから5日め。
とうとう王都の城に到着した。
急に不安になるオリビアの手を取り、ライデン様が笑顔で頷く。
「大丈夫だ、俺が傍にいる。行こう。」
「…はい…!」
決意を込めて返事をするとオリビアは立ち上がった。
いつの間に用意をしてくれていたのか、オリビアにピッタリのドレスが準備されていて、城の控室に案内されるとライ兄様の指示で侍女の方が数人入室するとあれよとあれよという間に着替えさせられ、瞬く間に鏡には母によく似た美しい令嬢が鏡に映っていた。
ノックがして、ライデン様が入室する。
「ヴィ、準備が出来たと聞いた……。」
「ライ兄様…!」
母に似た自分の姿が嬉しくて思わず駆け寄ったが、ライデン様はぼんやりとオリビアを見つめている。
「ライ兄様…?」
「綺麗だ…。」
思わずと言った風にこぼれ出た誉め言葉に、オリビアの心臓が大きく鳴る。
カァッと赤くなるオリビアの顔と同じようにライデン様の耳が真っ赤に染まる。
「い、いや…。思わず見とれてしまった…。とてもよく似合っている。ヴィ。とても綺麗だ。」
照れくさそうに、でも優しく見つめられ、オリビアは嬉しくて花が咲くように微笑んだ。
「ありがとうございます、ライ兄様。鏡に映った自分がお母様に似ていて嬉しくて…。」
「ヴィの母君も美しい方だったな。でも俺は君が誰よりも美しいと思うよ。」
どこか熱のこもった金色の瞳がまっすぐオリビアを見つめている。
全身が心臓になったみたいにうるさく鼓動が響く。
「ライ兄様も…とても素敵です…。」
ライデン様も着替えたようで、いつもの騎士服ではなく、王に謁見するための正装をしていて、上下黒に金色の繊細な刺繍が施された襟元には、オリビアの瞳と同じ色のアクアマリンの宝石が縫い付けられている。
オリビアのドレスはクリーム色の生地に金色の刺繍、耳にはライデン様の瞳と同じ金色に輝くトパーズのイヤリングで、お互いの色を纏った二人が並ぶとまるで対の様で、気恥ずかしくも嬉しくなる。
「ありがとう。行こうか。奴らも来ているようだ。俺たちがここにいることも知らずにな…。」
ニヤリと笑うライデン様の目は笑っていなかった。
オリビアはエスコートするように腕を出してくれたライデン様にそっと手を添えると、気合を入れるように頷く。
侍女の案内を受けて、謁見の間に入室した。
そこには既にこの国の宰相や補佐官、筆頭公爵家の面々が揃っており、さらに中央には王太子殿下もいらっしゃった。
先に説明を受けていてもあまりの顔ぶれにオリビアの足が震えそうになる。
伯父達はまだ別室に通されていてここにはいなかった。
挨拶をしたライデン様に続き、オリビアも習った貴族の挨拶をする。
その時、オリビアの前に宰相の横にいた男性が膝をついた。
「オリビア・セレンフィール子爵令嬢様。この度は、大変申し訳ございませんでした。このような事態になっていることに気付かず、御身に不遇な扱いを10年も…。すべて私の確認不足でございます…。」
驚いたオリビアがその男性に顔を上げるようにお願いすると、その顔に見覚えがあった。
「あなたは…両親が亡くなった時に、後見人の話をしに来てくれた…。」
「はい、宰相補佐官のデイビット・マルキンズと申します。後見人があのような者だと夢にも思わず…今回、オリビア様が自らヤヌーク辺境伯領へ逃げて下さったおかげで事態が露見したのです。すべて私の不徳の致すところ…。どのような罰でもお受けいたします。」
床に頭をつけそうな勢いの補佐官の謝罪に、オリビアは困ったようにライデン様を見上げた。
ライデン様はしばらく補佐官を睨んだ後、呆れたように息を吐いた。
