飛翔するドラゴンよりも速く
「ナナミから離れろ。あんたの目的はこいつなんだろ?」
ハリスンの首筋にナイフを押し当てる男は動揺した様子はない。慣れているのだろうか。ハリスンを盾にするように後ろから拘束しつつ、レーナに指示を出しているが、訓練された振る舞いのようだ。
「襲ってきたのはこいつだ。私は最初から殺すつもりはねえよ」
レーナは軽く両手を挙げて、抵抗の意思はないことを示す。男がユズに目で合図を送ると、彼女は頷いた。
「今日は引き下がる。でも、気が向いたらでいいの。レーナちゃん、私たちを手伝ってね」
「手伝うか、馬鹿。お前たちのような危険人物は、早いうちにぶっ潰してやるからな」
否定されているにも関わらず、ユズは微笑みを浮かべる。だが、そこには人が持つ悪性が凝縮されたような不気味なものがあった。
「行きましょう、ナナミ」
ユズの言葉に、ナナミは何とか立ち上がり、彼女たちと一緒に施設の出口へ向かう。どうやら逃げ出すつもりらしい。
「おいおい。そいつを引き渡せよ。さもないと、お前たちは全滅することになるぞ?」
レーナは両手を挙げたまま、戦闘の意思はないと示しているが、口では暴力の限りを尽くすと宣言している。これには、ハリスンと彼を人質に取る男も狂気を感じたらしく、顔を青に染めた。だが、施設の出口には馬車が止まっている。どうやら、レーナの意識が朦朧としている間に、ユズたちは逃げる準備を進めていたらしい。
「逃がさねえぞ」
「ひ、ひぃっ!!」
白み始めた空の下、レーナは両手を上げたまま走り出す。だが、馬車の御者が弓を構えていた。レーナに傍られる矢は、とても目で追えるものではないが、彼女は手刀で叩き落して見せる。だが、その間にユズたちは馬車に乗り込んでしまった。
「待て!」
もちろん、待てと言われて待つわけがなく、馬車が走り出す。
「よし! このまま逃げるぞ!!」
馬車が加速を始め、ハリスンを人質にした男はほっと胸を撫でおろすが……。
「んんんっ!?」
何気なく振り向いたところ、彼は信じられないものを見た。疾走する赤い悪魔。いや、走る馬車に追いつこうとするレーナの姿だ。
「な、なんで馬に追いつくスピードで走れるんだ、あの女は!?」
「うるせえ! こっちは空飛ぶドラゴンより速く走れって鍛えられたんだよ!!」
驚愕の速度で、着々と距離を詰めてくるレーナ。だが、男もただ見ているだけではない。
「ゆ、弓を貸せ!」
男は御者から弓を受け取り、走るレーナに向かって矢を射る。しかし、彼女は小虫でも払うような動作で矢を手で除けるようだったが……実際のところは掴んでいた。そして、逆に矢を投げ付けてくる。
「ひゃあっ!!」
男が放った矢よりも速く、それは彼の傍らに突き刺さった。
「ば、化け物だぞ!?」
「誰か化け物だ!」
その声は、彼が想定したよりもはるかに近かった。彼女は既に荷台の屋根に飛び乗っていたのである。
「う、うわぁぁぁぁ!!」
男は驚愕の声を上げるが、その隣でユズは笑う。
「やっぱり、レーナちゃんは凄いのね。ますますガードにほしくなっちゃう」
その言葉に反応したのは、ナナミの方だった。彼女は痛みが回復したのか、屋根の上から覗き込んできたレーナに向かって右ストレートを放つ。だが、レーナは顔面の位置をずらして、やり過ごすとナナミの腕を掴むとニヤリと笑った。
「こんなの、ホラーだ!!」
あまりの恐怖に男は情けない声を上げるが、この状況を打破する手段を思いついたようだった。
「おい、こっちにこい!」
「な、何をするつもりですか!?」
男はハリスンを引っ張ると、容赦なく馬車から突き落とそうとした。
「てめえ、何しやがる!!」
さすがのレーナも、それは見過ごせない。屋根から飛び出し、ハリスンをキャッチし、彼を庇いながら地面に落ちる。衝撃を吸収するため、何度も転がってから顔を上げるが、もちろん馬車は既に追いつける距離にはいなかった。
「そ、そんな……!!」
見捨てられた、と気付いたハリスンが声を上げる。
「い、いやだ! 僕も一緒に連れて行ってくれ! 帰りたくない……。帰りたくないんだ!!」
悲痛な叫びがこだまする。
「僕の理想の場所だったのに。自由に創作を続けられる場所を見つけたと思ったのに……。どうして!!」
「うるせえ!」
レーナはハリスンの頭にゲンコツを落として黙らせると、彼の首根っこを掴んで、施設の方へ戻るのだった。
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