異世界で知らないおじさんとご飯を食べています。これってパパ活?と思っていたらSランクパーティへのお誘いでした。
「やっぱノクトゥスはヤキトリに限るよなぁ。ほら、マフユちゃんも遠慮なく食べて。もう一皿追加しようか?」
その人は私の前で豪快にエールを飲み干すと屈託なく笑った。
そもそもノクトゥスはこの辺りで簡単に捕獲できる魔鳥じゃないし、獲れたとしてもこんなパブよりもっと高級なレストランに卸される代物だ。
それにどう見ても海外のBBQで見るような豪快な串焼きをヤキトリと呼ぶには苦しいんじゃないだろうか。
たぶん、この世界でヤキトリと名付けたのは日本人じゃなかったんだろうな。なんてことを考えながら丁重におかわりを辞退した。
「あっ、じゃあ麵料理頼もうか?刻んだ肉のっけた辛いやつ!あれさ、マフユちゃん好きだったでしょ?多かったら俺が食べるし。」
私の返事を待つことなく、オリヴァーさんは大きな声で給仕を呼び止めると、流れるように追加のエールとともに注文した。
「ありがとうございます。」
「いいっていいって。俺ね、マフユちゃんとご飯食べるの楽しみにしてこないだのクエスト頑張ったんだ。」
「はぁ。」
「その顔は、また冗談だと思ってるでしょ。おじさん悲しくなっちゃうなぁ。」
私はそれには答えず黙ってヤキトリにかじりついた。
噛んだ時にじゅわっとしみ出る肉汁と独特なスパイスが口の中に広がって、ものすごく幸せな気持ちになる。ちょっと焦げ目のついたところの苦みもまた美味しい。
一皿いくらするんだろう、なんて怖いことは考えないことにして、よく噛んで食べた。
冒険者のオリヴァーさんに定期的にご飯をご馳走になり始めてから半年以上が過ぎたけど、私には未だにオリヴァーさんの考えていることがわからない。
年齢はたぶん40歳くらい。金髪も髭もぼさぼさだけど、がっしりした体つきに似合わず人懐っこい言動で、男女問わず人気があるみたい。
ギルドでの扱いを見ているとそれなりに上級ランクの冒険者なのだろう。
なにもわざわざ異世界から来た地味な女を誘わなくてもいいのに、と思うけどオリヴァーさんはなぜか私をご飯につれて行きたがる。
見知らぬ人に何度もおごってもらうほど自分の容姿がすぐれているわけでも、面白い話ができるわけでもない。
この町では珍しい黒髪と若さだけが取り柄…といっても25歳は若さのアドバンテージとして微妙なところだ。
異世界にもパパ活ってあるのかな。果実入りの炭酸水を飲みながら考える。
…なくはないか。女の若さと体を資本にするのはどの世界でも変わりない。
2年前いきなり日本からこの世界へ転移してしまった時に、水魔法が使えていなかったら、私も今ごろ娼館の片隅で変わり種として売られていただろう。
冒険者としては最底辺のFランクだけど、手に職をつけられて本当に良かった。
そんなことを思いながらこれまでの2年間を振り返っていると、肉そばがやってきた。オリヴァーさんはそれをてきぱき取り分けてくれた。
本当は目下の私がやらなきゃいけないことなのに、オリヴァーさんは絶対に私にそういうことをさせてくれない。
「マフユちゃんはさ、ただ美味そうに食べててくれればそれでいいんだ。」
オリヴァーさんはそう笑うけど(んなわけない)と内心突っ込まずにはいられない。いずれ何かと引き換えにしなくちゃいけない時がくる。
「実は、マフユちゃんにひとつ提案があるんだ。」
「…なんでしょうか。」
来た。食事だけの関係はここで終わるんだろう。
私はぴしりと姿勢をただしてそっとポケットを探った。
こんな時がいつきても断れるように、オリヴァーさんと食事の際にはこれまで奢ってもらったご飯代と同じくらいの金額を用意していた。
オリヴァーさんはそんな私の警戒を見透かしたのか、
「やだなぁ。そう身構えないでよ。」と笑った。
「これ俺のライセンスなんだけど。」
そう言って差し出されたカードのランクはS表記だった。