「…本当に、オリビアが我が領に来た時の状況がわかっているのか。精霊の知らせが無ければオリビアは溺れていたのだぞ。」
「…精霊の知らせ…?」
ライデン様の言葉に思わずオリビアが反応する。
返事をしようとしたライデン様に代わり、デイビット・マルキンズの横にいた宰相が、口を開いた。
「それは私が説明致します。オリビア様、あなた様は辺境へは舟で来たとライデン殿におっしゃったそうですよね。本来なら舟でセレンフィール子爵家からヤヌーク辺境領まで行くなど出来ないのです。なぜなら関所があるため、必ず一度陸に上がらないと辺境にはたどり着けないからです。」
「…え…?あの…でも、私は舟で本当に…。」
「はい。それが加護の力です。オリビア様が辺境へ来たとき、舟をこぎましたか?」
「い、いえ…。」
そういえば…私は漕いでもないし、舟の舵もとっていない。
ただ、舟に乗り、ライ兄様のいる辺境へ行きたいと願っただけだ。
「水の精霊の加護を持つオリビア様は、どんな時も精霊が貴方の願いを叶えようと護ります。舟に乗れば行きたい所まで運ばれますし、貴方に危険が迫れば何かしらの信号を貴方を大切に思う者に送ろうと精霊が動きます。今まで貴方に危険が迫った時に何か不思議な出来事はありませんでしたか?」
…そういえば…ドルシアから花瓶を投げつけられた時、絶対に当たると思ったのに水がかかっただけだった…。それだけじゃない。
真冬でも私が体を清めるために井戸水を使う時、なぜが水は温かかった…。
細かく思い出せば沢山の不思議が周りにこぼれ落ちていたわ。
オリビアが思い出しながら話す屋敷での生活の内容に、周りの空気がどんどん凍り付いていく。
「花瓶を投げつけられたとき…?」
「真冬に井戸水だと…?」
そんな周囲の人間の様子に気付かず、オリビアは感動したように呟いた。
「私を…精霊様が護ってくれていたのね…。」
ポロリと涙が溢れる。
たった一人だと思っていた時も、私を大切にしてくれていた者達がいたのだ。
「ありがとう…。」
思わずこぼれ出た感謝の言葉に、オリビアの周りの空気がふわりと温かくなり、キラキラと光る。
その瞬間、周りの人達が息を呑んだ。
「あぁ、やはり、この方が愛し子で間違いない…!」
「デルストイ伯爵は来ているのか?」
「はい、奴らと共に別室で控えております。」
「まもなく陛下も来られるだろう。オリビア嬢、すまないが、ヤヌーク辺境伯子息と共に、隣の控室で待機して欲しい。奴らの罪を暴く。」
王太子殿下の厳しい眼差しに小さく頷く。
「殿下、私も共に奴らの話を聞きます!」
ライデン様の言葉に王太子殿下は呆れたように息を吐く。
「ライデン、気持ちはわかるが、控え室で話を聞いている間、誰がオリビア嬢を支えるんだ?お前が側にいてやってくれ。我慢出来なければ出てきていいから。」
「…わかりました…。我慢出来なければすぐ出て来ますからね!」
「ああ。ハハ…、お前を怒らせるなんて、奴ら、この先は地獄だな。まぁ、私も許す気はない。」
ライデン様と共に、続き部屋になった控室へ入り、少しだけ扉を開けておく。
中ほどに備え付けられた立派なソファーに座ると、すぐ隣にライデン様が座った。
「大丈夫だ。俺が傍にいる。」
大きな手がオリビアの手を握ると、安心させるように笑う。
「…はい。」
オリビアも小さく笑い返すと、キュッとその手を握り返した。
しばらくすると、先ほどいた謁見の間に伯父家族とデルストイ伯爵家の者たちが入室した声が聞こえた。
挨拶の後、デルストイ伯爵の声が聞こえる。
「あの…この度はなぜ、私たちもここへ呼ばれたのでしょうか…?いつもはセレンフィール子爵家の彼らと、オリビア嬢だけで教会で儀式をおこなっておられましたが…。オリビア嬢が成人を迎えるのは来年では…?」
