後ろからのハグはもう
スバルの踏み込みは、レーナの想像を遥かに超えていた。レーナの動体視力をもってしても、目の前に突然現れたかのようなスピード。そして、そこから繰り出される拳も高速である。
「やるじゃねぇか!」
頭を揺らすようにして、スバルから連続で放たれる拳を躱すレーナ。そして、一瞬の隙を突くようにして、反撃のジャブを放った。それはスバルの頬に直撃し、パチンと音を立てるが、それを見て青ざめたのはタイヨウだった。
「おいおい! スバルはナイトファイブのリーダーだぞ! 顔はやめてくれ!」
「そんなこと言うなら、タイヨウがこいつを止めてよっ!」
レーナの主張はその通りなのだが、スバルはさらに殺気を研ぎ澄ますような鋭い目を見せる。
「大丈夫です。タイヨウさん、やらせてください」
「相手はレーナだぞ? 適当なところで退かないと痛い目に合う、ってレベルでは済まないからな」
「俺だって、ナイトファイブのリーダーです。見ててください!」
じりじりと間合いを図り始めるスバルに、レーナも警戒心を高める。スバルは軽いパンチのフェイントを見せながら距離を詰め、意識を刈り取るための一撃に備えているようだった。普通であれば、いつ来るか分からない必殺の一撃を恐れ、後ろに退きながら安全な距離感を探るところだったが、レーナは違う。ただ立ち尽くし、その瞬間を待っていた。
「はぁっ!!」
スバルの気合と同時に放たれるのは、パンチではなく、レーナのわき腹を狙ったミドルキックだ。レーナは腕を低くして一撃を受け止めるが、わずかに体が流れる。
(なるほど、言うだけのことはあるじゃねぇか)
十年前はまだまだ子どもだったスバルが、これだけの蹴りを使えるようになっているとは。さらに、左のジャブから右ストレートが。退がってそれを避けるレーナだったが、スバルがさらなる追撃のために踏み込んだ瞬間に、膝を突き上げた。
「ぐっ!?」
刃物で刺されたような一撃が、スバルの腹筋を叩き、思わず呻き声を漏らす。彼はさらなる追撃を恐れ、距離を取りなおすが、レーナはそれを許してくれず、ずんずんと前へ出てきた。
「僕は……強くなったんだ!!」
スバルはまだまだ痛みを拭えなかったが、それでも意地のオーバーハンドパンチでレーナを迎え撃とうとする。しかし、レーナは無駄のない動きでスバルが放ったパンチの軌道から逸れると、彼の足を払って支えを奪う。スバルは何が起こったのか、理解できないままにアスファルトに倒れ、次の瞬間には止めの一撃を放とうとするレーナを見上げた。
負けを覚悟し、目を閉じるスバルだったが、レーナが動きを止める。なぜなら、背後から包むような抱擁が彼女を止めたからだ。
「そこまでにしてやってくれ、レーナ」
「た、タイヨウ」
耳元で囁かれ、忘れつつあった胸のときめきが、彼女を動揺させる。そんな彼女をいじらしいと笑うように、タイヨウはさらに囁いた。
「また会えて嬉しかったぜ。お前は……どうだ?」
「わ、わ、私は……その、何て言うか!!」
「ふっ。また会ってくれるか? いや、会いたいんだ。いいだろう?」
「勝手なこと……言わないでよ!!」
胸のざわめきに耐えられず、抱擁を振り払おうとするレーナ。しかし、既にタイヨウは体を離し、脱出経路を確保していた。逃がしてしまう、と焦るレーナに彼は微笑む。
「あはは、本当に会えて嬉しかったぜ。じゃあな!」
ひらりと羽が舞うように、暗い路地から消えて行くタイヨウ。
「待って!」
追いかけようとするレーナだったが、さっきまで倒れていたはずのスバルに遮られてしまった。
「なんだよ、もう一度打ちのめされないと分かんねぇのか??」
迫力あるレーナの威圧だが、スバルも凄まじい殺気でそれを押し返す。
「今回は油断しただけです。次会ったときは……絶対に僕の実力を認めてもらいます」
そんなやり取りをしている間に、レーナはタイヨウを完全に見失ってしまった。これでは、レーナの走力ても追いつけないだろう。
「はぁ……。お前なぁ、昔から私にばかり凄い殺気を向けてきたけど、何が原因なんだ? こっちは恨みを買った覚えはないぞ?」
レーナからしてみれば、何気ない質問だった。なんでそんなにハンバーグばっかり食べているの?とか、そのレベルの質問だったのに、スバルは一番のプライドを傷付けられたかのような、より強い殺気を返してくる。これにはさすがのレーナも異常性を感じ、虫でも追い払うように手を振った。
「もういい。帰れ帰れ」
すると、スバルは案外素直にレーナの前から立ち去るのだった。暗い路地に一人残され、ただ黙り込むレーナだったが、誰もいないことを改めて確認すると、赤く染まった頬に手の平を当て、その場にしゃがみこんでから呟いた。
「た、タイヨウ……あいつ!!」
レーナ・シシザカ。三十二歳。彼女は初恋の相手を、まだ忘れていないようだった。
「面白かった」「続きが気になる」と思ったら、
ぜひブックマークと下にある★★★★★から応援をお願いします。
好評だったら続きます!