Sランクの冒険者はギルドのVIPルームで提示される依頼しか受けないという噂がまことしやかにささやかれているし、普段の仕事も薬草採取なのでまずもってこんなランクの冒険者に会ったことがない。
まさか半年もご飯を一緒に食べていた人がそうだったなんて。
「…オリヴァーさんって、すごい方だったんですね。」
社会的地位の高さでつってくるなんて、この人も意外とただのエロいおじさんだったんだなと塩対応していると、いきなり私の手を掴んできた。
「頼む。俺とパーティ組んでくれない?」
「…えっ?」
WHY?頭の中には疑問符しか浮かばない。
こんなにすごい人が、私のようなFランと一緒に仕事するメリットが何も思い浮かばなかった。
「おじさん心配なんだ。俺がダンジョン潜ったり魔物討伐で遠征してる間に、危ない目にあったり悪い奴に拐かされてないかなって。
あとマフユちゃんと飯食うのが楽しすぎて、毎日一緒にいたい。いい顔で肉にかぶりついてる顔とか一生懸命もぐもぐしてるの見てるとなんか幸せな気持ちになって、沢山食べさせてあげたいって思うんだよね。」
日本でも経験したことないから分からないけど、でも多分これは。
まぎれもなくパパ活だ。しかもこの人、わりと危ない人かもしれない。
よし逃げよう。
私はナイフとフォークを置いて、きっちりと口を拭った。
目の前で湯気をあげている肉そばには未練しかないけれど、これ以上食べたら肯定と受け取られてしまう。
「お断りさせていただきます。」
「理由を聞いても?」
「単純に実力差の問題です。戦わない、冒険しない。薬草採取しかできない私と、Sランクのオリヴァーさんが組んでできる仕事っていったい何がありますか。」
「俺が全力で守るから、マフユちゃんは何もしなくていいよ。いてくれるだけでいいんだ。」
…そんなのパーティとは呼ばない。ただの飼い殺しだ。
私はポケットから金貨を包んだ布袋を取り出してオリヴァーさんの前に置いた。
「これまでの食事代です。すみませんが、お先に失礼します。」
「待ってマフユちゃん。俺なにか気に障るようなこと言った?」
「いえ。オリヴァーさんに何の落ち度もありません。これまでありがとうございました。」
離れる時は、潔く。
ぺこりと頭を下げると、私は胸をしめつけられる思いで席を立った。
あんな素敵な料理にはきっともう出会えない。
できることなら、最後に肉そば食べたかった…。
まずはほどよくコシのある麺を一口食べて、細切りのお肉とトッピングされた香菜を一緒に食べてシャキシャキ感を楽しみつつ、そこにほどよく油の浮いたスープをぐっと流し込む。
そんな多幸感ループに溺れたかったと思いながら。
混雑した店内を足早に通りすぎると外に出た。
それから、何度もあとをつけられていないか確認しながら家に帰った。
治安が悪めの、日当たりも水はけも悪い場所に立つ、暗くて古い集合住宅。
雨がふると古傷が痛むのか、隣の部屋から元軍人らしい老人の、何語かわからないうめき声が聞こえてくる。
保証人も戸籍も持たない私が住めるのはこんな所。
家賃が安い分貯金に回すことができてるけど、もう少しまともな部屋に住みたいなと思う。
Sランクの冒険者はどんな暮らしをしているだろう。ふと考えなくていいことを考えてしまった。
きっと真っ白なシーツにふかふかのベッドがあって、朝は焼き立てのパンとハムとベーコンを食べるんだろうな。
お風呂もキッチンもついてる家で、好きなものを食べて、休みの日にはお芝居だって見にいける。
考えたら虚しくなってきた。
異世界転移なんて、信じてなかったけど、聖女になって何不自由ない生活ができるんじゃなかったの。
日本で交通事故にあったと思ったら着の身着のまましらない世界に飛ばされて、なんで必死に日銭を稼いで、知らないおじさんとご飯たべてるんだろ。
この2年間の苦労が、吐き気になってこみあげてきた。
私は逃げるように寝る支度をすませると寝台に丸まった。
自分の選択が間違っていたとは思わない。