場にそぐわない暢気な声が聞えた後、取り繕うような伯父の声がする。
「さ、さようでございます。私共も、教会ではなくこのような場に呼ばれ、至極恐縮しております。」
「お前たちに口を開くことは許していないが…。学がないのだから作法も知らぬのか。あぁ、デルストイ伯爵。セレンフィール子爵家の彼らとは誰の事だ?」
王太子の鷹揚な声が聞えた後、伯爵が息をのむ音が聞こえた。
「え…いや…あの…。そこにいるオリビア嬢と共にいるジュラール殿と奥方のマドレーヌ様…。」
「もう一度問う。デルストイ伯爵、セレンフィール子爵家の彼らとは誰の事を言っているのだ?」
被せるような鋭い声に伯爵が言葉を失っている様子が伝わってくる。
しばらくの沈黙の後、可愛らしい女性の声が響いた。
「あの、王子様、ですよね。私がセレンフィール子爵家の娘です。」
「ド…、オ、オリビア、黙ってなさい。」
焦ったような伯父の声にドルシアは怯むことなく言葉を続ける。
「セレンフィール子爵家を継ぐのは私です。王子様。」
「お前がオリビア嬢…。」
「いえ、私は…。「そうです!オリビアでございます!!」」
ドルシアの声に重なるように伯父と伯母の声が響く。
「ほう…。オリビア嬢…。そうだな。確かに社交界でこの令嬢がセレンフィール子爵令嬢を名乗っているのは確認できておる。」
その時、陛下の来訪を告げる近衛騎士の声が聞こえた。
途端に空気がピリッとし、控室のオリビアの心臓もドキドキと早くなる。
扉が開かれ、静かに陛下の歩く音だけが聞こえる。
腰を下ろしたのか、誰もが息を殺すような息遣いで様子をうかがっているようだ。
「続けろ。」
一言陛下が声をかけた後、今度は宰相の声が聞えた。
「デルストイ伯爵。貴殿には水の精霊の加護を持つセレンフィール子爵家がこの国でどれほど大切な存在なのか、よくよく理解して頂いたと思っていたのだが、間違いだったようだな。」
「…!!な…なにを…。我が息子のスペンサーは、確かにオリビア嬢の婚約者として大切に守ってきました!今も隣で彼女と手を取りあっているではないですか…!」
焦ったようなデルストイ伯爵の声。
「ではなぜ、セレンフィール子爵領からもたらされていた清流が濁り、水量が減っているのだ?ちょうど3か月前からだ。なぁ、後見人、ジュラールよ。」
「…そ、それが…私共にもさっぱり…。」
「そうか。10年前、先代のセレンフィール伯爵であったエレーナ殿が夫と共に事故で亡くなり、一人娘で後継の証を持つオリビア嬢の後見人に、お前は手を上げたな。エレーナ殿のご両親は既に亡く、夫の兄であったお前に任せることとなった時、何があろうともオリビア嬢を守り、命を懸けて尽くせと伝えたはずだ。」
宰相の言葉にオリビアはそうだったんだ…と驚く。
守り、命を懸けて尽くせ…
彼らは初めて会った日から私の大切なものを奪ったわ。
「も…もちろん、オリビアを大事に慈しみ…。」
「お父様、何を言ってらっしゃいますの?」
ドルシアの声に伯父が叫ぶ。
「お前はだ、黙ってなさい!」
「だって…!」
「…ジュラールよ。この方はオリビア嬢だと言わなかったか?なぜ、お前を父と呼ぶのだ?なぜ、主君に黙れなどと偉そうなことを言う?」
「私たちは!オリビアを本当の娘のように思って育ててまいりましたの!!」
伯母の焦ったような甲高い声。
「は…いや…、そんな…。ス、スペンサー…まさかお前…。」
デルストイ伯爵の震えるような声が小さく聞こえる。
「その…父上…。彼女は…。」
戸惑ったようなスペンサー様の声の後、あまりにもあっけらかんとした可愛らしい声が響く。
