歯車が狂う瞬間
「もう限界です」
今度こそ、ナナミが前へ出てきた。
「これ以上、やつが力を取り戻す前に無力化する。だから……下がって」
ナナミの主張に、ユズは眉を下げた。
「分かった。貴方の判断に従うけど、殺すのはダメよ」
ユズは譲歩したのかもしれない。ただ、ナナミからしてみると、それは大きな不満だったようだ。だからこそなのか、彼女は強い敵意を持ってレーナを見る。
「なかなかの殺気じゃねえか。確かに、今ならいい勝負かもな」
レーナの挑発など耳に入らないのか、ユズは腰を落として軽く拳を構えると、慎重かつ大胆に距離を縮めてきた。そして、こちらの調子を窺うような前手のジャブを繰り出してくる。決して重たいわけではないが、速くて突き刺すような攻撃。本来のレーナなら絶妙な距離感で凌ぐところだが……。
(くそ、体が思うように動かない)
何度も顔面を叩かれ、ガードを上げながら後退するしかない。が、距離を作ったところで、ナナミのミドルキックが飛んでくる。レーナはその前兆を察知しつつも、回避までに至らなかった。
「なめるな!」
それでも、ナナミの蹴り足を掴んでバランスを奪おうとする。足首を引っ張られ、倒れるような素振りを見せたナナミだが、地に手をおいて体を支えると同時に、自由がきく方の足で、レーナの拘束を破ろうとした。掴み手を踵で叩かれたレーナが、思わず拘束を解くと、ナナミは素早く後ろ回し蹴りを放ってきた。身を反らすレーナの顎先をかすめるように通過する爪先。あと少し反応が遅れていたら、意識を失っていたかもしれなかった。
(落ち着け。体は少しずつ軽くなっている。もう少しこの時間を凌いで、力が戻ってから一気に畳みかければいい)
距離を取り直すレーナだが、ナナミはすぐに詰めると、ジャブのフェイントから、左フックでボディを叩いてきた。レーナも瞬時にフックを返すが、ナナミは身を逸らして躱すと、左のジャブを返してくる。レーナはナナミの左側に回り込み、何とか攻撃を受けない立ち位置を探すが、簡単にはいかない。ナナミが足を刈り取るような蹴りを放ってきた。レーナは脹脛を横から叩かれ、足が痺れるような痛みに襲われる。
(カーフも鋭い……。何発も受けてられねえな)
警戒心を高めるレーナに、ナナミは再び蹴りを出すようなフェイントを見せつつ、ボディアッパーを狙ってきた。しかし、レーナは素早く反応し、横に移動して免れる。
(よし、行ける)
レーナの中で確信があったが、それに気付かず、自信を持って最接近するナナミ。彼女は拳を小刻みに動かしてパンチのフェイントを見せてから、再びレーナの脹脛を狙って蹴りを出した。が、レーナは足の角度を変えて、脛でそれを受ける。脹脛を蹴るつもりが、硬い脛で受けられ、蹴り付けた足の甲に激しい痛みが走っただろう。
その瞬間、レーナは素早いジャブでナナミの顔を捉えた。
想定外の動きだったのか、離れたナナミの表情は固まっている。それに対し、レーナは肩をすくめて挑発して見せた。ナナミは集中力を取り戻すように顎を引きながら、再び距離を詰め始める。ジャブからのアッパー。しかし、どちらも空を切り、逆にレーナがボディフックを叩き込んだ。
「ぐうっ」
痛みに体を折りながら、反撃の右フックを振り回すナナミ。しかし、レーナは屈みこんでそれを躱すと、左右のボディフックを連続で叩き込み、ナナミによる反撃の膝蹴りを素早く横に回り込んで躱すと、さらなる追撃の左フックを軽く身を逸らしてやり過ごす。
そして、ナナミが打ち終わった瞬間、高速の左ストレートが放たれ、彼女のよろりと後退させる。そこに右ストレートのフェイントを見せ、ナナミが顔面を守るためにガードを上げたところで、がら空きのボディにミドルキックを叩き込んだ。
「があっ!」
どれだけ強烈な痛みが走ったのか。ナナミはその場に座り込む。そんな彼女を見下ろしながら、レーナはわずかに笑みを浮かべた。
「残念だったな。私のジャブが入ったとき、偶然だと思っただろ?」
形勢が逆転した瞬間は、そこだった。
「ラッキーパンチで流れが変わったわけじゃない。私はお前の距離感とタイミングを把握したから、攻撃を当てられたんだ。格闘戦に偶然はない。歯車が狂う瞬間に気付けねえなら、まだまだだな」
悔し気にレーナを見上げるナナミだが、腹部のダメージに歯を食いしばって耐えるしかないようだ。まだしばらくは動けないだろう。その間に……と、レーナはユズの方を見る。
「動くな」
しかし、そこに立っていたのは彼女だけではなかった。ユズの前に男が二人。そのうち一人はレーナの目的であるハリスンだ。だが、彼はもう一人の男から、首筋にナイフを当てられているのだった。
レーナのセリフにあった「カーフ」とはカーフキックのこと。下半身に対する攻撃として有名なローキックは膝より上のふともも辺りを蹴り付けますが、カーフキックは膝より下の脹脛あたりを横から蹴り付けます。これは人体の構造上、数発蹴られるだけで足が痺れて動かなくなる、地味だけど必殺の蹴り技です。
知らなかった!という人は……
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