だけど、どうしたって頭に浮かぶのは、オリヴァーさん…とともに食した料理たちのことだった。
◇
「良かったら今度一緒にメシでも食いにいかない?なんでもご馳走するよ。」
半年前、ギルドを出た後でどうして声をかけられたのか、心当たりはひとつしかなかった。
明らかに異民族で最下層の私への同情と興味。
いきなり見知らぬ世界に放り込まれて大変な思いをしながら生き抜いてきた私が、同情で美味しいものを食べたってバチはあたらない。
そう思って一度だけのつもりで受けた誘いが、なぜか次へ次へと続いてきた。
「誰かと約束してれば、絶対生きて帰ろうって気持ちになるだろ。窮地で自分の身を助けるのってさ、案外そういう些細なもんだったりするんだよ。」
なんで私なんかを誘うんですか。エールのジョッキを傾けながら、私の質問にオリヴァーさんはそう答えた。
長く冒険者として生計を立ててきた人の言葉は重い。
約束する相手を絶対間違ってると思うけど、お金を払う人が納得しているならいいか、と割り切ることにした。
それにオリヴァーさんの店のチョイスがまた良かった。
いかにも高級店ってところじゃなくて、にぎわっていて店員さんの愛想が良い。手ごろな値段でできたての美味しい料理が食べられる居酒屋。
女一人じゃ絶対入れない店ばかりだったから、食べることが大好きな私にとってオリヴァーさんのお誘いは正直ありがたかった。
好感度が高ければ高いほど、それが裏返しになった時の落差も激しい。
日本でもこっちでも経験したし、相手がSランク冒険者となれば何をされるか分からない。
ここもそろそろ潮時だろうな。
翌朝、いつでもここを出ていけるように荷物をまとめ始めた。
何か面倒なトラブルに巻き込まれそうになる度に、街を離れる。それが異世界でたった一人生き延びてきた私の生きる知恵。
採取したものから株分けして育ててきた価値の高い薬草は、もう少し増やしたかったけど仕方がないからまとめて売るしかない。
「マフユ・ミスミ様。冒険者ランクF。今回の受注はシメール山岳での薬草採取2種、リュコーリアスの球根とマッドアップル。シンゲツアミトカゲの捕獲でお間違いないでしょうか?アミトカゲは生体捕獲の場合、報酬が上乗せされます。何か質問はございますか?」
「いえ。大丈夫です。」
「それではお気をつけて行ってらっしゃいませ。」
最後の受注は少し難易度の高いものにした。
水魔法を使わずにすむ依頼しかこなしてこなかったけれど、最後だから誰かに見られてもかまわないだろう。
ま、見られたところで私の魔力量じゃモンスターを倒せるわけでもないし、ただ人より少しコントロールがいいだけの地味な魔法だから誰も気にしないと思うけど。
貴重な薬草なので5日で帰ってこれればいいと思うことにした。育てた薬草はお金に換えたし、最後の路銀稼ぎだと私は冒険者ギルドを出た。
そこには、数日前に居酒屋で別れたきりのオリヴァーさんがいた。
うわっと思ったけど、もう気付かないふりも別の道を選ぶこともできなくて仕方なく小さく頭をさげた。
「マフユちゃん…。」
「お疲れ様です。」
「こないだはごめんね。いきなりパーティ組もうだなんてへんなこと言って!」
あんな風に帰ったのに、オリヴァーさんはいつもみたいに笑ってくれた。心が痛むけど、突き放すしかない。
「いえ。」
「これから仕事?よかったらまた一緒にご飯食べに行こうよ。川沿いの歓楽街にうまいチーズを出す店があってー」
私は一呼吸してからオリヴァーさんの言葉を遮った。
「ごめんなさい。お食事にはもう、行きません。失礼します。」
一介のFランがオリヴァーさんのような人の誘いを断るなんてこの世界じゃありえないこと。
誰かに見られてなくてよかった。
ここでオリヴァーさんに引き止められたら私は終わるだろうけど、前回に引き続き追ってくる様子はない。
今すぐ私をどうこうする気はないようだ。
もともと陽気な人だから、そこまでしないと願いたいけど。気が変わらないうちに町を出ていこう。