「私はセレンフィール子爵家の後継者のドルシアですわ。」
「は…?」
伯父の制止も間に合わず辺りがシーンとなる。
「何を言っている…。スペンサー。お前はセレンフィール子爵家のオリビア様の婚約者なのだぞ。彼女を守り、慈しみ生涯彼女のために生きるのだとお前に命じたはずだ。共に出かけ、プレゼントを贈り、社交の場でもその女を婚約者のセレンフィール子爵令嬢だと紹介していただろう!!」
「デルストイ伯爵。そのまま黙って見ておれ。」
王太子殿下の鋭い声の後、ドルシアが不敬なことにペラペラと話し始めた。
「王様、私は新しくセレンフィール子爵となった父の娘、ドルシアでございます。オリビアは前子爵の呪われた娘で、その婚約者だったスペンサー様は私と恋人になったのです。忌み子で嫌われ者のオリビアは勝手に出て行きました。父が必死で探してあげているのですが、舟も見つからないし、どこかで亡くなっているのではないでしょうか?」
「も…!申し訳ございません!!オリビアは10年前の両親の事故以来、心を病んでおりまして…自分を他の誰かのように話したりすることがあるのです…。」
必死で言いつくろう伯父の言葉に、宰相が静かに声を発した。
「オリビア…だと…?ただの後見人であるだけの平民がなぜ主人であるオリビア嬢を呼び捨てで呼ぶのだ。」
「え…いえ…その、オリビア…オリビア様の事は娘のように思っておりまして…。」
「そ、そうです!私の娘と同じように大切に…。」
「だから、ただの平民の使用人風情が主人であり、守るべきオリビア嬢を娘と同じように…?何を言っておるのだ。あまりに不敬だろう!!」
宰相の怒声に伯父と伯母のヒッという叫び声が聞こえた。
「な、何なの?この人、何を言っているの!?お父様、お母様、オリビアは忌み子で呪われた周りを不幸にする娘で、虐げられて当然だっていってたでしょ!?」
「ドルシア!!黙れ!!!」
オリビアの隣にいたライデン様が立ち上がる。
怒りで金色の瞳が燃え上がるように光っている。
すぐにでも駆け出しそうなその手を、そっとオリビアは握った。
「ヴィ…。」
「私も行きます。」
こんな人に…こんな人たちに私は騙され、虐げられ、愛してくれた両親が願ってくれた幸せを諦めて生きてきたのか。
許せない。
全て返してもらう。私の大切なもの全て…。
カツンカツン…
慣れないかかとの高い靴の音がする。
「…本物登場…だな…。」
王太子の言葉にその場にいた者達が振り返る。
そこには煌めく光を纏った美しい青銀色の髪を揺らして水の精霊に愛された美しいアクアマリンの大きな瞳を真っすぐに向けて歩いてくるオリビアと、守るように隣を歩くライデンの姿があった。
「え…?嘘…オリビア…?」
最後に見た時と全く違う容姿と佇まいにドルシアは目を見開く。
「う…美しい…。」
オリビアの登場に隣にいたスペンサーが口を開けて呆けたように呟く。
「スペンサー様?!」
ギロリとスペンサーを振り返るドルシアの手を払い、スペンサーはオリビアに近づく。
「ぶ、無事でよかった、オリビア。」
「ああ、よかった!!オリビア、心配していたんだよ。」
そのスペンサーを押しのけるように、伯父のジュラールがオリビアに駆け寄るのを、近くで控えていた近衛騎士たちが押さえた。
「オリビアに近づくな。汚らわしい犯罪者め。」
ギラッと金色の瞳を憤怒に染め、殺気を放つライデン様がオリビアの前に庇うよう立つ。
「…オリビア、生きていたのね。汚らわしい忌み子が!ここをどこだと思っているの?ここには王様も王子様もいらっしゃるのよ。お前みたいな呪われた人間がいていい場所ではないのよ!」
バシーンッ!!!
