現実
「おう、トウコ。帰ったか」
家に帰るとレーナが迎えてくれた。彼女の足元にはタラミも。夕飯の前だったのだろう。必死にレーナの足に頭をこすりつけている。
「ただいまー」
トウコは手を洗って着替えを終えると、何となく鏡を見た。当然だが、自分が映っている。が、どこか違和感があった。ただ、その違和感の正体が分からない。
「トウコ、できたぞー」
「あ、うん」
リビングからレーナの声が。今日はレーナが鍋を作ってくれる日だ。それを思い出すと、違和感のことも瞬時に忘れてしまった。
「うわぁー、一気にお腹空いちゃったよぉ」
「好きなだけ食え。お前のメヂアが受賞したんだから」
「あははは、ありがとね」
賞を取ったんだ。何の賞だろう。でも、いいか。何だって、賞は嬉しい。レーナと一緒にご飯を食べられることも。取り皿にたくさんの野菜を移して、いざ食べようと思うが何かが足りない気がする。
「あれ、私たち……。一緒に住んでいるんだっけ?」
毎日こんな風に暮らしていたような気がするけど、さっきまで別の場所にいたような。いや、仕事をしていたはず。
急に電話がなった。固定電話だ。工房に置いてるやつと同じ機種。固定電話なんて……自宅につないでいただろうか?
「もしもし?」
レーナが出る。彼女はいつ席を立ったのだろう。
「あ、タイヨウ? ……うん。……本当? うん、次の週末空いている」
またタイヨウだ。結局、レーナはタイヨウが一番。彼の一言があれば、すぐに気持ちなんて変わってしまうのだ。
「ねぇ、週末どこか行くの?」
電話を終えたレーナに(いつ電話を終えた?)聞くと、彼女は顔を赤らめ、浮ついた調子で話した。
「タイヨウがね、どうしても私に見せたいアクアリウムがあるんだって。凄い幻想的で――の中みたいに――らしいよ」
こんな顔をするレーナを見たことがない。口調まで変わって。……アクアリウムがなんだ。そんなものより、美しくて幻想的な風景なら、自分のメヂアだって見せられるのに。
「行かないでよ。週末は私と一緒にノノア先生のシアタ現象を見る約束だったじゃん!」
そんな約束しただろうか。したような、気がする。いつか、そんな風に過ごせたらいいな、と思っただけかもしれない、けど。わがままを言うトウコに、レーナが目を細める。
「仕方ないだろ、タイヨウから誘われたんだから」
仕方ない? 何が?
先に約束したのは、こっちなのに。
「やっぱり、レーナちゃんはタイヨウくんの方が大切なんだね。そうやって、私のことなんて、いつか……一人にするんだ」
否定してくれるはず。だってレーナは……。しかし、彼女は心底呆れたと言わんばかりに、深い溜め息を吐いた。
「当たり前だろ。お前と一緒に工房やっているのも、結婚するまでのつなぎだ。お前のメヂアなんて、なんの将来性もないんだから」
「……え?」
想像もしていなかった言葉に、トウコは混乱するが、レーナは無表情で続ける。
「お前に才能があると思ったか? あんなメヂアしか作れないのに。すぐに失敗する。何も成せない。凡人。時間を無駄にしているだけだ。なんのために? 誰のために? お前の自己満足に人を巻き込むなよ」
「や、やめてよ!」
テーブルを叩くと、ソファで眠っていたタラミが目を覚まし、逃げるようにリビングから出て行ってしまった。それでも、レーナは止まらない。
「誰も感動しない。魅力がないんだ。感覚がずれている。根本的につまらない。続けるのが苦しい? なら、やめろよ。誰も悲しまない。誰も期待していないんだから。誰もお前の作品なんて待ってないんだよ」
「やめてってば……」
トウコは目と耳を塞ぐ。それなのに、レーナの声ははっきりと聞こえた。
「一人でやってろよ。誰かに認めてもらおうなんて、烏滸がましい」
「やめて! やめてやめて!!」
「お前は……何者にもなれない」
「……やめて」
気付けば、床に倒れているレーナを見下ろしていた。彼女の赤い頭髪から、赤い液体が広がっている。血だ。トウコの手には包丁が握られていた。
――ホントウニ、スキ?
頭の声が響く。
――ホントウハ、コンナフウニ、オモワレテイル。
――イツカ、ステラレル。
――イツカ、キライニナル。
だったら、一緒にない方がマシだ。一人の方が……ずっといい。きっと、一人でも私はできる。だって、これまでがそうだったんだから。
誰にも頼らず、一人で、母のように、誰からも評価されるメヂアを。顔を上げる。玄関の前には母のメヂアが置かれているはずだが……。
「あれ? お母さんのメヂアが、ない」
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