ふと、去り際のオリヴァーさんの傷ついた表情が思い出された。
普段へらへらしてるくせに、気遣いもできて強くて、ほっといたって女の人が寄ってくるくらいかっこいいくせに、私なんか相手になんであんな顔をするのよ。
胸のあたりがぎゅうっと苦しいのは、乗合馬車のひどい揺れのせいだと思うことにした。
◇
天気にも恵まれて、受けた依頼は思ったよりも順調にこなせた。
一番目当てだったアミトカゲも無事に生きたまま捕獲できたし、これで当分宿暮らしには困らない。
山を下りてふと、賑やかな食堂が目に入った。この山でとれるいろんなキノコを使った郷土料理のお店みたい。家族連れや若いカップルも多いから、私が一人で入っても大丈夫そうだ。店内から漂ってくるいい匂いにつられて足が動いたところで、ぐっと我慢した。
次の家がちゃんと借りられるかどうかで出費が変わってくるから、今は外食してる場合じゃない。よそ者でも住みやすい街を選ばなくちゃ。
私は気を引き締めて干し肉とパンを買い足して帰路についた。
依頼をうけてから3日後、私はギルドに戻って報酬の支払いを受けていた。
生体捕獲の上乗せ分は、思っていたよりいい金額だった。こんなにもらえるならやっぱりあのきのこ料理の店に行けばよかったかな。
ちょっとだけ後悔していると、受付の人が一枚の依頼書を差し出した。
「今回の手続きはこれで完了なのですが、よければこちらの依頼をお受けになりませんか?マフユ様の採集はいつも丁寧で鮮度が良いと評判で、こちらもマフユ様に受けてもらえればと。」
指名依頼書なんて初めてみた。
採集した薬草の鮮度がいいのは、茎や根を水につけて持ち帰るからだ。
水魔法で小さな水球を作ってそれをギルドに戻るまで維持し続ける。そこに植物を挿しておけば傷まない。
地味に複雑なコントロールが必要だけど、この技術を独学で習得したおかげで食いつないでこれたのだ。
それを評価されるのはすごく嬉しかった。
「ありがとうございます。でも、実は―」
街を離れることを伝えようとした瞬間、勢いよくギルドの扉が開いた。
「すまねぇ負傷者だ!怪我は大したことねぇが、おそらく毒にやられてるんだと思う。」
運び込まれてきた男はギルドのベンチに横たえられた。手足が強く痙攣していたのは、オリヴァーさんだった。
「魔物討伐でこっちも手負いになって、まあ大したことねぇ傷だからそのまま森を抜けようって野営して、町についてしばらくしてから様子がおかしくなって、酔ってんのかと思ったらいきなりぶっ倒れてこのざまだ。悪いが医術院よかこっちのが近いから寄らせて貰った。」
なにがなんだか、といった様子でオリヴァーさんを担いできた冒険者は頭を掻いた。
呼吸が浅い。これ多分、処置が遅れたらまずいやつだ…。
ふと、鼻の奥に病院の消毒薬の匂いがよみがえった。
もう何年も思い出すことがなかったのに、一瞬でいくつも体につながれた管やリノリウムの床がよみがえった。
その場にいた鑑定スキルを持つ若い冒険者がオリヴァーさんを視て「これは…」と絶句した。
「森で紫色の実を食べませんでしたか?フィルベリーに似た。」
「ああ、そういやオリヴァーのやつ、今朝なんか採って食ってたな。疲労回復に効果があるから生のまま食べるといいんだとかいって。」
「おそらくそれはフィルベリーに似たリッカの実です。非常に強い毒性で数粒でも死に至る危険がある猛毒植物です。ベテランの冒険者でも見分けるのは非常に難しい厄介な植物です。」
「マジか。でもあれだろ、解毒剤でなんとかなんだろ。」
若い冒険者はここでぐっと言葉を飲み込んだ。
「それが…残念ながら一般的な解毒薬が効かないんです。リッカ中毒には近くに植生しているリュミナスという葉を煎じたものを使用します。それ以外で解毒ができない。。」
オリヴァーさんの連れは、言われたことをしばらくしてから理解したようで一言「は?」と漏らした。
「じゃあつまり、今から森に戻ってそのリュミナスってやつをとってこりゃあ。」