ドルシアが近衛騎士の間をすり抜けてオリビアに向かってきた瞬間、ものすごい力でドルシアの体が吹っ飛ばされた。
「ふぇ…ヒ…???!」
床に転がったドルシアは顔を押さえながら訳が分からないというように、呆然としている。
一瞬で頬が赤く腫れ、口からは血が流れ、綺麗に結われた髪が崩れている。
ライデン様が左手で薙ぎ払ったのだ。
軽く横にいなしただけに見えたのに、その力は一目瞭然で、この国最強と呼ばれる辺境騎士団の司令官の背中だった。
「あぁ…、ド、ドルシア…!」
伯母が焦って娘に駆け寄ろうとするが、近衛騎士たちが動きを止める。
「…お前たち…。まだ、自分たちの現状を理解していないのか?」
陛下の地を這うような冷たい声が響く。
王太子殿下の隣に座っている陛下が底冷えのする冷たい目を彼らに向ける。
「ここは言い訳を聞く場ではない。お前たちの最後を通告する場である。」
「さ…最後…?」
現状を理解出来ないドルシアが唇を震わせながら、ぼんやりと聞き返す。
「調べはついている。ジュラール・マルコット。マドレーヌ・マルコット。ドルシア・マルコット。お前たちは我が国の大切な精霊の愛し子であるセレンフィール子爵令嬢であるオリビア嬢を、後見人という立場でありながら虐待し、本来主人として仕えるべき方をまさかの使用人扱い。さらに忌み子だと嘘で洗脳し、オリビア様の誕生日に行なわれる契約の儀式をオリビア様の血を採り偽装することで我ら王族までも謀った。」
「ち、違います!!今回の事は馬鹿な娘と、スペンサー殿がオリビア様を裏切ったことで起きてしま…」
「黙れ!!!」
「ヒッ…!!」
ライデン様の怒声が響いた後、陛下に向けてライデン様が頭を下げる。
「陛下、宜しいでしょうか…?」
「うむ。聞こう。」
「ジュラール・マルコット。お前は最初から子爵家の乗っ取りを計画していたな…。ただの平民であるお前が子爵のように振る舞い、オリビアの両親の物を自分の物とし、オリビアの物を娘に与え、あまつさえこの10年、オリビアが忌み子で周りを不幸にすると洗脳し屋敷から外に出ることを許さず虐待し、娘のドルシアをオリビアとして連れ歩いた。教会への儀式のときもオリビアから抜いた血をもってドルシアをオリビアとしてこの10年偽装し続けたな。だが、ドルシアにセレンフィール子爵家の後継の証はない。そのためにオリビアに子を産ませた後、オリビアを…始末し、この子供を使って自分が永久にセレンフィール子爵の利権を得るつもりだったな。」
「…なぜ…。」
なぜそれを知っているのか…。
「我が辺境騎士団がお前の不在中に屋敷を捜査した。
オリビアが成人したあと、ドルシアとの結婚の条件に、オリビアと子供を一人設けるという契約書を見つけた。オリビアに後継の証をもつ赤子を産ませて奪い、さらにオリビアの命まで奪うつもりだったな!報告書を読んだとき、お前を、お前たちをどれほど残酷に殺してやろうかと散々考えたよ…。」
「…ま、待ってください…、そ、それは私は知らない…!私はただ、オリビアが勉強もせず、社交もせず、あれほど可愛らしかった幼少期からどんどん地味に…醜くなっていく様子に…、子爵…ジュラール殿から相談を受け、オリビアの代わりにドルシアをセレンフィール子爵令嬢として対外的に連れ歩いてほしいと言われて…。そのうちにドルシアから誘われて…!」
呆然と首を振るスペンサーに、デルストイ伯爵と夫人は蒼白になっている。
本来、生涯オリビアを近くで守るために、王命と言う名で婚約者の立場を得たスペンサーが、オリビアを守らず、まして乗っ取りを計画していたジュラールの計画に加担していたのだ…。
馬鹿な息子にはそこまでの考えはなかっただろうが、誰が見てもデルストイ伯爵家の責任は重い。
「我が家は…終わりだ…。」
デルストイ伯爵のこぼれ出た言葉に…隣にいた妻が膝を落とした。
「…オリビアは…呪われているんでしょう…?」
未だ状況がわかっていないドルシアは父であるジュラールに手を伸ばす。
「いいえ。私は呪われていません…。私には水の精霊の加護があります…。ずっと私を守ってくれていた。ドルシア、あなたに花瓶を投げられた時も当たらなかった。目の前で振り上げられた花瓶がまったく別の方へ落ちた…。あの時、あなたも違和感があったでしょう?」
花瓶…いつの事…?
