◆ブラウン②
地獄の底に落ちてから一年経った日のこと。
「セエナ! やったぞ!」
「どうしたの??」
仕事帰りの彼女を捕まえて、俺は喜びを爆発させた。
「この前出した曲が……新人賞だって!!」
「……本当に!?」
人通りの多い場所だったのに、セアラは自分のことに喜んでくれて、子どもみたいに飛び跳ねた。俺もこのときばかりは、純粋な喜びに身を委ねられ、興奮で一晩中眠れないほどだった。
「だから言ったでしょ? ブラウンの歌は多くの人を感動させられるんだよ」
「そうかもしれない。俺にも、できるかもしれない!」
「絶対にできるよ。だから、いつか私のために歌を作ってね」
セエナだけでなく、カレッジ時代の友人たちも喜んでくれた。
「本当に夢を叶えてくれたんだな」
「お前は特別だと思っていたよ」
「もっと有名になったら奢ってくれよ」
彼らの期待も応えてみせる。もっと大きい人間になって、俺は間違っていなかったと声を大にして言える日に、いつかたどり着くんだ。
それから、俺は小さなレーベルと契約し、大手の配信サービスから曲の販売も開始された。
俺はプロになったんだ。この世界で生きていくんだ。届かなかった夢が、掴めなかった夢が、そこにある。
ここからが俺の人生が始まって、先は輝きに溢れるばかりだと思っていた。
「ブラウンくんねぇ、これじゃあ売れないよ」
しかし、楽しかった時間は一瞬だった。二曲目の製作が難航したのだ。
「どうすればいいですか……?」
一曲目と同じように作ったのに、大人たちは俺を否定ばかりする。本当に、どうすればいいのか分からなかった。
「あのね、君の曲には売れようって気持ちが感じられないんだよ」
「売れる気持ち、ですか……?」
「そう。何も考えてない。ただ作りたいものを作っているでしょ?」
その通りだ。でも、何が悪いのだろう。黙っていると、大人は溜め息を吐いた。
「とにかく、これじゃあダメだね。売れているものを百は聞いてから、ちょっと考え直してごらん」
「……はい」
言われた通り、百は聞いたと思う。ランキングに入っているものを順に。だけど、どれも吐き気がするような下らないものばかりだ。それでも、俺はもうプロなんだ。時代に合ったものだって作れるはず。そんなことを考えながら作り直した二曲目だったが、大人たちからの反応は大して変わらなかった。
「あのね、ブラウンくん。これじゃあ、売れないよ」
「どうしてですか!?」
「君の歌には、人間が感じられない。こういうのはね、聞く側にも伝わってしまうんだよ。これくらい迎合すれば十分だろう、って浅はかな気持ちが」
「そんなつもりは……」
二曲目はいつになっても完成しないまま、時間は無常に流れていく。一曲目も少しは売れたものの、生活を支えるほどではなく、俺はまたバイト暮らしの日々に戻ることになった。
「違う! 俺は天才なんだ」
バイト先の年下に注意された日、自室で一人叫んだ。
「絶対に成功する。もう一度……いや、何度だって」
時間を忘れ、俺は曲作りに没頭した。すべてを捨てることになっても、最高の曲を作る。そうすれば、いつか俺は、本当の俺になれるはず。そう信じて、俺はバイトと曲作りを繰り返した。
「そろそろ結婚も考えろってお父さんに言われちゃった」
久々に会ったセエナは少し疲れているように見えた。そして、どこか遠くに立っているようだった。
「結婚って……?」
俺は突然出てきた言葉に、ただ戸惑うだけだったが、彼女は子どもの拙い質問でも投げかけられたように、柔らかい笑みを浮かべた。
「やっぱり、ブラウンはそういうこと考えてなかったよね。お父さんはね、ちゃんとした相手と結婚しなさいって言って聞かないの。だから……」
彼女が何を言いたいのか、なかなか理解できなかったが、さすがに話が見えてきた。
「だから、どうする……?」
彼女はもう笑っていなかった。ただ、俺が自分にとって正しい判断を下すかどうか、それだけを見定める機械みたいに、表情がなかった。
「俺は……」
フラッシュバックするのは、少年時代、ギターを手にしてからの日々だった。ずっと夢だった。そして、今の俺は夢の縁に引っかかっている。今にも振り落とされてしまいそうだが、もう少し力を振り絞れば、もう一度登れるはず。きっと、中心まで一気に駆けられるはずなんだ。
「俺は、まだ諦めたくない」
言ってしまった。だけど、他に選択肢はあっただろうか。俺の言葉を受け、彼女はしばらく黙ったが、目が合うといつものように微笑みを浮かべる。
「……やっぱり、そうだよね。ブラウンは、そう言うと思っていた」
彼女は俺に背を向ける。彼女は今何を見ているのだろう。もしかしたら、景色は涙で歪んで何も見えていないかもしれない。
「夢、叶うといいね。私の夢は……叶わなかったけれど」
セエナはそう言い残して、去ってしまった。それから、彼女とは会っていない。もう二度と会うことはないだろう。
大切なものを捨てたのだ。俺は夢を勝ちとならなくてはならない。そう思っていたが、やはり現実は簡単なものではなかった。
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