「それまで体がもつかどうか…。」
彼の一言で、この場にいた全員が、これはただの中毒ではないとようやく事の重大さに気付いた。
気付けば私の呼吸は浅く早くなっていた。いけない。落ち着かないと。
ここにいるのは母じゃなくて、オリヴァーさんだ。
どの道この町を離れるつもりだったんだ。今更見られたところで困ることもない。
それに私においしいご飯をご馳走してくれたおじさんを見限って死なせてしまうなんて、絶対にできないと思った。
医者でも看護師でもないけど、薬草が手に入らない以上やるしかない。
私は受付の人に声をかけた。
「すみませんが、塩とバケツをもってきてくれませんか。それから清潔な布も。」
「…マフユ様?」
「できる限り解毒します。」
「でも一体どうやってー」
「いいから、早くお願いっ!」
ギルドにいる全員が私を見た、中には
「あいつ女だったのかよ。」
「初めて顔みた。」
なんて囁く声もいくつも聞こえる。
もういい。もう全部、どうでもいい。とにかくオリヴァーさんを助けよう。
私は横たわったオリヴァーさんの体を軽く左に起こした。
バケツと塩が来ると、私は手のひらの上にボールほどの水球を作り出してそこに塩を入れた。
生理食塩水って、どのくらいの濃度だっけ。経口補水液くらいの濃さでいいか。ひとなめして多分これで大丈夫、と思いながら塩が均等にまざるように水球をぐるぐると回転させる。
「すげぇ。こんな緻密なコントロール初めてみた。」
「あれでFランクなんて嘘だろ?何者だ?」
そんな声と、絶対失敗できない緊張で掌が小刻みに震える。それでも、水の形を維持し続ける。
私は水の管を作ると、それをオリヴァーさんの口へと入れ始めた。
毒物の入った胃の中を撹拌するイメージで、体内の水を操作していく。
しばらくしてオリヴァーさんが咳込んだ。
私はすぐにバケツを口元にもっていくと、吐いたものを受け止めた。
それからもう一度水を入れて、同じことを3回繰り返して、オリヴァーさんの痙攣はようやく収まった。
「鑑定お願いします。」
「はい。…大丈夫。毒物ステータスの異常値抜けましたっ!」
おおっとギルド内がどよめいた。私は吐しゃ物が残らないようにオリヴァーさんの口内を軽くすすぐとバケツの中身を外の排水溝へ捨てにいった。
洗ったバケツをすすいだらそのまま出ていこう、と思っていたところを受付嬢に見つかってしまった。
「マフユ様!良かったここにいいて。オリヴァー様は呼吸も安定してきましたが、意識が戻って無事が確認できるまではこのままギルドの特別宿舎で休養されることになりました。」
じゃあ、後のことは大丈夫ね。
「でしたら私はこれで。」
立ち去ろうとした私の腕を、彼女は思い切り掴んだ。
ちからつよい。だてにギルドで受付やってないんだな。
「あの…。」
力強さに反したにっこりスマイルが逆に怖い。
「オリヴァー様の目が覚めるまではマフユ様にも付き添っていただきたいのです。日頃の仕事ぶりと今回の件で、ギルド長がEランクに昇級できるよう本部に推薦を考えているそうです。」
「えっ、いいですよべつに。昇級したところでやるのは採取だけですから。」
これは本音だ。最低ランクでいれば、いつもフードで顔を隠していても、ギルドからの討伐依頼に参加しなくても目立たなくて済む。
異民族の女一人が稼いでいくには、厳しい世界なんだよ冒険者って。
そんな私の内心を察したのか、受付嬢は私の顔をまっすぐにみた。
「いいですかマフユ様。昇級に興味がなかったとしても、この話は受けるべきだと思います。ギルド長の推薦付、ということに意味があるんです。これだけで社会的信用度がかなり高くなりますよ。家を借りるのにも、今ほど困ることはないかと。」
「えっ、そうなんですか?」
あちこち回って頭をさげて、正当どころか相場より高い家賃をふっかけられて、それでも他に選択肢がないから条件の悪い家に住むしかなかったのに?浴室付きの家を夢見ても許されるっていうこと?