あの子には何度もいろんなものを投げつけた。
小さな商会を経営する貧しくはないが、足りない日々だった私の生活がある日一変した。
ずっと昔から父から聞かされていた。本来なら父が受け取るはずだった爵位を弟がとったのだと。
その父の弟が死んで、自分のものになったと言った。
娘の私も本来受け継ぐものを手に入れたのだと…。その日から欲しいものは何でも手に入った。
美しい妖精のような娘、オリビアを虐げ醜くなるよういろんなものを奪った。
私の物を奪っていた憎い女。本来なら私の物だったスペンサー様も奪い返した。どんどん痩せて貧相になっていくオリビアを視界に映すことさえ嫌悪した。
「ドルシア、あなたにはセレンフィール子爵家を継ぐ資格なんてありません。」
真っ直ぐにドルシアを見つめる、初めて会った時、お姫様みたいだと思った美しいアクアマリンの瞳は、今は何の感情もこもっていなかった。
「セレンフィール子爵家は代々、水の精霊の加護を持つ精霊の愛し子が後継に選ばれます。その後継の証の痣が体に現れ、その痣を持つ者だけが契約を交わすことが出来る。その恩恵が子爵領にもたらされる清流です。まぁ、オリビア嬢のいなくなったセレンフィール子爵領は今、本来の水量の半分にまで減り、水質も濁っておりますが…。」
「嘘…。だってお父様は…私が子爵令嬢だって…。」
宰相補佐官であるデイビット・マルキンズの言葉に、ドルシアは絶望したように言葉を失う。
「知らなかったではすまない。お前はただの後見人の娘。屋敷で生活をさせて頂くなら、使用人としてオリビア様に尽さねばならなかった立場だ。お前は主人であるオリビア様を使用人扱いし暴力を振い、物や居場所を奪った。まぁ、教えられなくても、十年もあったのだ。自分が、縁もゆかりもない子爵家の令嬢になれるだなんて、どう考えてもあり得ないと気づくはずだがな。お前達はこの国が大切にしている愛し子を虐待、平民の立場で貴族家の乗っ取りを計画し、王族まで謀った国家反逆罪に問われる。」
「そんな…!私はオリビアとは親戚関係にある!!オ…オリビア…、お前からも言ってくれ…。私はお前の伯父だぞ…!!」
急にオリビアに泣きつく伯父の姿に、オリビアは唇を噛みしめる。
散々私に嘘を言って、両親の思い出も何もかもを奪ってきたくせに…。
ただ、返して欲しい…。両親の思い出の詰まった部屋も、両親からもらった贈り物や共に過ごしていた使用人たち、楽しかった時間や幸せな思い出の残る子爵邸。
もう今は返されてもそれはあの頃の思い出の欠片も見つけられないほど変わっている。
黙ったままのオリビアの様子に、希望を見出したのか、伯父が必死に言い募る。
「オリビア、お前の父であるマルローの昔話を一緒にしよう!あいつは昔からとても優しく、情に厚い男だった!お前は弟に似て…。」
「その者の舌、切っちゃって。」
「はい。」
王太子殿下と近衛騎士の声。
瞬間、ライデン様がオリビアをギュッと抱きしめた。
耳を抑えられるように抱きしめられたが、遠くでうっすら叫び声が聞こえた気がした。
少しの時間の後、口元に真っ赤に染まった布を巻かれた伯父の色を失った顔と、隣でガタガタ震える伯母の姿。気を失ったドルシアと腰の抜けたスペンサー様の姿。
「この者達を牢へ。デルストイ伯爵、お前たちには追って沙汰を言い渡す。連れていけ。」
王太子殿下の言葉にその場にいた騎士たちが彼らを謁見の間から連れ出した。
震える身体を大きく温かい体が肩を抱きしめるように寄り添ってくれる。
「ライ兄様…。」
「よく、頑張ったな。もう、大丈夫だ。」
「はい…。」
その時、陛下がオリビアの目の前に立った。
「オリビア・セレンフィール子爵令嬢…。すまなかった。王命でろくでもない者を婚約者にしてしまった。最初から、ライデン、お前の希望通り、お前を婚約者に選んでおればこんなことにはならなかったな…。」
陛下の謝罪に、オリビアは慌てて頭を下げる。
「いえ!そんな…。私が…もっと賢ければ…。」
「貴女は母君にとてもよく似ている。教会での儀式で一度でも神官が貴女の姿を見ていたら、すぐに偽物だと気づいただろうに…。後継の痣が出たのが貴女が六歳になった時だった。翌年からは共に教会へ行く予定だったのに、その前にご両親は儚くなってしまった…。」
