◆ブラウン①
「ねぇ、ブラウン。いつか私のために歌を作ってね。愛する人に自分の歌を作ってもらう。それが私の夢なの」
ギターを手にする俺の横で、セエナはいつも笑っていてくれた。だから、俺も心の底から幸せに笑えたし、好きなように夢を語れた。
「いつか大勢の前で、俺の気持ちを伝えるから、楽しみにしてろよ」
「うん!」
セエナと出会ったのは、まだ二十歳になったばかりのころ。彼女はカレッジのコミュニティで知り合った、一つ下の後輩だった。コミュニティでは音楽好きが集まって、気の合うやつばかりだったけど、セエナは最初から特別だった。
「ブラウン先輩の初ライブ、絶対に行きます!」
友人たちと一緒に開催する、自己満足のためのライブなのに、彼女はいつも目を輝かせた。終わった後も絶賛してくれたおかげで、俺にはシンガーソングライターの才能があるって……そんな気持ちになったのかもしれない。俺が作った面白みのない音楽。それを喜んで聞いてくれたのは、今思えば彼女だけだったのに。
「ブラウンは本当に才能があるよ! カレッジを卒業する前にデビューできるんじゃない?」
彼女は期待してくれていたみたいだけど、俺が現実を知るのは、自分が思っていたよりも早かった。きっかけは一緒に音楽を作っていた仲間たちの変化だ。
「ブラウン、悪いけど俺は就職するよ」
「俺も。お前の家みたいに、余裕ないんだよ」
「ブラウンは夢を叶えてくれよな」
仲間たちは、驚くほどにあっさりと現実を選んだ。あれだけ、現実を否定していたのに。あれだけ夢の中で生きていけると語っていたのに。少しつまずいただけで、何もかも諦めてしまったのだ。
「大丈夫、ブラウンなら夢を叶えられるって」
ただ、夢を諦めきれない俺を、セエナはいつだって慰めてくれた。やる気にさせてくれた。
「だって、才能あるもん。初めてブラウンの歌を聞いた時の感動、今でも忘れられないよ」
「でも、俺の歌は……セエナにしか響かないものだったら?」
不安を口にすると、セアラはいつも笑い飛ばしてくれた。
「ねぇ、ブラウン。この世界にどれだけの人間がいると思うの? 私だけがおかしいって、そう思う?」
「それは……」
言葉に詰まる俺の手をセアラの体温が包む。
「ブラウンの歌が響くのは、私の心だけじゃない。貴方の歌で救われる人は……世界中にたくさんいるはずだよ」
曲を作った。曲を作った。曲を作った。なのに、どれも下らないものばかりで、誰も感動してはくれなかった。
「ブラウンさん、いつまで遊んでいるのです?」
ある日、母親に問われてしまった。気付けばもう二十五歳。まだアルバイトの経験しかないと言うのは、堅い仕事を何十年も続けていた両親には理解できなかっただろう。
「あと三年待ってほしい。絶対に軌道に乗せて見せるから!」
なぜ三年なのだろう。自分でも分からなかった。だって、何も成果はなかったから。誰にも認めてもらえたことなんて、なかったのに。
「いやー、彼は成功するね」
ある日、腕試しに小さなライブハウスのイベントに出演したときのことだ。出演を終えた俺の横で、ライブハウスのオーナーがステージを見ながら呟いた。俺もステージを見てみると、そこには弾き語りを披露する男が一人。囁くような歌声に、誰もが耳を傾けていた。
「彼、いくつなんです?」
確かに筋がいいかもしれない、と何気なくオーナーに聞くと、信じられない答えが返ってきた。
「それが、まだ十九なんだって」
「そうですか。へぇ……」
信じたくはなかった。経験したことのない拍手の波を浴びながら、俺は吐き気を覚える。
どうして。俺じゃないんだ。何が違うんだ。あいつの何が良いんだ?
誰かに聞くことは、できなかった。
地獄の底にある泥を舐めたら、どんな気持ちなのだろう。きっと、今がそれではないか。そう思っていたのだが、そんなときもセエナが救ってくれた。
『昨日データくれた新曲、すっごい良かった!! 今日はライブ行けなくてごめん。次は絶対に行くから!』
彼女から送られてきたメッセージを見て、少しだけ安心する。大丈夫。俺の歌は届く。天才はここにいるんだ。いつか世界中に知らしめてやるのだ、と。
『いつか大勢の前で、俺の気持ちを伝えるから、楽しみにしてろよ』
返信のメッセージを送ってから、俺は自分を奮い立たせた。そうだ、いつか彼女を最高の気分にさせてみせる。そして、俺は成功するんだ。
このまま、俺は地獄に落ちていれば、誰も不幸にならなかったのかもしれない。それなのに、俺は小さな希望を手にしてしまうのだった。小さくて、すぐに崩れてしまうような、儚い希望を。
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