さすがの私もテンションがあがる案件だ。それにあんな断り方をしたけれど、命は救ったわけだし、オリヴァーさんに恨まれる理由はなくなったはず。
「決まりですね。オリヴァー様の隣室をご用意しますので、宿泊に必要なものをもっていらしてください。」
私は小さくため息をつくと、荷物を取りに帰った。
◇
「いやー、なんかごめんねぇ。マフユちゃんが危ない目に合わないか心配とか言ってたのに俺のほうが危ない目にあっちゃった。」
意識をとりもどしたオリヴァーさんは、倒れた翌日には家に帰っていった。
まだ体力が回復していないのでしばらく家で静養するというオリヴァーさんはソファに腰掛けて豪快に笑った。
受付嬢の謎の圧力と周りの冒険者たちの心配そうな目に耐えかねて、不本意ながらオリヴァーさんのお見舞いにきてしまった。当然、まだ家も引き払えていない。
上級冒険者ってこんなに死にかけ慣れてるものなんだろうか。
「もう少し処置が遅かったら死んでたんですよ。無事でよかったです。」
「うん。助けてくれてありがとう。」
心底嬉しそうに笑うから、不覚にも照れてしまった。
「…いつもご馳走になっていたお礼です。」
「あれ、もしかして今ちょっとドキっとした?おじさんにときめいちゃった~?」
「そんな冗談を言うくらいならもう大丈夫ですね。」
うそうそ、とオリヴァーさんは焦った声で私を引き留める。
こんな底辺冒険者、去る者追わずでいればいいのに。
「そういえば俺を助けてくれた時さ、マフユちゃんはなんであんな方法をしってたの?」
オリヴァーさんは真面目な話をするときの顔でそう聞いた。
私はしばらく沈黙したあとで、ゆっくりと口を開いた。
「私が生まれ育った国では医術が発展していて、いろんな薬が手軽に入手できるんです。それで自分を傷つけたり殺すために薬を大量に飲む人も多くて。
本当だったら体をよくするための薬も、種類によっては過剰摂取で死ぬんです。それで全部終わりにしたいって、病院に運ばれる人が身近にいて。処置を見てきたのでなんとなく。」
誰かに母の話をするのは初めてだった。
思っていたより普通に話せていることに、少し驚いた。
「マフユちゃんもそう思ったことがあるの?」
「そう、ですね。」
なんで私だけお母さんの面倒をみなきゃいけないんだろうって悩んでた。
なんで異世界なんかにきちゃったんだろうって辛かった。
でもー
「今は美味しいものがあるし夢もあるので、考えてないですけど。」
「そっか。なら良かった。俺がマフユちゃんに美味しいもの食べさせてあげたいって思うのはさ、そういう事情をなんとなく嗅ぎ取っていた一流冒険者のなせる業じゃない?」
ちゃかしていうけど、オリヴァーさんの目はうるんでいた。そんな目で見ないで欲しいのに。
「マフユちゃんさ、異世界人でしょう。」
「…いつから気付いてました?」
「ん~。確信もったのは麺類出てきた時かな。嬉しそうに食べたでしょ。あれ、みんな最初はけっこう戸惑うんだよ。髪も黒いし、身寄りも戸籍もないわりに教養があるっていうか。俺も長いこと冒険者やってて砂漠の古代遺跡で異世界人に一度だけあったことあるけど、その人もそんな感じだったよ。平民なのに貴族みたいなとこがあって、不思議なんだよね。マフユちゃんって、歳いくつなの?」
「25です。」
「異世界人は見た目が若く見えるってほんとなんだね。でもそっか。俺と8歳差だ。」
ということはオリヴァーさんは33歳?