ドルシアの髪はハシバミ色だ。瞳も薄茶色で、入れ代わりが誰にも気づかれなかったのは、子どものころは両親と出かけた辺境以外、王都へは行ったことがなかったのだ。
父が伯父やドルシアと同じハシバミ色の髪と茶色の瞳だったため、気付かれなかったのだろう。
「ライデン、お前の気持ちはあの頃と変わらないか?」
陛下の言葉にライデン様が真剣な瞳を返す。
「変わるわけがございません。私は、初めて会った時から妖精のようなオリビアを一番近くで守りたいと願っておりました。」
「そうか…。ジョゼットによく似て一途で頑固者だな。」
二人の話に不思議そうに見つめていると、陛下が優しい笑顔を見せた。
「オリビア嬢、貴女はライデンの屋敷にいるのだな。この先もライデンと共にあることをどう思う?」
「…私は…、ライデン様やジョゼット様をとても大切に思っております。子供のころ、ライデン様には沢山遊んでもらって、憧れのお兄様でした。辺境へ向かったのももう一度会いたかったからです…。今は…もっと大切で…ずっと、傍にいたいのです…。」
オリビアは言葉を選びながら何とかライデン様と共にいたいと訴えた。
「一生懸命役に立ちます!!だから…。」
その時、ライデン様が焦ったように口を開いた。
「いや…そうではなく…。いや、俺がオリビアに父上の面倒を見るようお願いしたからだが…。ヴィ、再会した時、君に生きる意味を持ってほしくて頼みごとをした。人は誰かに必要とされないと自分を大事にしない。だが…。俺自身はもうずっと、ヴィを必要としてるんだ。ヴィじゃないとダメだ。子供の君に初めて会った時、妖精のように可愛らしい君を守りたいと思った。まだ小さな君をただ、愛おしいと思ったのだ。好奇心旺盛で明るく笑う、優しい少女の事を。」
「六つも下の少女と婚約したいと言い出した時は焦ったけどな…。」
王太子殿下の言葉にオリビアは目を丸くする。
「ジョゼット・ヤヌーク騎士団長は私の師だ。共に切磋琢磨して戦場を駆けたライデンは私の一番信頼できる友人であり、部下でもある。オリビア嬢。ライデンならきっと君を生涯守り、慈しむだろう。」
「待って下さい、殿下。自分で言わせてほしい。」
「クク…。ああ、いいぞ。後処理もあるし、二人は下がっていい。陛下、良いですよね。」
「ああ。儀式まで数日ある。部屋を用意するから、しばらくゆっくり過ごしなさい。」
先ほどまでのオーラが消え、優しい顔でオリビアを見つめる陛下は、隣で笑っている王太子殿下とよく似ている。
オリビアは笑顔で見守る陛下たちに挨拶をすると、最初に通された控室に並んだ部屋へ通された。
「あの…ライ兄様…。さっきの…」
「すまん。断りづらい場所であんな話…。ヴィの気持ちが一番だから、返事はどんな返事でもいいんだ。だが、これだけは言わせてほしい。俺はヴィが好きだ。子供のころに婚約者に名を挙げた時は、ただ愛おしいと思う気持ちだったが…、今は君を一人の女性として愛している。今思えば、俺は君以外、誰にも心が動かなかった。きっとこれから先もずっとヴィ、君だけだ。もしもヴィが傍にいたいと思ってくれるなら、俺が君と共にあることを許して欲しい…。気持ちに応えなくてもいいんだ。ただ、俺が…君を守っていくことを許して欲しい。」
金色の瞳がオリビアを真っすぐに見つめている。
その瞳には熱がこもっていて、ヤヌーク辺境領でライデン様からこの目を向けられるたびに自分の思いを抑えるのが難しくなった…。
「ライ兄様…、私…私は、ライ兄様の事、お慕いしております。ずっと心の中にライ兄様がいたのです。幸せな記憶にはいつも、ライ兄様がいました。今はもう…ライ兄様を…兄様だなんて思えない…!」
ポロポロと溢れる涙を瞬きで零しながら真っすぐにライデン様を見つめる。
驚いたような嬉しそうな笑顔が近づき、ライデン様が両手でオリビアの顔を包み込む。
指で涙を拭いながら、ハハ…と嬉しそうに笑う。
「瞳が溶けてしまいそうだ…。ありがとう、ヴィ。俺と結婚して欲しい。年も上だし、こんな傷もある無粋な俺だがいいか?」
愛おしさのこもった優しい視線にオリビアの心が幸せで一杯になる。
「ライデン様ほど素敵な人はいません。大好きです…。」
「俺は愛してる。誰より大切にする。」
チュッと温かい温度が唇に触れて、口付けられたことに気付いてオリビアは目を見開いた。
「やっと公明正大に君を守る権利を手にいれた。…それと…これだけはわかってて欲しいんだが…父上より俺の方がヴィを愛してるから。」
「…フフ…ライ兄様…、ジョゼット様とライ兄様は違いますよ?」
「だって…俺より父上と共にいる時の方が安心している気がするから…。」
少し拗ねたような表情がなんだか可愛らしくてオリビアは笑う。
「ジョゼット様といる時はドキドキしないから安心するだけです。」
思わず言い返すと、嬉しそうにライデン様の顔が輝いた。
「そっか。俺といるとドキドキするんだ、ヴィ。」
ニコニコ笑うライデン様の言葉にオリビアの顔は真っ赤になった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
その後、無事にオリビアの儀式も済み、セレンフィール子爵家はオリビアが後継だと証明が出来た。
成人まであと一年。王都よりセレンフィール子爵家は専任の者が派遣され、オリビアは子爵家ではなく、ヤヌーク辺境領でそのまま生活することとなった。
儀式の後、子爵領の山から流れる清流は水質も水量も戻り、清流の恩恵を受ける領土を治める貴族家からはすぐにオリビアへ挨拶の手紙や贈り物が届いた。
事件の発覚後、発表された事実に精霊信仰の根強い王国民達は震撼した。伯父家族はまるで子爵になったかのようにこの10年好き放題していたらしく、精霊の愛し子に対する非道な振る舞いと平民が貴族家の乗っ取りを画策した凶悪事件として教会へ抗議と断罪を求める人々が殺到した。
万が一にも愛し子を失っていたならば、この国を潤わす清流の恩恵を失い、国全体が衰退する未来が訪れていた可能性があったのだ。
伯父と伯母は拷問の末、斬首刑が決まり、ドルシアは劣悪な環境で有名な罪人が流される島で十年の強制労働の末、娼館へ送られる事が決まった。
デルストイ伯爵家は降爵され、男爵位まで落とされた。スペンサー様は家から除籍、国境近くの傭兵の多い荒くれ者の多い場所へ騎士として送られたそうだ。
貴族家に生まれたものは、常識として剣術も学ぶが、スペンサー様の剣の腕前がよいとは聞いた事はなかったはず…。
彼らのその後はライデン様からかなり優しく穏やかな言葉に置き換えて報告された為、本当のところはわからない。
でもある意味、彼らにとっては私は真実、忌み子だったのだろう…。
風を感じながら湖の畔でぼんやりしていると、後ろから優しく抱きしめられた。
「ヴィ、どうした?」
大きな体にギュッとされ、ホワッと安心感に包まれる。
背中を預けるように力を抜いて見上げると、赤い髪が太陽に透けて、その間から優しい金色の瞳が愛おしげにオリビアを見下ろしていた。
「いえ…。幸せだなぁって…思っていただけです。」
穏やかに笑うオリビアの笑顔にフッと笑い返す。
「ヴィ、無理してないか?家庭教師からかなり詰め込んで色々学んでいるだろ。頑張り過ぎてないか、俺は心配だ…。子爵領は貴族院が厳選した代理人が治めてくれているし、俺もいる。いずれ子供達が生まれたらそのうちの誰か、後継の痣が出た子に子爵家を継がせよう。」
「子供…。」
ポッと赤くなるオリビアの額にチュッと口付けると、優しく笑う。
「来年、俺たちは結婚する。俺は一生ヴィを離すつもりはないよ。これから生まれるだろう子供達もみんな、俺が守る。だから何も心配せず、俺に守られてて。」
愛情のこもった瞳が私を見つめている。
きっと私も同じ目で、ライデン様を見つめているのだろう。
いつかの夢が叶った…。
「わしもいるからな!」
一際元気な声が聞こえて二人で振り返ると、足の完治したジョゼット様がニヤニヤと笑って立っている。
「ライデン、お前はそろそろ騎士団へ向かう時間じゃろ。オリビアはわしに任せてさっさと行けっ!」
「父上、完治したなら仕事復帰してください!」
「オリビアを独占できるのは後一年だろ。だったらそれまではのんびりしてもバチは当たらん。」
「はぁ!?ヴィは俺の妻になるんです!父上が独占出来るはずないでしょう!」
またいつもの言い合いが始まり、オリビアはフフッと笑う。
幸せが心に溢れる。
その瞬間、水に反射するように周りの空気がキラキラと光り輝いた。