「正直もっと年上なのかと思ってました。」
「ひどっ。俺だって髭そったらそこそこ色男なのよ?」
「色男はこんな地味な女とご飯食べにいったりしないと思いますけど。」
「地味なんかじゃないよ。マフユちゃんの魔力コントロールは本当にすごいし、今でもパーティを組みたいと思ってるよ。」
「お断りします。」
「えっ、なんで?」
「むしろなんで受け入れられると思ったのかこっちが聞きたいです。」
「うっ…」
オリヴァーさんのリアクションはいつだって大げさだ。だからいつも、サービス精神で対応してくれてるのだと思っていたのだけど。
「好きな子がこんなに頑張ってるんだよ。甘やかしたいって思うのが男の道理でしょ。」
予想していたよりストレートな答えに思わずたじろいでしまった。
「そんなことを言われたら、本気にしますよ。全力で寄りかかっちゃうじゃないですか。」
「うん、そうしてほしくて伝えてるから。」
「マフユちゃん。」
ゆっくり近づいてくるオリヴァーさんの声が甘い。しっかりしなければっていう決意がぐらぐらと揺らぎ始めている。
「こっちにおいで。」
「…行かない。」
「ふはっ、可愛いなぁもう。じゃあ俺から行こうっと。」
オリヴァーさんはそういって私を抱きしめた。消毒薬の匂いがしたけれど、もう昔のことは思い出さなかった。
「マフユちゃん、今まで頑張ってきたね。ここらでちょっと荷物おろしてさ、隣にいるおじさんに寄りかかっていいんだよ。」
そう言って頭をなでられた瞬間、何かが決壊した。
「だって…すごく頑張ってこないと生きてこられなかった。」
「うん。」
「誰にも助けてもらえないと思って…。」
「そんなことない。マフユちゃんを助けたい人間は、少なくとも目の前に一人いるでしょ。」
「本当に?」
「俺、マフユちゃんに嘘ついたことはないよ。」
ずっとずっとしんどかった。でもどうしようもないことだと思ってやってきた。
私は不覚にも、オリヴァーさんの胸にしがみついて、思い切り泣いてしまった。
「体調が回復したらさ、また飯に行こうよ。」
泣き止んだ私の背中をさすりながら、オリヴァーさんは優しくそう言ってくれた。
「ご飯食べに行くだけですよ。パーティは組みません。」
「うん。」
「パパ活でもないですからね。」
「ん?」
余計なことを口走ってしまった。
「いえ、こっちの話です。…あっ!」
いきなり叫んだ私に、オリヴァーさんは「何?どしたの?」と目を丸くした。
どうしてこんなに大事なことを忘れていたんだろう。
私はオリヴァーさんのほうに向きなおるとまっすぐその目を見つめて言った。
「こないだ食べ損ねた肉そば。あれが食べたいです。」
「…熱烈な告白でもしてくれるのかと思ったのに。」
「美味しい料理への愛ならいくらでも語りますよ。」
「まあいっか。」
オリヴァーさんはいつものように屈託なく笑うと「約束な。」と私の頭をひと撫でした。
2年間1人で頑張ってきた日々が、ようやく終わったのだと思った。
最後までお付き合いいただき大変ありがとうございました。
この短編のほかにも、完結済の中編と連載中の長編を書いています。
同じく異世界恋愛モノなので、もしよろしければそちらも読んでいただけると嬉しいです。
どうぞよろしくお願いいたします。
また別のお話でお目に書かれますように。
ありがとうございました。
夕波